琥珀の思い出 3



その日オスカルはやっと時間を作ることができた。
今日こそアベラールを訪ねることができる。
ワクワクとはやる気持ちを押さえ、馬に乗ろうとした。
その時、ギルマン大尉が現れた。
「やぁ、ジャルジェ大尉、ご機嫌だね。これから秘密のデートかい?」
じろりとギルマンを睨む。
「君のお相手は男かい?それとも女?」
へへへっといやらしい笑いを浮かべる。
「ねぇ、君、実際君は男を知っているのかい?どう?僕が教えてあげようか?」
馴れ馴れしく肩を抱き耳元でからかうように言う。
「私にさわるなッッ!!汚らわしいッ!!」
思いっきりその手をはねのける。
回りには誰もいない。
今がチャンスかもしれない。
思いっきりつかみ掛かり殴り飛ばしてやればいい。
今なら誰も止める者ははいない。
オスカルはあらためて、くるりとギルマンに向かって睨みつけた。
「や...、やる気か!!」
ギルマンは明らかに怯えている。
内心はわかっているのだ。オスカルに決して敵わないことが。それでも、執拗に
オスカルにからんでくる。そして卑怯な手をつかってくる。今日も何を考えてい
るかわかったものではなかった。
その時、わいわいと仲間が歩いてくる声がした。
オスカルとギルマンはそれぞれふんっと顔をそむけ何事もなかったかのようにし


騎乗して、馬を走らせても少しも心が晴れなかった。
ついつい、あんな下らない男の相手をしてしまう自分自身に腹がたった。
あんなヤツは放っておけ。
アンドレにも何度も言われた。
わかっている。
そんなことは言われるまでもなく、わかっている。
本当は何もできない気の小さい男なのだ。
相手にすればするだけ、嫌な気持ちが増し、こちらのレベルまで下がるというも
のだ。
それでも、では、どうすればいいのだ?
この悔しさをどうしたらいいのだ?
黙って我慢しろというのか?
あいつのことになると、いつもこの同道めぐりの悩みから抜け出せなくなるの
だった。

気が付けばアベラール邸の前まで来ていた。
こぢんまりとした暖かい雰囲気のある建物だ。
オスカルは嫌なことを振り払うかのように、強く頭を横に振り、それからドアを
たたいた。
「あ!オスカルさま!よくおいで下さいました!」
アシルが人なつっこい笑顔を見せる。
「アベラール先生、本当に過日はお世話になりました。」
「とんでもない。礼などもうよしにしましょう。さぁさぁ、そちらへお掛けなさ
い。飲み物は何がいいですかな?食事はすまされましたか?」
オスカルがそこにいるのが当たり前のような空気で、歓待する。
さっきまで心の全てを占めていた嫌なことも、母のこともついつい忘れてしまう
ほどの居心地の良さだった。
「いえ、食事だなんて...、ちょっとお礼に伺っただけですから。
あ、これを。うちのワイン蔵から持って参りました。お口にあうといいのです
が...。」
「これはありがたい。ジャルジェ家秘蔵のワインをいただけるなどと。
さぁさぁ、若い者が遠慮なんてしてはいけません。オスカル殿、その様子では近
衛の仕事帰りに寄られたのでしょう?お腹の虫が鳴いているのではありませんか
な?」
オスカルは少し恥ずかしげな様子をみせ、それから「はいっ」と元気よく答え
た。
まるで本当の身内のように感じられた。
ここにいると、普段の責任も激務も忘れられる。
士官学校に通っていた頃のように、大人に甘えることができる。

「ほう、それで?王太子殿下は事の他その演習にご興味がおありなのですな?」
「ええ、王太子殿下は普段、あまりそういったことに興味を示されませんので、
もう兵士の間では評判になってしまい。今度の演習は相当盛り上がりそうです。
ブローニュの森を二人一組でオリエンテーリングして勝敗を決めるのですから
ね。優勝者には陛下じきじきからのご褒賞がいただけるそうです。」
「なるほど、それでは士気もあがるでしょうな。」
「ええ!」
オスカルは若者らしくそう答え、デザートに出されたチョコレートを子どものよ
うにぱくりと口に放りこんだ。
「恐らくは一日で済まないだろうと言われているのです。」
「なんと、それでは野営も含まれるのですね。」
「ええ、でも上手くいけば一日で全てノルマをクリアして戻れる。優勝を狙うな
ら野営はできません。」
アベラールは聞き上手でもあった。
オスカルは楽しげに近衛のことを話す。
「それでオスカル殿、あなたも参加なさるのですか?」
「もちろんです!でも....アンドレが.....。」
口ごもる。
「アンドレとは?」
「あ....、ええ、私の幼馴染です。彼が反対するのです。」
「ほう....、どうして?」
そこまで話してオスカルははっとした。
アンドレが反対する理由.....。
それはギルマンの存在であった。
万が一にもくじ引きでギルマンとペアにでもなったら何をされるかわからない、
というのだ。
反対する理由....。
ギルマンのことを話すのは少々気が引けた。
「私に....、嫌がらせをする輩がいるのです....。」
それでもオスカルは重い口を開いた。
誰にも話したことのない悩み....。
アベラールになら話せる....、そう思った。
「あなたに嫌がらせ?何故?」
「それは....、その....、います。時々。
アンドレが言うには私に嫉妬しているんだそうです。国王陛下から特別に士官学
校を早く終えるご許可を頂き、特例としてアントワネット様付きの仕官に任命さ
れて、アントワネット様からも信頼されて....、その...、そういうこと
が嫉妬の対象になるんだそうです。
でも....、嫉妬だなんて....。」
「理不尽だと思われるのですな?」
「わかりません。私は...、確かに恵まれていることもあるのかもしれない。
でも、私には女だという大きなハンデがある....。
それに私は一生懸命やっています。
....それしかできない。いつだって、自分の持てる限りの力、全てで任務を
遂行することだけ。それしか私にはできません。
だから....、平気です!何を言われたってそのことは変わりようがない。い
つも自分のできることを精一杯やるだけですから。」
アベラールはうんうん、と優しげにうなずきながら聞く。
「だけど......。」
オスカルはことばを止めた。
アベラールはただ黙って待った。
「ギルマンだけは違う....。あいつの....、あんな扱い、耐えられな
い!」
オスカルは唇を噛み締めた。
「あいつは、ことあるごとに私に嫌がらせをするんです。私が...、私
が......。」
小さな声でやっとつづける。
「........女だから......。」
アベラールは少し驚いた表情をする。それからまた黙ってオスカルのことばを
待った。
オスカルは下をうつむいた。
「.....あなたが女性だから....?あなたを女性として卑しめるような
ことをするのですか?」
アベラールが聞く。
オスカルの身体がびくりとこわばる。
それから、唇をかみしめ、こくりとうなずいた。
「なんと....!なんと卑怯な男だ!!」
穏やかなアベラールの瞳の奥に怒りが宿る。
そんなアベラールを見てオスカルは慰められる気がした。
「それで....?あなたの幼馴染はなんと?」
「相手にするなって。無視していろって。あんな下らない男、所詮、一人では何
もできないのだから、放っておけって....。」
「同感ですな。」
「だけど!だけど....!じゃあどうすればいいんです?!!」
オスカルは思いもかけない大声に自分自身驚く。
「あいつ...。無視したって執拗なまでに嫌がらせしてくるんだ。わかってる
んです。自分でも、相手にするだけ嫌な気持ちになって、余計自分がみじめにな
る....。でも、黙って我慢するなんて....、そんなことできない!!」
アベラールは黙ってオスカルの話しを聞いた。全てを受け入れるかのように。
「無視しろってアンドレは言うけど....、どうせ、何もできないような小悪
党だからって。
でも、今度のオリエンテーリングだけはよせと言うんです。
万が一にもあいつとペアになっては何をされるかわからないからって。
.....その....、野営もあるからって....。」
オスカルは赤くなって再びうつむく。
「それは...、アンドレ君の言うとおりでしょう?」
アベラールが言う。
「嫌だ!!」
オスカルが激しく否定する。
「嫌だ!!私は女じゃない!何だってできる。今までだって女であることを理由
に使ったことは一度もない!!それを・・・!あんなやつがいるからって、こん
な大きな大会を不参加にするだなんて・・・。絶対嫌だ!!」
オスカルの勢いに一瞬驚いたアベラールだが、すぐにまた静かな表情を浮かべ、
オスカルを見つめた。
包み込まれるようにアベラールに見つめられ、オスカルは我に返る。
また、やってしまった。
みられたくない自分。
吹雪の中、危機管理を怠った自分、それを皆から隠したいと思う自分。
アベラールにはつい隠しておきたい自分を見られてしまう。いや、見せてしま
う...。
そしてまた、それでいいと思える。
そんな自分が許せる。
それがオスカル自身、不思議だった。

「オスカル殿、あなたは....、自分が女性であることがつらいのです
ね....。」
アベラールが優しく口をひらく。
女であることがつらい....、どきりとする。
そんなこと自分で考えたもなかった。
だけど...、だけど...。
オスカルの目が宙をさまよう。
その通りではないか....。
アベラールに自分で抱えている心の悩み、その核心を言い当てられた。
オスカルはとまどった。
救いを求めるようにアベラールを見る。
オスカルの瞳に涙がにじんでいた。

アベラールはゆっくり微笑み、それから静かに立ち上がった。
そっとオスカルの背後にまわり、優しくその肩に両手をおいた。
暖かいアベラールの大きな手...。
そこから優しさが心の奥まで染み込んでくるようだった。
滲んだ涙がふくらむ。そしてそっと瞳からこぼれ落ちた。

アベラールが静かに語りだす。
「オスカル殿....、本当にあなたはすばらしい方だ...。」
「違います。そんな...。違います。私は弱い人間だ...。それを人に知ら
れたくなくて、精一杯つっぱっているだけの小さな人間だ。
もしも...、もしも男だったなら、そうしたら強い人間になれたのでしょう
か....?」
肩におかれたアベラールの手に力がこもった。
「オスカル、あなたは女性であるからこそすばらしいのです。」
力強いことばだった。
意外なことばにオスカルの目が見開かれる。
「だって、そうでしょう?他の誰にあなたのようなことが成し得るでしょうか?
オスカル、あなたの言うとおり、軍隊において女性であるということは大きなハ
ンデであるには違いありません。
でも...、それは....、いけないことなのですか?」
え....?
オスカルが振り返り、アベラールの瞳を再び捉える。
「オスカル....、女性であるということが罪になりえるのでしょうか?」
「でも....、でも...。」
オスカルが何かを探し求めるかのように弱々しく首をふる。
「父上は私が生まれた時、どんなにがっかりされたか...。母上はどんなに苦
しまれたか...。
わ...、私は...、ただ夢中で男になろうと今日まで...。」
「オスカル、あなたはあなたのご両親があなたを誇りに思われていないとでも思
うのですか?」
オスカルは、またも思いもかけないアベラールの問いにとまどった。
「私にはわかります。あなたのご両親がどんなにあなたを大切に育てられたか。
どんなにあなたを愛しておられるか。あなたを見ているとそれははっきりとわか
ります。
そうでなければ、こんなにも正義感と責任感の強い、そして人を思いやるやさし
い心の若者に育つはずがありません。
オスカル、私の目にはあなたは眩いような奇跡の女性に見えます。」
「奇跡....?」
「そうですとも。女性として軍隊に身をおくなどと、どんなにつらいことがあっ
たでしょう。どんなに努力されたことでしょう。あなたはそれを見事に成し遂
げ、いえ、ただ成し遂げただけではなく、それらの困難を乗り越え、更に本当の
男以上のことを成し得ている。
お父上だってきっと思っておられる筈だ。あなた以上の息子はありえなかった、
と。」
「でも...、でも...、もし私が本当の男だったら、もっと更に優れた軍人
たりえたのではないでしょうか....?」
「もしも、こうだったら、などという仮定はこの世に生きている以上無意味で
す。
あなたは女性でありながら、そのハンデを乗り越え、そしてそれ以上の結果を生
んだ。現にあなた以上の優秀な若い近衛仕官などいないではありませんか。
その上あなたはその自分の努力にも結果にも奢らず、常に全力で生きている。女
性であるが故にあなたは人一倍の努力をし、結果を得、女性であるが故にあなた
は苦しみ、その苦しみ故に優しさを知っている。
私は時々、あなたという奇跡を目の当たりにして、不思議な感覚にとらわれるこ
とさえあります。あなたはそんなにもおつらい立場で、一体どのように雄雄しく
あられることができるのか・・・と。
オスカル殿、本当にあなたはすばらしい方だ。女性であるあなたが、軍人である
あなたが、そのままである、あなたこぞが、神の作られた輝ける奇跡のような存
在だ。自分が女性であることを責めたりなぞしてはいけません。決して...。
オスカル。」
アベラールのことばは温かくオスカルの心に染み入った。
オスカルの瞳からはらはらと涙が零れ落ちる。大人であろうと、男であろうと、
ずっと我慢してきた涙だった。

つづく