琥珀の思い出 4



アベラール邸訪問以来、オスカルの気持ちは穏やかだった。
オスカルをとりまく問題が消えうせたわけではない。
それでも、ありのままの状況を受け入れていけるような心の余裕が生まれたように感じていた。
オスカルは、アベラールが母の恋人だったのでは....という疑問もとりあえず、
そのままにしておこうと決めた。真実をどうにでも明らかにしようとするのはやめ
た。ただ、ただ、アベラール邸が心地よくて、オスカルは暇をみつけては出向くよう
になっていた。

「さぁ、さぁ、お嬢様。お支度は整いましてございますよ。アンドレが今、馬車を回
しておりますから、どうぞお急ぎ下さいまし。今日もアントワネットさまの警護でご
ざいましょ?」
オスカルの乳母は、オスカルの世話を焼くのが趣味のようにみえる。
「あ、お嬢様、ちょっとお待ち下さいまし。おぐしが。そちらにもう一度お掛け下さ
いませ。ばあやが直して差し上げます。」
「いや、もう時間がないからいいよ。」
「いけません。そんなままアントワネット様の御前におでましになっては。ささ、
ちょっとだけ。」
口論するよりさっさと直してもらった方が時間の節約になる。
オスカルは憮然としながらも椅子に腰をおろした。
「あいたたた...。おい、ばあやそんなに髪をひっぱるな。」
「少しの辛抱でございますよ、お嬢様。軍服をお召しになっていてもせめておぐしく
らいは完璧に...と。」
慣れた手つきでオスカルのやわらかな髪を整える。
「どこで、お嬢様の恋する方に見られるかわかりませんでしょ?」
「......???.....」
オスカルは文の意味が理解できず、しばし固まる。
「はぁっ.....?!」
それから思わず顔をしかめてばあやの方に振り返る。
「あ、ほらほら、じっとして。」
「なんだ?その恋する方ってのは?!」
「お嬢様。ばあやには何でもお話し下さいませ。秘密は禁物です。」
そういうとばあやはくふふ..と意味ありげに嬉しそうにわらった。
「お嬢様もついにおできになったのでございましょう?恋する殿方が。」
「な....っ、なんのことだ!!おい!!」
思わず立ち上がり、ばあやを怒りまじりにいぶかる。
「大丈夫。旦那様には内緒にしておきますですよ。で、どこのどなたなんですか?オ
スカルさまのお心を射止めたのは。」
ばあやはどんなに睨みつけられても、一向に構わない様子だった。
「だから、なんのことなんだ??!!私の恋する殿方ぁ?!!気持ち悪いことを言う
な!!」
「あらら...。本当に違うんでございますか?この前からオスカルさまは時々、行
き先もはっきり告げずにお出かけになったりして、しかもアンドレもおいてお一人
で。その上、お食事もすまされてご帰宅なさるし....。」
「ああ、なんだ....。」
オスカルはどすんともう一度椅子に腰掛ける。
アベラール邸に出かけていくことは、あまりはっきり説明していなかった。
どのように出会ったかも知られたくないし、名を出せば、母がどう思うかわからな
い。
でも、自分にとっては最早必要な場所となっていたのだ。
アベラール邸に行っていることをそんなふうに思っていたのか。アベラール
邸...、恋する殿方....。
オスカルはくすりと笑った。
「はははは!確かに恋する殿方だな!」
老人と子どもだが。オスカルは内心そう付け加えて更に笑う。
「まぁ、なんでございましょうね!!そんなにお笑いになって。はぁ....。違う
んでございますか....。」
ばあやはいかにもがっかり....、という様子で肩を落とす。
「奥様が、あんなことをおっしゃるからてっきり....あわわ。」
独り言のようにつぶやき、慌てて、口をつぐむ。
「?!!母上?母上がなんとおっしゃったのだ?!!」
「い...、いえ、なんでもございません!」
「あーっ!!母上、あのことをおっしゃったのだな!!私が母上の昔の話をうかがいにいったことを!!」
オスカルが大声を上げる。
「申し訳ありません!!奥様には口止めされておりました。それでも、奥様もばあや
も嬉しくて、つい。」
「母上にも申し上げたが、そういう意味で知りたがったのではないっ!!断じて!
ち・が・うッッ!!」
「本当に...?」
ばあやがもう一度意味ありげにオスカルを見る。
「違うといったら違う!!」
「はいはい。わかりました。ばあやの勘違いでございましたよ。それでもお嬢様、こ
れだけは申し上げておきます。もし!!万が一!!そういう意味でそういうお話しが
聞きたければ、どうぞ、ばあやにもお尋ね下さいまし。オスカルさまのお姉上さまの
ことも昨日のことのようによーーっく!覚えております。
マリー・アンヌさまの年上好きとジョゼフィーヌさまの面食いはそりゃ、もう奥様と
旦那様を悩ませましてね。」
「ああ、ああ!!もういい、もういい!!遅刻するわけにいかないよ。」
オスカルが席を立つ。
ばあやはあきらめてオスカルを見送った。

「おう、どうしたオスカル、遅いじゃないか。遅刻するぞ。」
アンドレが、やっと屋敷から出てきたオスカルを急かせる。
「ああ、ったくまいったよ。ばあやにひきとめられて。」
二人は慌しく馬車に乗り込んだ。
「で?おばあちゃんが何だって?」
「いや、まったくまいったよ。アベラール邸に行っているのを、私がどこぞで逢引で
もしているのではないかと勘ぐられた。」
「逢引ぃ?!おまえがぁ?!!」
どわっはっはっは!とアンドレは遠慮会釈なく大音量で笑う。
「おい!笑いすぎだぞ!おまえ!!」
「あはははは!!すまんすまん。しかし、なんだおばあちゃんも一体、言うに事欠い
て。お前が逢引!!」
アンドレの笑いは止まらない。
オスカルが憮然とする。
「しかし、オスカル、お前も悪いよ。なんだってアベラール邸に行くことをそんなに
隠し立てするんだ。」
「う....、いや、それは、その...、やっぱりなんだな、どのようにしてアベ
ラール先生と知り合ったか知られたくないからな...。」
もう一つの理由、母の元恋人かも...は、やはり言えない。
「ふぅん...。そんなの適当にごまかせばいいのに...。」
アンドレはオスカルが何か隠していることに気が付いていた。しかしオスカルの様子
をじっと見つめながらも、それ以上、問うことはやめた。
「そうだ!アンドレ、おまえも今度、一緒に来いよ。きっと、お前も気に入る。」
「いいのか?」
「ああ、きっとアベラール先生は歓迎してくれるさ。」
そうすれば、逢引疑惑も晴れるしな、と付け加えてまた笑った。
「で、おばあちゃんはあっさり引き下がったのか?お前が逢引ではないと言ったこと
を信じたのか?」
「当たり前だ!!気持ち悪い!!」
「ははは!そりゃ、さぞかしおばあちゃんはがっかりしただろうな。」
「勘弁してくれよ。まったくまいったよ。姉上の恋愛話しまで聞かされそうになっ
た。」
「おいおい!お前に恋愛話しか?!」
「そうだよ。ったく!ジョゼフィーヌ姉上は面食いだったの。マリーアンヌ姉上は年
上好きだったの....。」
そこまでオスカルが言って、ふと止まる。
ん?なんだろう?何かひっかかるような・・・?
考えようとした時、馬車がとまった。
「おい、オスカル着いたぞ。」
アンドレがうながす。
「え?あ、ああ。」
我にかえり、馬車をおりた。
近衛の兵舎の前はいつになくざわめいている。
「おい、今日、今かららしいぞ。例のオリエンテーリング大会の相棒を決めるくじ引
き!」
「ああ!神様!優秀なヤツと組めますように!!」
「僕はいいよ。優勝なんてねらってないし、無難なヤツと組みたいな。」
通りすがりの近衛兵達のおしゃべりが耳に入る。
オスカルとアンドレは顔を見合わせた。
今日?今からくじ引き?
大変だ!こうしてはいられない。
そのままオスカルは、何にひっかかったのか、考えることを忘れてしまった。

「おい!オスカル!おいってば!!」
アンドレが呼び止める。
「おいっ!!」
ついにはオスカルの肩をぐいと掴み止める。
「辞退しろ!不参加にしろ!!わかっているだろう?!」
必死になって説得を試みる。
「心配するな。大丈夫だ。」
当のオスカルは暢気なものだった。
「大丈夫なものか!!もしギルマンとペアになったりしたらどうするつもりだ?!」
野営があるんだぞ?あいつと二人で一晩過ごして何もされないと思うのか?!どんな卑怯な手を使ってくるかわかったもんじゃない!あいつがおまえに何をしようとして
いるか、わかっているのか?!」
アンドレはこの何もわかっちゃいないお姫様にこと細かく、その危機がどんなもので
あるかを説明したかった。
だが、それはオスカルがもっとも嫌うことだった。
女性扱いされることは彼女を怒らせるための、一番簡単な怒りのスイッチボタンなのだ。
怒り出して冷静さを失えば尚のこと説得できなくなる。
「わかっているさ。」
だがオスカルは案外冷静にアンドレに答えた。
「私が女だからなのだろう?」
あっさり自分が女であると語るオスカルにアンドレが驚く。
「私が女であいつが男で、その上、あいつは私に恨みをもっている稀代の卑怯者だ。
こんな二人が二人っきりで野営でもしたなら、どんな危険が女である私に及ぶかわからない、ということだろう?」
こんなことをオスカルがあっさり自分から認め、いたって冷静に口にするなん
て....。
アンドレは驚き、二の句が告げなくなる。
「わかっているさ、アンドレ。だが大丈夫だ。安心しろ。考えてもみろ。今回の大会
の参加人数を。私があいつと偶然ペアになるだなんてまずあり得ないだろう?あいつの2〜3人の取り巻きなぞ取るに足らん連中だ。それこそ一人では何もできない。
残りの近衛兵達はいたって紳士だ。もしくはジャルジェ家に気を遣う連中だ。私は優
勝を狙う。野営なぞする気はないが、もし野営になったところでなんてこともない
さ。そうだろう?」
意外なオスカルの冷静な分析にかえってアンドレが説得される。
こう言われては返す言葉がみつからない。
押し黙るアンドレと暢気そうなオスカルのもとへ、同じラクロ中佐の下で仕事をして
いるディドロ大尉が現れた。
「やぁ、オスカル、早く早く!急いで!君が来ないとくじ引きが始められない。ラク
ロ中佐の執務室だ。」
「ラクロ中佐の執務室?」
「そうだ。あれ?まだくじのやり方聞いてないのかい?全くの見知らぬ者同士が組む
より、仲間同士が良かろうっていうんで、それぞれ同じ直属の上官を持つ、同じ階級
の者同士でくじを引くことになったんだよ。さ、早く!ラクロ中佐の下の大尉達が皆
待っているよ。」
ラクロ中佐の下の大尉....。
それってたったの5人だけではないか!!
しかもギルマンを含めて!!
「おっ!!おいっ!!オスカルっっ!!」
慌てて止めようとしたアンドレの前で無情にもラクロ中佐の執務室のドアは閉じられ
た。
アンドレはただ蒼白となり立ち尽くすしかなかった。

「ジャルジェ大尉。どうやらこれで全員集まったようだな。」
ラクロ中佐がこよりを持って立ち上がる。
ラクロ中佐の執務室には、ディドロ大尉、バルテルミー大尉、そしてギルマン大尉の
3人がオスカルを待っていた。
ディドロ大尉は温厚そうな青年で、バルテルミー大尉は乗馬の得意な長身の男だ。二人ともなんの問題もない。
もう一人、クラルテ大尉がいるのだがその姿が見えない。彼はもう50近い年だ。こ
ういった大会はすでに引退ということだろうか....。
チラリとギルマンを見ると向こうもオスカルを見ていた。
二人ともふん、と顔をそむける。
ラクロ中佐が4人の元へ歩み寄りこよりを差し出した。
「さぁ、一本づつ引きたまえ。こよりの先は赤いものと青いものがある。同じ色の者
同士がペアを組む。いいな。」

こういう時、奇妙に予感することがよくある。
オスカルは引く前から結果がわかっていたような気がした。
自分の赤いこよりの先を見つめ、それからギルマンの持つ赤いこよりに目をやった。
ディドロ大尉とバルテルミー大尉はお互い、よろしくと握手をしあっていた。
嬉しい筈のない結果だ。大きく溜息をつきたいところだった。
これが運命であったように思えた。

4人はクジを引き終え、ラクロ中佐の執務室を出た。
アンドレが心配そうにオスカルを見つめた。
「すまんな、アンドレ。心配をかけて。」
オスカルが肩をすくめてみせる。
「ど...どういう意味だ?」
先をさっさと歩いていくギルマンの方にあごをしゃくった。
「ま...まさか...。」
「そのまさかだ。こうなる運命だったのだな。」
「おっ!おいっ!!冗談ではないぞ!!おい!オスカル!!取り消してもらえ!!今からでも遅くない!参加を取りやめろ!!運命って....!一体なんの運命だ!おまえがあんな下司野郎の餌食になるのが運命だというのか?!」
「餌食っておまえ、大げさだな。」
「お....っ、大げさ?」
アンドレが情けなさと怒りの入り混じったような顔になる。
「大げさっておまえ....、大げさなものかッッ!!わかっているのかっ!お
いっ!!オスカルッ!!」
こいつはわかっていない。やっぱりわかっていない!さっぱり!全然!!全く!!!
わかってなんかいないっ!!
オスカルに掴みかかろうとしたその時、ラクロ中佐が現れた。つかつかと二人の元へ歩みよる。二人は慌てて居住いを正した。
「ラクロ中佐、何か?」
オスカルが敬礼した後、たずねる。
「うん。」
ラクロ中佐はうなずき、それからしばしオスカルを見つめた。
オスカルが不思議そうに中佐を見る。
「オスカル、一度しか聞かない。よく考えて返事をしろ。」
「....?」
「クジの.....、クジ引きのやり直しをしたいか?」
オスカルの顔に驚きの表情が浮かぶ。
ラクロ中佐の顔はいつもと変わらず上官の顔だった。部下を心配する上官の。
オスカルは静かに目をふせた。そしてゆっくり首を横にふった。
「いえ....、いいえ、中佐。その必要はありません。」
それからもう一度中佐を見上げる。
オスカルとラクロの視線があった。そのまま二人はしばしみつめあった。
「そう....か...。いや、わかった。余計なことを聞いたな。気にしないでく
れ。」
ラクロ中佐がじゃぁと片手をあげ、それから去ろうとした。
「ラクロ中佐!」
オスカルが呼び止める。
アンドレがはっとしてオスカルを見守る。
ラクロはうん?と振り返る。
「ありがとうございました。心配して下さって。」
ラクロはもう一度うなずき、それから去っていった。

「おい!!オスカル!!」
アンドレがさっきのつづきとばかり先を歩こうとするオスカルの肩をつかむ。
「ラクロ中佐もああ言って下さっているんだ。意地を張るのはやめろっ!お
いっ!!」
オスカルはゆっくりアンドの方へ振り返った。
オスカルにはいささかも動揺した様子がみられなかった。
「アンドレ・・・。」
静かに語りだす。
「お前もだ。心配してくれてありがとう。感謝している。だがな、この大会はギルマ
ンと組んで出場する。何も特別なことをする必要はない。」
「オス・・!」
アンドレを制してことばをつづける。
「アンドレ、おまえが言わんとすることはよくわかっている。本当に....。わ
かっているんだ。」
「それなら!」
「それでもだ。アンドレ、それでも。それでも、私はやる。わかるんだ。おまえが心
配するようなことにはならない。必ず、私はヤツをも制してみせる。私は....大
丈夫だ。」

オスカルのことばで不安がぬぐわれたわけではない。
オスカルがなんと言おうとあのギルマンがこのチャンスになにも仕掛けてこないとは
到底思えない。それはオスカルもわかっているはずだ。
それでも、アンドレはことばをなくした。
確かに今までのオスカルとは違う何かを感じた。
このオスカルの静かなる決意は誰も覆すことができない.....、それだけははっ
きりわかった。


雪が解けた早春のある晴れた日、大会は華やかに行なわれることとなった。
つづく