琥珀の思い出 6



「う....」

苦しそうなうめき声とともにオスカルの意識が戻る。

うすぼんやりと目をあける、木々が頭上を包み込むかのように茂っている。

何....?

ゆっくりと記憶が戻ってくる。

 「そう...か。落ちたんだ...。」

全身がぎしぎしと痛んだ。

身体を起こそうとして、左腕に激しい痛みがはしる。

 「つぅっ!!」

ゆっくり左腕をかばいながら半身を起こす。

 「腕...、折れたかも...しれない....」

そっと右腕で左腕に触ってみる。激痛が走る。

他、痛い場所を確認する。

 「どうやら、他は大したことなさそうだ...。」

独り言のようにつぶやき、改めて頭上を見上げる。

風に揺れる木々の上にちらりちらりと岩の先端が見えた。

 「あそこから落ちたのか...。」

10メートルくらいあるだろうか。想像したほど、深くはなかったようだ。

 「下に木や草が生い茂っていたのが幸いしたんだな。」

木々がクッションの役割をし、大事に至らずにすんだことを知った。

 「そうだ!ギルマン!」

オスカルは厄介な自分の相棒を探した。

4〜5メートルほど先の草陰に自分と同じ白い近衛服を確認する。

 「おいっ!ギルマン!大丈夫か!」

声をかけるが応答がない。

オスカルは慎重にゆっくり立ち上がった。

左腕をかばえば、どうやら歩くことはできそうだった。

打ち身で痛む身体をなだめるように動かしギルマンのもとへ歩み寄った。

 「ギルマン!おいっ!大丈夫か!」

耳元で大声で名を呼ぶ。

 「ぐぅっ....!」

ギルマンの意識が戻ろうとした。

ゆっくり目をあけ、あたりをぼんやり見つめる。

やっとオスカルにギルマンの焦点があわさった。

 「ジ...、ジャルジェ...。」

 「大丈夫か?わかるか?谷へ落ちたんだ。」

思い出すにつれ、ギルマンの顔は改めて恐怖に引きつった。

ギルマンが身体を起こそうとする。

 「いっ!!痛いっ!!」

苦痛に顔をゆがめる。

 「大丈夫か?どこが痛い?身体を起こせるか?」

 「痛いっ!!起こせない!おいっ!なんとかしろっ!」

 「落ち着け、ギルマン!ゆっくり手を握ってみろ。そうだ。それから開いて。そう。大丈夫。

次は腕だ。曲げてみろ、ゆっくり、ゆっくり。」

 「痛いっ!!」

 「曲がらないほど痛いのか?落ち着いてゆっくり。」

すこしずつ身体を慣らしてみるとギルマンの方は足をやられているようだった。

 「左足だな。そんなに腫れてはいない。ちょっとねじったんだろう。」

 「適当なことを言うな!!こんなに痛いんだ!折れているに決まっている!!」

ギルマンの顔はまっかになり、目には涙がにじんでいた。

 「そっ!そうだ!!救援を!助けを呼ぼう!おいっ!ジャルジェ!花火だ!」

万が一の救助が必要になった時のために、参加者達は小さな火薬花火を持

たされていた。

 「花火はお前が持つと言っただろう。どこにある。早くだせ。」

ギルマンの顔色がさっと変わった。

なにかと悪巧みを考えていたギルマンはオスカルに助けを呼ばせないため、

花火は自分が携帯すると言いはり、その上、その花火をわざと携帯せずにきているのだ。

 「......。」

黙り込み、それから小さな声で「忘れた...。」と言った。

オスカルは小さなため息をついた。

太陽はほとんど沈みかけていた。

 「しかたない...。今夜は野営だ。元気を取り戻して、明日、なんとかしよう。

とりあえず寝られるところを探さなければ。」

 「バカを言え!こんな怪我で!こんな所で野営だなんてまっぴらだ!!

ジャルジェ!お前は歩けるんだろう!お前が助けを呼びに行け!」

 「無理だ。もう日が沈みかけている。早く安全なところに火を起こさないと!

私がいない間に狼でもきたらどうするつもりだ。」

ギルマンはびくりとからだを大きくこわばらせ、そして黙り込んだ。

 「ちょっと場所を探してくる。」

オスカルが立ち上がろうとするとギルマンが慌ててとめた。

 「まっ!待て!待ってくれ!俺をおいて行く気なんだろう!お...っ!狼が!!」

 「すぐに戻って来る!」

最初からわかってはいたが、足手まといにしかならない相棒だった。

オスカルは痛む身体で、草むらを出た。

小川が流れ、幸いなことにすこし先にほこらのように穴をあけた岩が見つかった。

 「おいっ!ギルマン!この先に岩場がある。あそこなら火も焚ける。

そこまでなんとか移動しよう。」

 「無理だっ!!」

オスカルはギルマンに気づかれないように小さくため息をつき、それから説得を試みる。

 「ギルマン、こんな草むらでは火が焚けない。

それがどんなに恐ろしいことかわかるだろう。狼もくるかもしれないし、毒蛇だって。」

ギルマンの顔が恐怖にひきつる。

 「さぁ、手を貸すからほんの50メートルほど先なだけだ。」

 「ごっ50メートル!!」

 「ほらっ!右足を曲げて!そうだ!左手を私の肩にかけろ。」

ギルマンの腕が左肩にかかるとオスカルの左腕に激痛が走った。

 「......!!」

声をあげずに耐える。
ぎゃぁぎゃぁわめき散らすギルマンをなんとか立たせ、ゆっくり歩き出した。

わめくギルマンの体重が左肩に響くたびに耐え難いような激痛が走る。

オスカルの顔色は真っ青だった。

50メートルだ。ほんの50メートル...!

オスカルは必死で自らに言い聞かせ、その痛みをおくびにも出さずに歩いた。

なんとかほこらに着き、ギルマンをゆっくり座らせる。

自らも倒れこみたい衝動を抑え、やるべきことのためにもう一度来た道をもどった。

 「おいっ!どこへ行くっ!!」

正直、返事をするのも億劫だった。

だが、ここで邪険な態度をとれば余計彼をパニックに陥らせるのは目に見えていた。

厄介な相棒ではあるが相棒だ。こんなヤツが相手でも今はこのオリエンテーリングの

敢行という任務を遂行するしかない。

 「焚き木を集めてくる。そこで待ってろ。」

オスカルは右手で焚き木を拾い集めてはほこらに運んだ。

火をおこした時はすでに暗くなっていた。

ぱーん、ぱーんと遠くで火薬花火を打ち上げる音が何度かした。

少なからぬ数のリタイアが出ているようだった。他人の花火の音が、

自分もリタイアしたいと誘発させているのだろう。

最後にオスカルは自らのサッシュを裂きそれを水に浸してもどってきた。

 「どこだ。痛むのは。」

ギルマンはことさら大げさに痛む足首を指した。

 「ブーツを脱げ。少し冷やした方がいい。」

 「お前が脱がせろ!」

 「ならいい。そのままでいろ。」

ギルマンは悔しげなうめき声をもらし、それから自らブーツを脱ぎ捨てた。

痛い痛いと大声をあげながら。

オスカルは黙ってその足首に、水に浸したサッシュをあてた。

野営用の固パンをかじり終えると疲れのためかひどい眠気に襲われた。

 「交代で火の番をしよう。ギルマン、先に休め。」

ギルマンは命令するなと一言毒づくも、そのまますぐに深い眠りにおちていった。

オスカルはそんなギルマンを一瞥し、それから焚き木をくべながら星空を見上げた。

 「晴天だったのが不幸中の幸いだな。」

ぱちぱちと火の燃える音、ギルマンの寝息、こんな中で見上げる星空であるが、

いつもと変わらずに美しく輝いている。怖いような闇と怖いような星の数。

オスカルはその美しさのみを心に抱こうとまっすぐ星空を見つめた。



5時間が過ぎた。

オスカルの疲れも限界に達してきている。

オスカルはギルマンを揺り動かした。

 「おいっ!ギルマン、起きろっ!交代だ!」

 「う...う...ん...。」

ギルマンが眠そうに目をあける。

 「交代だ。火の番をしろ。」

半分寝ぼけた、半分不満げな顔のギルマンがやっと起き上がる。

 「もうか?ジャルジェ、貴様ばかり休もうとしているんだろう。」

ギルマンのことばは全て右から左に聞き流す。

 「いいな、火を絶やすなよ。」

オスカルはそうとだけ言い、その身を横たえた。

ひどい疲労感に襲われる。

泥に沈みこむように眠りに落ちた。

そんなオスカルを見つめるギルマンの目が妖しく光った...。



ふと人の吐く息を頬に感じオスカルが目を覚ます。

次の瞬間、再び左腕に激痛をおぼえる。

 「ぐっっ!!」

苦痛に顔をゆがめる。

ギルマンが上から覆いかぶさり、オスカルの両腕を押さえつけたのだった。

 「腕に怪我をしているんだろう...。」

ギルマンがさも愉快そうにオスカルを見下ろしながら言う。

 「オスカル...、この瞬間をどれだけ俺が心待ちにしていたかわかるか?」

下卑た笑顔に舌なめずりをする。

 「今のお前のその腕ではケンカもできまい。

お前は女のくせに自惚れ、分もわきまえず、軍規を乱した。

お前がどんなに浅はかだったか今晩じっくり思い知らせてやる。女とは、

男とはどういうものかをな。どんなに泣いたって叫んだってお前の従僕は助けに

来ないぞ。今晩、お前は泣いて俺に助けを乞うんだ!」

ギルマンの息づかいはどんどん荒くなってくる。

オスカルは苦痛にきつく閉じた目をゆっくりギルマンに戻し開いた。

まじまじとギルマンを見つめ返す。

「お前...」

オスカルがやっと口を開いた。

 「......バカか!」

 「なっ!!バっ!どっどういう意味だっ!!」

落ち着き払ったオスカルの態度にギルマンの方がたじろぐ。

 「確かにお前の言うとおりだ。私は腕を負傷した。このままでは満足な

殴り合いはできないさ。だが、それがどうした?お前は足を負傷している。

残念ながら今は私自身でお前を打ちのめすことはできないかもしれないが、

負傷しているお前から逃れ、お前をここへおいて逃げることくらいは充分にできると

思うが......、どう思う?

後は狼にお任せするかな...。偶然、助けが来るのをいつまでもここで待ってろ。」

ギルマンの顔から血の気が引いた。

 「なっ...、何を!いいさ!それならわからせてやるだけだっ!!」

もはや虚勢だけのギルマンだったが、それでもオスカルの軍服を脱がそうと手をかけた。

 「ほらっ!どけっ!重いっ!」

オスカルはギルマンの負傷した足首をコンと蹴りあげた。

 「うわっ!!うわっ!!何をするっ!!」

ギルマンが痛さに撥ね退けた。

オスカルが半身を起こし口元に不敵な笑みをたたえながら、しかし眼光鋭くギルマンを

睨みつけた。

 「いいか、ギルマンよく聞け。今度、私の身体に指一本触れてみろ。すぐにここに

お前をおいていく。2度目はないぞ!わかったな!!」

そういうとオスカルは再びごろんと横になり、すぐに寝息を立て始めた。

 「な...っ!!もう寝てやがる!こいつ...!一体、男をなんだと...!」

ギルマンは毒づきながらオスカルの大胆不敵な寝顔に目をやった。

淡い薄紅色の唇から寝息がもれる。長い睫はどうかすると星の光を反射

するかのようにキラキラと輝き、火に照らされる白磁のなめらかな頬がほんのり

紅潮してみえた。岩肌に散らばる金の絹糸が頬にもかかる。ギルマンは、それに

触れたい衝動に一瞬かられる自分に気がつく。

ぷいとそむけるギルマンの顔は赤くなっていた。









つづく