「琥珀の思い出・・・7」



「寒...っ」
オスカルは寒さにぶるっと震え目をあけた。
夜が白々とあけていく。
ギルマンはこくりこくりと居眠りをし、火は消えかけていた。
ちっと舌打ちをし、オスカルが起き上がった。
「ギルマンのやつ...。まぁ、いい。明るくさえなれば。」
オスカルはギルマンを揺り動かした。
「おいっ、ギルマン!起きろ!」
「う....ん...。」
ギルマンが眠そうに目をあける。
「おきろっ!今日はなるべく早く行動しよう。」
オスカルはふーふーと消えかかった火に息をふきつけ、なんとか勢いを取り戻そうとした。
細い枯れ枝をくべ、ようやく再び火が燃え始める。
「せめて暖かいお湯でも飲んで、パンを少しでもかじった方がいい。どうだ?足は痛むか?」
冷やして休んだのが功を奏したのか、ギルマンの足はかなりいいようだった。
「この川沿いに行けばゴールに着く。川沿いならばほぼ直線だからそんなに遠くはない筈だ。私が一人で行って助けを呼んでこようと思うがそれでいいか?」
お湯を手渡しながらオスカルが聞いた。
「一人で?」
ギルマンの顔が青ざめる。
「いやだ!俺も連れて行け!お...俺をおきざりにするつもりなんだろう!」
やれやれ、夕べの薬が効きすぎたらしい。とことん厄介なヤツだとオスカルは肩をすくめた。
「お前がそうしたいならいいさ。歩けるのか?」
ギルマンは今度はいつになく慎重に考えるふうだった。
ゆっくり怪我をした足を触ってみる。
やはりまだ痛む。
が、昨日ほどではない。
歩いてみるか...。
正直、オスカルが本当に自分をおきざりにするとは思ってはいない。しかし、たった一人でこのようなところで何時間も待っているのも耐え難く思える。
少しでも歩けるだけ歩いてみようか...、そんな気持ちになっていた。
「あ...、歩いてみる...。」
ぶっきらぼうに答えた。
オスカルにとって、ギルマンと歩くのは足手まといだった。
一人で歩いて救援を頼んだ方がやさしい。
歩くといったところで、肩はかさねばならないだろう。
肩にさわられれば想像しただけで恐ろしくなるような痛みが走る。
...だが......。
「よし、わかった。一緒に行こう。」
オスカルはそう答えた。
ギルマンが歩くと言うのなら当然受け入れるべきだった。それは「この大会を棄権せずにすむ」という意味を持つ。
オスカル一人が帰り救援を求めるということは、すなわちこのオリエンテーリングを棄権することに他ならない。
どんなに遅くなってもいい。最低限の任務は遂行したい。なんとかゴールしたい。
どんな苦しい道のりでも、自ら棄権はしない。
オスカルは自身にそう言い聞かせていた。

朝食を終え、二人は出発した。
ギルマンがオスカルの肩につかまると案の定、激痛が走る。
オスカルはただ黙ってそれに耐えた。
ゆっくり歩を進めた。
数メートル歩いてみると、ギルマンも自信を取り戻したのか、なんとか歩けるようになっていた。
オスカルの方は、歩けば歩くほど、ギルマンの体重を肩に受ければ受けるほど痛みが増す。
オスカルはちらりと後ろを振り返り、自分達が野営した場所をみた。
まだ、たったこれしか進んでいない。
本当にゴールまで行き着けるのだろうか...。
気の遠くなるような距離を思った。
10分、20分、時間がすぎる。
ギルマンの方はコツを得たのか、どんどん歩きがスムーズになってくる。
なんとかなりそうだ!
オスカルは自分一人が痛みに耐えさえすればゴールできることを思い、ひたすら歩いた。
歩くにしたがい、あれほど高かった谷の岩がしだいに低くなってきた。
間違いなくゴールに近づいているのだ。
途中で、何度か休憩をとりながらも二人は歩み続けた。
出発してから5時間近くが経過し、時計は10時をさした。
まわりの谷は消えうせ平坦地になっていた。
ゆるやかに川が流れる。
「あと少しだ。ギルマン!」
「言われなくてもわかっている!!」
ギルマンのいつもの悪態も少し違っていた。悪意よりも自分自身への励ましの意味で答えている。二人でゴールを目指すという共通の目的を果たしながら、彼も必死なのだ。真剣にならざるを得なくなっていた。

茂る木々の向こうに明かりがみえた。
「ギルマン!見ろ!ゴールだ!」
遠くに見える木々の隙間。
その明かりを目指し二人はいっそう我が身を奮い立たせた。
小さな木々の切れ目はしだいに大きくなり、やがてはっきりとゴールの広場が見えた。
奥に、国王陛下が狩猟の際に使う小さな館が見え始めた。
館の前にテントが張られ、皆が待っているのが見えた。
向こうからもオスカル達の姿を確認した。
うわーーーっと大きな歓声があがる。
すでにリタイアした者達を含め、大勢の近衛兵、見物の将校、貴族、そして王太子夫妻までが立ち上がって拍手で二人を迎えた。
一歩、また一歩。
ゴールのラインまで必死の思いで足を進める。
そしてついにゴールラインを踏む。
と、ともに二人は地面に崩れ落ちた。
「おめでとうございます!ジャルジェ大尉!ギルマン大尉!あなた達が優勝です!」
かけよった兵士にそう声をかけられ、二人は耳を疑った。
「オリエンテーリングの出題がむずかしすぎたようで、ほとんどの者達がリタイアをしたのです。まだ、残り何組かが森にいますが、あなた達が一番に戻られました!」
「おいっ!衛生班!医者を呼べ!負傷しておられるぞ!」
二人のまわりはにわかに慌しくなる。
「痛い!痛たたたたっ!!おいっ!不用意に触るな!」
ギルマンはわめき散らしながら近くの椅子に座らされた。
「ジャルジェ大尉、立てますか?」
衛生班がオスカルを助け起こそうとする。
オスカルはその助けの手をとらなかった。
そのかわりにもう一度自らを厳しく律し、自分自身で立ち上がろうとした。
腕を曲げて...、地面を押して...、半身を起こして...。
ゴールしてほっとしたのか、痛みが更に強く感じられる。
立とうと力を入れるが、思うように身体が動いていない...、気がした。
力をいれているつもりなのに、入っていない。突然、がくりと腕が落ち、オスカルは再び肩を打つ。
「ぐぅっ!!」
痛さに耐えかねて声を漏らす。
「ジャルジェ大尉!」
衛生兵が見かねてもう一度手を差し伸べる。
目の前に差し出された手をにらみつけ、オスカルは首を横にふる。
助けはいらない。
自分で......!!立つ!!
誰の力も借りずに、ゆっくり、ゆっくり、オスカルは再び立ち上がった。
すぅっと立ち上がったオスカルの姿を見て、一瞬まわりの兵士達が息をのんだ。
風に揺れるブロンド。
汚れた軍服。
土ぼこりにまみれた頬に、凛と輝くブルーの瞳は尚一層の光を放つ。
それは、見る者の胸を打つ戦いの後の気高い美しさだった。
オスカルの方がひどい怪我をしているらしいことは見るだに明らかだった。しかし、それでも自立する誇り高さ。オスカルはそこにいるだれよりも超然と、欄然と、敢然とし、そして大きく見えた。
まさに軍神マルスの姿を目の前にしたかのように、皆、静まりかえったのだ。
この人は一体何者なのだ?
男でさえもむずかしいオリエンテーリングをあの問題児ギルマンと組んで、顔色一つ変えずに優勝してしまう。
この人は一体...?


次の瞬間、わーーーっと再び大歓声が湧き上がった。
「ジャルジェ大尉!あなたは軍神マルスの申し子だ!紛れもない天才だ!」
「どんな魔法を使われたのか?!」
口々に褒め称え、やがては皆、オスカル、オスカルと彼女の名を連呼し始めた。
オスカルはその歓声の中、王太子夫妻の前に歩みより、礼をとり、それから館の中に消えていった。

用意されていた一室に入る。
アンドレが後から追いかけてきた。
外の大歓声は止むことがない。
「オスカル!」
夕べから一睡もせずに待っていたアンドレが声をかける。
それには答えず背をむけたまま、「そこのドアを閉めろ。」とだけ告げる。
ドアを閉める音を背後に聞き、オスカルの肩が小刻みに震えだした。
「...オスカル...?」
アンドレが心配そうに再び呼びかける。
外から聞こえるオスカル、オスカルという連呼が止むことはない。
「...オスカル...?ど...どうした?泣いているのか?おい、お前、まさかギルマンに何かされたんじゃ...。」
「させるかっ!!」
「それじゃ何故泣いているんだ。オスカル、答えろ。」
アンドレの声音は更に不安げに高まってくる。
「......思うか...?」
「え?」
突然のオスカルの問いかけが聞き取れない。
「だから...、お前も.........と、思うか?」
「オスカル、聞こえない。」
「だからっ!お前も私が天才だと思うのかと聞いているっ!!」
アンドレははっとした。
彼女の涙の全てを理解した...。

天才などではない。
皆と何も変わりない。
苦しかったし、辛かったし、逃げ出したかった。
だけど...、だけど...。

「オスカル...。」
アンドレはそっと後ろからオスカルの肩を抱いた。
うっうっとオスカルの嗚咽がもれる。
そしてついにオスカルはわぁっとアンドレの胸に泣き崩れた。
遠くでオスカル、オスカルと連呼する声は尚一層強まってくる。
天才とあがめ自分の名を連呼する歓声が高まれば高まるほどオスカルの涙は止まらなかった。
今だけ。今、ここでだけ。
すぐにドアを開けまた大勢の人の前に立つことになる。
その時はきっと、きっとまた超然としてみせるから。
だから今だけ...。
オスカルは子供のように泣きじゃくった。





つづく