「追憶」 2-3



 息をすることさえ苦しいような沈黙の中、フランソワの嗚咽はつづいた。
 「そ、それから後のことは皆もよく覚えているだろう?隊長の身に次から次へと
襲ってきた誹謗、中傷、誤解…..。彼女がどんなに傷ついていたか…….。おれ、み
ていられなかった…….。」
 自分自身を罰するかのような激しさでフランサワは自分の膝をたたいた。
皆の心にオスカルの気丈に振舞っていた姿が思い起こされた。
   
    オスカルは不思議なくらい元気そうにみえた。最愛の恋人との死別ものりこ
   えられたかにみえた。
   しかし、ロザリー、フランソワ等、ごく一握りの人達はその不自然さに気付
   き、なにか悪いことが起きるまえぶ  れなのではないかと感じ、漠然とし 
   た不安をつのらせていった。
    初めてオスカルの異常に気付いたのはロザリーだった。
    国王に続き、アントワネットにまで死刑の判決が下された時、オスカルの激
   しい怒りは決して外にむけらてはいなかった。ただひたすら沈黙の中、自らの
   息の根をとめるかのような強く激しい怒りが彼女自身を責め苛んでいた。

    「あなた、ねぇ、ベルナール、聞いて。オスカルさまの様子が変なの。」
    不安げに夫に訴えた。
    「今日ね、オスカル様にお食事です、とお呼びしにいった時、窓の外をじっ
   とみつめられて、微動だになさらなかったのよ?まるで私の声が聞こえてい
   らっしゃらないかのようだった....。.」
    「なにか考え事をしていたんじゃないのか?」
    ベルナールもなにかの歯車が狂いだしているのは感じていたのだろう。真剣
   な面持ちで妻をみた。
    「だったらいいんだけど.......。ううん、やっぱり違う!」
    ロザリーは被りをふった。
    「今までもあったの、こんな事!そう、国王様に死刑判決が出てからだった
   と思うわ。時々お声をかけても上の空でらして......。今まではお  
 
   疲れになってらっしゃるから、考え事をなさってたからってずっとそう思っ
   ていた。でも、でも!やっぱり違うわ!それとは違う!」
    いままで抱えてきた不安が言葉にしてはっきりとした形を持った。
    「今日はね、本当に何度お声をおかけしても全く反応なさらなかったの。あ
   んなことって!あんな風に動かずにいるなんて事、できないわ。まるで お
   人形がたっているような...。」
    「でもさっき居間では普通にしてたじゃないか。そりゃ、結局食事はとらな
   かったようだけど.....。」
    妻を落ち着かせようとベルナールは優しく言った。
    「そ、それは....そう...なんだけど.....。」
    ロザリーはおしだまった。オスカルの様子が変だからといってどうする事も
   また、できなかった。 例えそれが狂気の始まりであっても、それを止める術
   などないのだ。できることならそのような最悪のことは考えたくはなかった。
    しかし、その最悪の事態が起きるまでに長い時間はかからなかった。革命委
   員会からオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ元近衛連隊長に出頭命令が下
   されたのだ。元近衛連隊長、それがパリ市民が彼女に与えた肩書きだっ
   た....。ベルナールの留守中での突然の出来事だった。オスカルはまるで
   それを望んでいたかのように大人しくついていった。微笑みさえたたえ
   て .....。厳しい取り調べ、全く事実無根の事柄を並べ立ててのいたぶ
   りは丸3日間続いた。必死のベルナールのとりはからいにより要約釈放された
   のは連れて行かれてから3日めの夜遅くのことだった。
    彼女の風貌が憔悴しきり、やつれはてているのは誰の目にもあきらかだっ
   た。そして今度こそは誰の目にもそれが異常にうつった。オスカルはそれでも
   何事もなかったように強く振舞っていたのだ....。 まるで今にも切れそ
   うな張り詰めた弦のように。
    心配かけて申し訳なかったね、と皆に詫びをし、変わった事はなかったか、
   といつもの事務的な口調で質問し、支持を出し、そして....。
    「もう疲れたから休みたい...。」
    これがオスカル・フランソワの発した最後の言葉になった。
    自室にひきこもったまま、次の朝になっても、昼になってもオスカルは出て
   こなかった。心配したロザリーがオスカルの部屋を合鍵で開け、みつけたの
   は、身体だけ生かし、魂を“死の大天使”に連れ去られたオスカルの屍だった
   のだ。彼女は自らの心を殺したのであった。

 これ以上ない程の重い沈黙……。
 今まで経験したことのないような、苦しい、後悔、自責、やるせなさ。そんなもの
がその場にいる全ての男達に覆い被さっていた。
 どれ程長い沈黙であったかはわからない。ようやくフランソワが再び口を開いた。
 「そいつの言ってる事、正しいよ.....。俺達は隊長を守りきれなかっ
た....。そりゃ、誰にも..、誰もアンドレの代わりになんてなれやしないけど
! ......だけど....、今、多分隊長を救えるとしたら、そいつし
か......いない......。」
 フランソワは一同を堂々と見据えた。そして成熟した男の顔をしてはっきり言っ
た。
 「俺...、隊長が...、好きだ。」
 衛兵隊士達は一瞬、彼の輝いた顔に圧倒された。フランソワはすぐにまた、いつも
シャイな表情で下を向き、つづけた。
 「笑っちゃうよな....。俺が隊長を本気で好きだなんてさ....。俺、金も
ないし、なんか仕事ができるわけじゃないし、軍隊にいたって、銃だってなんだって
隊長の方が何倍も上手いし、ケンカだって弱いし、そばかすだらけの顔だし、頭だっ
て隊長の方がずーーーっといいしさ.....。美人で強くて頭がきれて、なにもか
もすばらしい隊長と俺じゃ、全く月とスッポンだよな.....。だけど、だけど、
本気なんだ。笑われたっていい!!本気で隊長を守ってあげたいって思っているん
だ。
 いつか、いつか、隊長を守るために俺の命を差し出すことができたら、って!それ
だけが俺の願いなんだ。神様、どうか、俺の命をあの人のために使わせて下さいっ
て。そう祈ってた......。」
 一同はフランソワのひたむきな愛にうたれた。人はこんなにもひたむきに、ただ愛
するということができるのか、と胸をうたれた。そしてそのひたむきな強い愛がいつ
の間にか友を、友として以上に尊敬に値する男に変えていた事に驚かされた。
 フランソワはさらにつづけた。
 「だからさ.....そいつに隊長を連れてかれちまうなんて、ホント死ぬより悔
しいさ。死んでもヤダって思うよ。 ......だけど、.....そいつに隊長
を......、託したい...。
俺!俺!隊長を守りたいから!!隊長を守ってあげたいから!!だから、隊長がこれ
以上傷ついていくのを見ていられない!!それだけは、そんなことだけはしちゃいけ
ないんだ!男として!!」
 何度目かの沈黙がおとずれた。しかしこの沈黙は今までのそれとは違っていた。皆
の表情が一様に何かを決心した静けさをたたえていた。
 ひたすら押し黙り、全員のことば、ひとつひとつをじっくり聞き入っていたアラン
が立ち上がった。そしてゆっくりジェローデルの前に歩みよった。
 「隊長を、よろしくお願いします。」
 そういって手を差し出した。
 ジェローデルは深い決意の瞳の色とともにその手をしっかり握り返した。

 出発の準備のためにすぐにシャトレ家は慌しい雰囲気となった。皆、つらさを必死
にこらえているようだった。
 アランがそっとフランソワに耳打ちするかのように言った。
 「おまえ一人に随分大変なもの背負わせちまったな...。」
 そう言ってポンと励ますように彼の背中をたたいた。
 「だけど、お前だけじゃない.....。俺も......。」
 そう言いかけてアランは口をつぐんだ。
 ――アランは何か、知ってたんだろうか......?――
 フランソワは彼を見つめ返したが、すでにアランはいつもの様子に戻っていた。

 荷物など、もちろん何もない。準備はすぐに整った。偽装の旅券などは予めジェ
ローデルによって用意されていた。ベルナールは二人が無事国外に脱出できるように
自分にできる全ての事をした。
 兵士全員が整列し、敬礼する中、二人は歩みだした。
 アランがすすみより言った。
 「隊長をどうかよろしくお願いします。けれど、いつかまた、パリが彼女を必要と
し、彼女もまたパリを必要とする時がきたなら、どうか、どうかその時は隊長を帰し
て下さい。我々に隊長を返して下さい。」
 ジェローデルは真っ直ぐアランを見かえした。そしてはっきりと返事をした。
 「約束する。」と。
 
二人をのせた馬車は静かに動きだした。ロザリーは涙でそれをはっきり見ることがで
きなかった。

 ――――追憶2部 完――――