「追憶」
―――3―2―――


オスカルは白馬にまたがっていた。

故かいつもの夜着を身にまとい、炎の前に立っていた。
銃声が轟く炎の中に彼女は今馬の腹を蹴り、飛び込もうとしていた。
ジェローデルは慌てて前にたちはだかり、止めようとした。
―――オスカル嬢!危ない!そちらへ行っては!!―――
―――何故?―――
はやり、棒立ちになる馬上で自信ありげな笑みを浮かべジェローデルに問うオスカ
ル。
―――何故って、そちらは戦闘が!―――
―――だからだ。早く行かねば。―――
オスカルは事も無げに答える。
―――あの中でこそ私の命は生きるのだ。―――
オスカルは真っ直ぐ右腕を伸ばし、炎の中を指さした。
その答えにジェローデルは呼吸ができなくなるような痛みともいえぬ苦しさを覚え
る。
しかし、しかし、止めなければ!早く彼女を止めなければ!気持ちばかりがあせる。
―――バカなことを!何故あなたは死に急ぐのです?!―――
―――死に?急ぐ?―――
オスカルは笑った。
―――違う、違うぞ、ジェローデル。ほら、あそこでアンドレが待っている。 アン
ドレが待っているから―――
叫ぶジェローデルを振り切り、オスカルは炎の中に飛び込んでいった。
―――オスカル嬢ッッ!!―――

ジェローデルはいつものベッドの上で跳ね起きた。
「...夢か.......。」
ひどい寝汗をかいていた。
隣りで眠るオスカルに視線を移した。
―――よかった.......。―――
オスカルがいることを改めて確認し、安堵のため息をついた。しかし、たった今の妙
に生々しい夢が思い起こされ、動悸がおさまらない。
   ―――あの中でこそ私の命は生きるのだ―――
炎を指差したオスカル。
   ―――アンドレが待っている―――
死に恋焦がれるかのように笑っていたオスカル.......。
「不吉な....」
思わず口にする。
「不吉な夢をみた........。」
そう、これは単なる夢だ。収まらぬ動悸をなんとか沈めようと、ジェローデルはつぶ
やいた。

それは唐突に起こった。
夜遅く、ジェローデルが農作物収穫の報告を受けていた時のことだった。
「ジェローデル様に!早くッ!早く!!」
玄関ホールが騒がしい。何事かと騒ぎのもとへ急いだ。
そこにはケガをし、慌てふためく小作の男がいた。
「ジェローデル様!たっ助けてくだせぇ!村が!村が夜盗に襲われて!!」
その男の様子からそれがどんな惨状かがうかがい知れた。
ジェローデルはすかさず銃をとった。
「馬に乗れる者!銃を持て!私につづけッ!!」
5〜6名の男達がジェローデルにつづいた。
もともと、召使の数は少ない田舎の城である。そういった備えは殆どなかった。
―――伯父上!来週にも手錬のものを、とおっしゃって下さったのに、どうやら間に
合わなかったようです―――
ジェローデルの全身に軍人としての血が駆け巡った。
ベロニア夫人が慌てた。
「ジ、ジェローデル様!夜盗は必ず貴族の館を狙います。わたくし達はどうすれば?
!奥様は、フランソワ様はどちらにお逃がせすれば?!!」
パーン、パーン、と銃声がする。遠くが紅く燃え上がるのが見えた。
ジェローデルは立ち止まり、紅い空をみた。
「.......オスカルだ........。」
空をみつめたまま言った。
その顔には何か重大な決意がみられた。
「......は....?」
わからずにベロニアが聞き返す。
「フランソワではないっ!!彼女の名前はオスカルだ!!」
ジェローデルは馬に飛び乗り、叫ぶようにベロニアへ告げた。
「オスカルと呼べ!この剣を渡せ!オスカルに助けを求めるのだ!!」
疾風のごとくジェローデルは駆け去った。

ベロニアは投げつけられた剣を手にし、呆然とした。
しかし、迷っている暇はない。銃声は確実に近づいてきている。
ベロニアはオスカルのもとへ急いだ。
――― 一体、ジェローデル様は何を?!気でもちがってしまわれたのかしら?!と
にかく、とにかくフランソワ様をお逃がせ申し上げなくては!!―――
ドアを破るように開け、オスカルのいる居間へ入った。
その瞬間ベロニアは悟った。何かが違っている、という事を.....。
オスカルは窓辺にたたずんでいた........。
ただ、黙ってたたずんでいた....。
いつもと同じ後姿の筈なのに、それでも何かが違うのを感じることができ
た....。
その後姿は蒼白い炎が揺らめいているように見えた。
いつものように窓辺にたたずむオスカルは、いつものように遠くを見つめていた。し
かし、明らかにその目は紅い炎を捉えていた。
オスカルの顔が紅く照らされていた。銃声ははっきりと彼女の耳をつらぬいていた。
オスカルの指先がぴくりと動いた。
ダーン、ダーンと玄関が蹴破られる音がする。たちまち上がる召使達の悲鳴。
「フ....フラン......。」
ベロニアは女主人の名を呼ぼうとした。ドヤドヤと野卑た男達の駆け上がる音がす
る。
「主人の部屋を探せ!!どけどけッ!!邪魔をする奴は皆殺しだぞッ!!」
―――だめ!もう!時間がない!!―――
追詰められ、生か死かをつきつけらる。
―――オスカルと呼べ!オスカルに助けを求めるのだ!!―――
ジェローデルのことばが耳にこだまする。
何のことやらわからない。それでも、何かをせずには済まされない。奇跡を求めて!
「オスカル様ッ!オスカル様ッ!!お助け下さい!!夜盗らがッ!!」
ベロニアはただ夢中で剣をオスカルに差し出した。

.........奇跡は起こった......。
剣は彼女の手に吸い付くように収まった。まるで、主人を待っていたかのように。
と、同時にオスカルの居室のドアが破られる。ひっ、とベロニアの叫びが漏れる。
「おおい!!ここだ、ここにいやがった!貴族の女主人だ!」
夜盗は仲間を呼ぶ。
オスカルはゆっくり、振り返った......。
夜盗らはたじろいだ。オスカルの2つの蒼い目は雌豹のように輝いていた。
ベロニアでさえ、背筋に冷たいものが走った。夜盗に対してではない。オスカルが恐
ろしく見えたのだ。
ふわり......、一瞬、オスカルが宙に浮いたかにみえた。次の瞬間、彼女は夜
盗達の中にいた。突風が吹き込んだかのように夜盗の中へすべりこんでいく。その次
の瞬間には夜盗の群れの反対端にたっていた。男達は全員急所をひとつきにされてい
た。
オスカルはゆらり、と揺れるようにゆっくり振り返った。
「ひっ!」
ベロニアがまた小さい悲鳴をあげる。蒼白い炎は決して錯覚ではない、冷た
い....、冷たい炎が燃えているのをベロニアは見た。
「.....き.....鬼神.............。」
そう、つぶやき、へたへたと座り込んだ。

炎の中、オスカル・フランソワは蘇った..........!

ジェローデル達が村へ駆けつけた時、村人達が逃げ出した後の村で、夜盗たちは略奪
のかぎりを尽くしていた。夜盗はジェローデルの到着に気付き、すぐに編隊を組むか
のように集まった。 ジェローデルと夜盗達は古い城壁をはさんで対峙した。
―――厄介なことに軍隊で得た戦術を駆使しよる。なかなか、手ごわいようじゃ。
―――
モンタナーロのことばが思い起こされる。敵は想像以上に戦い慣れしていた。その
上、こちらはジェローデル以外は全くの素人である。手ごわい上に強い敵意を剥き出
しにしてくる。それはまるで「略奪が目的ではない」と主張するかのように、城主の
息の根を止めることをねらっていた。ジェローデルはひるまなかった。彼はたった一
人で30人にも及ぶ夜盗らと戦いつづけた。
夜盗は執拗にジェローデルを狙ってきた。ビアンカ城の家来達を襲い、それを庇おう
とするジェローデルをたくみに誘い出す。それでも、彼の剣は強かった。一人、二人
と倒していく。夜盗らも苛立ちを隠せなかった。
「なっ!なにをしてやがんだ!!あんなウラナリ貴族一人に!!」
ジェローデルの剣技は夜盗らのそれをはるかに凌駕していた。
「けっ!今に泣きをみせてやる!!所詮、敵は一人だ、じっくりいたぶってやれ!」
誘い出されては剣を交え、確実に夜盗をしとめてはいったが、盗賊達の人数は多く、
ジェローデルの疲労はつのっていった。次第に極限状態に追詰められていく。状況は
絶望的なものに思えた。

「苦戦しているようだな。」
ジェローデルは虚をつかれ振り返った。
そこには軍神アテネの姿があった。
純白の夜着をまとい、素足で馬にまたがるオスカルの姿に目をみはった。
「...隊長........。」
ジェローデルは賭けに勝ったことを知った。
「あの、左から3番目の男がリーダーだ。私が殺ろう。
ジェローデル、君はあの、右端の副官だ。いいか、一突きで殺れ。
中央の男がお前を背後から狙ってくるぞ。右端の男を殺ったら左後ろに注意しろ。あ
いつは左利きだ。
他の者はその隙に奴らの後方石畳にこの油をまいておけ。3人を倒せばすぐに崩れ
る。逃げようとし、油に足をとられた所に火をはなて。
いいな、躊躇するな!敵の退路を断つのだ。禍根を残してはならぬ!」
オスカルは手早く指示をだし、ひらりと敵の前に踊り出た。
真っ直ぐ、標的に向かって馬を走らせた。
男は挑発されたかのようにオスカルを迎え撃った。
嵐のような敵の弾丸。オスカルには何の迷いも躊躇もない。ひるむことなく、突っ込
んでいく。
数々の村を襲い、恐れられていた夜盗のリーダーは一瞬にしてオスカルの剣の前に倒
れた。
ジェローデルもすかさずオスカルの後につづいた。指示どおり、右端の男にむかっ
た。剣を一太刀、二太刀、交えた。耳をつんざく銃声がし、左腕に熱い火箸を押し付
けられたような痛みがはしる、ジェローデルの馬が棒立ちになった。夜盗に致命傷を
負わせたものの、ジェローデルは負傷し、落馬した。背後から別の刃がせまる。振り
返った時は彼の心臓めがけて迫る剣を避ける手立てはなかった。
ズガーン、一発の銃声はジェローデルの背後からした。彼の髪をこがし、目の前の男
がゆっくり倒れていった。
背後にはいつの間にやら回りこんでいたオスカルがいた。
オスカルの作戦は寸分の狂いもなかった。城壁の向こうに火の手が上がるのがみえ
た。断末の叫びをあげる者、なんとか火の海から逃げ出すもの、逃げようとする夜盗
たちは皆、オスカルとジェローデルの狙撃に一撃で倒されていった。
オスカルはジェローデルのもとへ駆け寄り、馬上から手を差し出した。
「ケガはないか。アンドレ!」
ジェローデルはハッとしてオスカルを見上げた。
オスカルも目の前のジェローデルを見た。
自分自信のことばにとまどい、ジェローデルをみつめた。

ケガをしたものに手当てをするよう指示し、突然の、夜盗の来襲とそれに対する防戦
に放心状態の村人達を慰め、落ち着かせ、二人が城に戻ったのはもう明け方に近い時
間だった。

居室に入り、急に緊張がとけたのか、ぐらりと倒れそうになるオスカルをジェローデ
ルは慌てて支えた。
「オスカル嬢!」
オスカルをそっとソファに座らせた。
「オスカル嬢、大丈夫ですか?」
―――戻ってきてくれたのだな?―――
確認するように心配気に顔を覗き込む。
「大丈夫、大丈夫だ.....。」
オスカルが答える。
ほっと胸をなでおろすジェローデルの視界にすり傷だらけのオスカルのふくらはぎが
見えた。
「オスカル嬢!ケガを!」
ジェローデルはそのケガの程度を確認しようと夜着の裾をまくり、オスカルの足に触
れた。
「大丈夫だ!」
オスカルは驚いて足を引いた。
気まずいような、奇妙な沈黙が見詰め合う二人の間に流れた。
「.........あ....、大丈夫だ.....。素足で馬に乗ったりしたか
ら....。」
オスカルは視線をそらした。
「そ、それより、君の腕は.......」
オスカルはジェローデルの腕に手を伸ばす。
「大丈夫です。ほんのかすり傷です。」
指先同志が触れ合いはっとして再び見詰め合う。
静かな時の流れが二人を包んだ。

「き......君には、随分世話になった....。」
オスカルのことばにジェローデルは驚いた。
「...憶えて....いるのですか.......?」
オスカルはゆっくり注意深く答えた。
「.....ところどころ........、漠然とだが。........まる
で、長い舞台の芝居を見ていたような............気がす
る.........。」
―――ジェローデル、君が命と引き換えにしてでも、私を守ろうとしてくれたの
を......憶えている......。―――
オスカルは胸の中でそうつぶやいた。
「世話になったなどと......。」
ジェローデルはオスカルのことばに淋しい胸の痛みをおぼえた。
オスカルは立ち上がり、窓辺へ歩いていった。外をみつめ、そっと言った。
「戦いのさなか、君をアンドレと呼んだ......。」
オスカルはうつむきつづけた。
「前にもあった.......。同じことが.............、そう、あ
れはアンドレが亡くなった次の日、バスティーユに向かう前だっ
た.........。兵士達の前で私はこう言ったのだ。『アンドレ行くぞ、用意
はいいか』.....とな......。振り向いたところにアンドレはいなかっ
た......。ただ、彼の笑顔が.....彼の笑顔が.....、しゅうっと音
をたてて、空気の中に溶けて消えてしまうのが見えた......。」
ジェローデルは何も言えずにオスカルの後ろ姿を見つめた。
ふふっ、と力ない悲しげな笑いがオスカルの口元から漏れた。
「アンドレは...........、もう..........、いな
い.......のだな......。」
........突然、はらはらっ、とオスカルの頬に涙が伝わった。
オスカルの頬を幾筋も、幾筋もの涙がつたわっていく。それをぬぐうこともせず、も
う一度つぶやいた.....。
「アンドレは.....、もう.....、いないの....だ...
な.....。」
オスカルが正気に戻る時、それはとりもなおさず、もう一度、現実の耐えがたい悲し
みと対峙する時だったのだ。
オスカルの嗚咽が漏れる。こんなにも、こんなにも悲しげな嗚咽をジェローデルは知
らなかった。
「彼が死んでから、私は、何度も、何度も、彼の名を、何度も呼んでい
た........。彼は、もう、いないの....に......。
教会で祈っていた時、暴漢に襲われたことが.......あった.....。アン
ドレ、アンドレ、.......彼の名を呼んで助けを求めたの
に........。アンドレは...もう..いない..の..に....。
..........国王陛下が処刑されて、アントワネット様ま
で.........。私は、私の進むべき道が見えなくなっ
た..........。だから、だから.......アンドレに助けて欲しかっ
た。教えて欲しかった.....。私はどこへ行けばいいのか、........暗
闇の....中にいた...。
........革命委員会から出頭命令が出された時、私は心底ほっとし
た........。これで、終わる.....。王妃様が飲み干した杯と同じ杯を
私も受けて、アンドレのところへ行ける....と.......。どんな屈辱も甘
んじて受けよう、と思った。これで、この苦しみが終わるなら、と。けれど、そんな
自分の弱さ、身勝手な無責任さも許すことができなかった.......。
だから、だから、アンドレ.....アンドレに支えて貰いたかった......。
アンドレに答えて欲しかった。私はどうすればいいのか、どこへ行けばいいの
か.......。アンドレ、アンドレ.....、アンドレ!何度も何度
も.....何度も...彼の名を呼び助けを求めたのに......アンド
レ....................」
深い、深い悲しみの闇がオスカルを包んだ........。
「アンドレは........、もう......いない......の...
だ..な......。」
ただ、ただ、オスカルの頬を涙が流れていった。それをぬぐう力も残されてはいな
かった。

「あーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
突然、オスカルの悲鳴がビアンカの夜のとばりを切り裂いた。それはもともと二つで
一つだったオスカルとアンドレという魂が引き裂かれた音だったのだろうか。
「アンドレ、アンドレ、アンドレェェ!!アンドレッ!!」
狂ったように泣き叫ぶオスカルをジェローデルは抱きとめた。
それは今まで、ロザリーの前でも、衛兵隊士の前でも、アランの前でも、決して見せ
ることのできなかった彼女の心の奥底に隠れされた慟哭だった......。

   ―――悲劇のただ中へまっしぐらにむかっていく前にたちどまって...わた
   しのこの胸でよければ...いつでも...いつまでもあなただけをうけとめ
   る用意がある。何もかも…胸につかえた悲しみや肩にせおった苦しみを、みん
   なわたしにあずけてはみませんか...―――

薔薇のむせかえるような香りとともにある、遠い記憶がジェローデルの胸に去来し
た..。
「アンドレッ アンドレ!!」
自分ではない男の名を呼び、泣きつづけるオスカルをジェローデルはただ黙って抱き
しめていた......。