「追憶」
―――3―3―――
次の日、ジェローデルが目覚めたのは、日も高
くなってからのことだった。二人の
寝室につづく次の間で彼は一人目覚めた。
―――オスカル嬢―――
オスカルの無事を確かめたくて急ぎ、寝室のドアを開けた。
ベッドの中にオスカルの姿は見えなかった。
いない、ということは魂が再び飛び去ってしまったのではあるまい、そう思っても姿
を見るまで不安でいたたまれない。二人の居室を飛び出し、ベロニアの姿をみとめ
た。
「ベロニア夫人!フランソワは?!」
「おはようございます。ジェローデル様。」
昨晩のショックからまだ覚めやらぬベロニアは蒼白い顔をし、それでも平静さを装
い、かわらぬ朝の挨拶をした。
「奥方様でしたら、北の薔薇園におられます。」
「ああ......。」
とジェローデルはかえし、冷静を保つよう自分を律した。オスカルが無事ならば、自
分にはしなければならない事が山ほどある。
「他の召使達は、大丈夫ですか?皆、昨晩は大変な思いをしたのだから、今日は十
分、休息をとったほうがいい。ベロニア夫人、あなたも。ああ、それから村の様子
を....」
「はい、ジェローデル様、ありがとうございます。指示は既に奥方様から頂いており
ます。皆、休んでおりますし、村の処理も徐々に進められております。
それにしても......」
ベロニアはことばをつまらせた。
「フランソワ様はよろしゅうございました.....。すっかりお元気になられ
て......。こうなると、夜盗のことさえ、神様のお恵みと思えます。」
涙ぐむベロニアは本当に心根のやさしい女性なのだろう。
フランソワがいかに的確に指示を出した、とか、心から感心したように褒め言葉を付
け加えたが、話を途中にし、ジェローデルは北の薔薇園へ向かった。
薔薇の植え込みを縫うように走り、オスカルの姿をさがした。
姿がみたい、姿を見なければオスカルが戻って来てくれたことが信じられず、不安に
なる。
いくつかの植え込みを過ぎたところでやっと遠くにたたずむ美しい貴婦人の姿をみつ
けた。
「オスカル嬢ッ!」
ジェローデルは駆け寄った。
オスカルは振り向き微笑した。
「ジェローデルか......。よく眠れたか?」
「よく眠れたか、などと、あなたこそ....。」
ジェローデルは胸をなでおろしながら半ばあきれた顔でオスカルを見た。
美しい.......。
オスカルのドレス姿はビアンカに来てからは日常のものとなっていたが、それでも、
動き、笑い、語るオスカルの姿はまた別のものだった。ジェローデルは思わずみとれ
た。
しかし、オスカルはそんなジェローデルの視線に気付く様子もなくただ、遥か遠く、
北のアルプスをみつめていた。
ジェローデルはハッとした。
アルプスではない.......。彼女が見つめているのはその更に彼方遠くのフラ
ンスなのだ。
「オスカル嬢、さぁ、部屋へ戻りましょう。まだ、あなたの身体は本調子ではないの
だから......。」
ジェローデルはオスカルの肩を抱いた。
ここに、こうして、今、自分の手の中にオスカルはいる。
―――離したくない....!!―――
心の内に強い感情が沸き起こる。
ぐい、とオスカルの顔をむかせる。そのまま、強く接吻をする。
自分の腕の中でオスカルが反射的に身を引こうとするのがわかる。
それを許さず抱き寄せる.........。
オスカルはそれ以上抗うでもなく、されるがままになっていた。
しかし、オスカルが身を硬くこわばらせているのをジェローデルの腕は感じる。
ジェローデルは力を緩め、彼女を解放した。
―――何故...? 殴られた方がましだ......。―――
空しさが彼を襲う。
昨晩のことが思い起こされる。
泣き疲れ自分の腕の中で眠るオスカルは幼子のようであった。
愛おしさがこみあげ、抱きしめる腕に知らず知らず、力がこもる。
彼女はもう、人形ではない。意志を持った一人の人間に返ったのだ。自分の中
でなにかの“たが”がはずれるのを感じる。
「ん....」
苦しげに漏れるオスカルの声に我にかえり、ジェローデルはたまらずに次の間
のドアを開けた。
質素なベッドが一つある使用人のための次の間である。
主人が病の時、または戦がおきた時など、主人を守るために使用人が控える部
屋なのだ。
「終わった......」
ジェローデルはつぶやいた。
―――狂おしく、切ない夜.....。それはもう終わったのだ。―――
はたして本当にそうだろうか..?
―――この次の間こそが今の私にふさわしい.....。私は彼女のしもべな
のだから......。―――
ほうっと一つ苦しげに溜息をもらす。この部屋がオスカル・フランソワの美貌
のしもべのものなのか、それとも、その美貌に狂わされそうになり、逃げ出し
た者のものなのか......。どちらにしても、夫の部屋ではないな、と自
らを哀れんだ....。
―――それでも、それでもいいではないか?―――
北の薔薇園で、もう一人の自分が語りかける。
―――彼女はここ、ビアンカにいる。しかもお前の妻として、だ!離したくないのな
ら離すな!誰も咎めたりはしないぞ。お前の好きにすればいいではないか?暗い寝室
に鍵をかけ、閉じ込める事だってできる。お前なしではいられなくなるまで、夜とな
く昼となく彼女を犯せばいい....。そのくらいの自信はあるのだろう?してみた
いと思っているのだろう?―――
―――誰も、誰も、お前を咎めることはない。―――
「い......痛い......。」
オスカルの声に我にかえる。
知らず知らずの内に肩を抱いた手に力がはいっていた。彼女の肩に紅く指の跡が残っ
ていた.....。
「す、すみません.....。オスカル嬢、申し訳ありません.......。」
めったに見ることがない程、険しい表情をしていたのだろう、オスカルが不安げに
ジェローデルを見上げた。
オスカルの無垢な瞳を見つめ返すことができずに顔をそむける。
―――最低だ...!私は....!こんな.......こんなことを考えるなん
て....!―――
ジェローデルは、本能を剥き出しにした己の男の部分に嫌悪した。
しかしまた、心の囁きが止む事もなかった。
―――.........誰も、誰も、お前を咎めることはな
い...........。―――と。
「ごめんなさい、ヴィクトル、皆を休ませたかったので、今日はパンと果物だけでい
いと私が言いました。」
パンと果物だけが用意された食卓を驚いてみつめるジェローデルにオスカルはそう
言った。
「....も.....もちろん、もちろんです。私もそれで良いと思いますよ。」
食事の事など、どうでも良かった......。
オスカルが使用人達の前で自分に羞じをかかせまいとし、妻の役を演じているのがわ
かった。
ヴィクトル......はじめてオスカルからファースト・ネームで呼ばれた。
喜びである筈なのに、何故か胸が痛んだ.....。
「ああ、だが、あなたはこれだけではいけない。干した杏があるだろう。あれにク
リームをかけて持って来なさい。それから、ハムをスライスして。」
ジェローデルはメイドに命じた。
いらない、と言おうとしたオスカルの口元に人差し指をあてた。
「あなたはもう少し太らなければ.......。」
オスカルの腕をとり、愛おしそうに言った。
「こんな腕でよく銃を支えられたものだ......。早くもとのあなたに戻ってい
ただかなければ.....心配が尽きませんよ.....。」
そう言って淋しげに微笑んだ。
オスカルの女主人ぶりは完璧だった。
召使の顔を覚え、家族など、境遇をも理解し、誰にでも優しく公平に接した。
「マリア、お父様は元気になりましたか?一番ひどく畑を夜盗に荒らされてしまった
のだから、今年の税は心配しないように伝えなさい。モンタナーロ侯爵には私から話
しておきます。」
「ベロニア夫人、皆に麻のシャツを新調しておいて下さいね。これからもっと暑くな
るでしょうから。」
「食後のヴィクトルの紅茶にしょうがとハチミツを入れて下さい。夕べ咳をしていま
した。」
憧れのガラスの人形が命を得た。
そして、その人はまるで、聖母マリアのように、優しく気高い。フランソワさま、フ
ランソワさまと皆がオスカルを慕い、頼りにした。ロザ・ビアンカ中がオスカルに恋
をしてしまったかのようだった。
幸せ......、そう、幸せとはこんなものなのだろうか....。ジェローデル
の心のかげりは消えない。そんな合間にオスカルが一人北の薔薇園から遠くアルプス
をみつめているのを知っていた。
「オスカル嬢.....」
今日もアルプスをみつめるオスカルにそっと声をかける。
「ジェローデル....。」
オスカルは振り返った。
「皆、あなたに恋してしまったようですよ。かつてのベルサイユのように....」
オスカルはふふっと笑いを漏らす。
「まったく、あなたの女主人ぶりは完璧だ。こんなにもすばらしい妻を持つヴィクト
ル・クレマン・ド・ジェローデルの名まであがる........。」
「自慢に思ってくれるのか?」
オスカルがいたずらっぽくジェローデルを見上げた。
ジェローデルは少々あきれた顔でオスカルを見つめ返す。自分の心の葛藤など、全く
気付いていない無邪気なオスカルの瞳。その無邪気な鈍感さに救われる自分がいる
のを感じる。
「自慢ですよ。勿論。」
そっと答える。
「オスカル嬢.....何をなさっていたのです?」
ジェローデルはオスカルがハサミと数本の薔薇を手にしているのに気付く。
「あ...あ、これ....か...。見ればわかるだろう?薔薇の花を摘んでいた
のだ。私達の部屋に飾るため....。」
更に、少しはにかんだような表情で付け加えた。
「貴族の奥方などと.....、実際、何をして一日を過ごせばいいのかわからない
のだ......。だから、母上がなさっていたことを思い出して端からしてみてい
る。」
“母上”と口にした時、淋しげな目をする。
「そんな....、そこまでなさらなくても....。召使い達が見ていない時はお
好きなようになさればいいではありませんか?」
ジェローデルはわからず、聞く。
オスカルは、ふふふ、と笑いながら、薔薇をさらにもう一つ、もう二つ、切った。
「ジェローデル、わからないのか?」
どこか淋しげな、そして愛らしい、いたずらっぽい目をもう一度ジェローデルにむけ
る。
「私が“貴族の奥方”であることを楽しんでいるのが......。」
ジェローデルは素直に驚いた。そして、オスカルへの愛おしさが湧き上がるのを感じ
る。
―――しばしの.......しばしの幸せに酔うか......。―――
そっとオスカルの肩を抱いた。
―――全く、いつも伯父上には驚かされる!―――
突然の伯父モンタナーロ侯爵の来訪の知らせを受け、ジェローデルは侯爵の私室へ
いそいだ。
この前会った時には一週間後にまた、ビアンカに来ると言ってはいたが、それからす
でにひと月は過ぎていた。
「おお、ヴィクトル!ヴィクトルや!この度は大手柄じゃったな」
モンタナーロは満面の笑みでジェローデルを迎えた。
「すぐにでも来てやりたかったが、こんな時に限ってなにやかやと皆でわしを縛りよ
る!もっとも夜盗の群れがお前によって壊滅させられた、と聞いたから安心はして
おったがな。
全く!おまえも大したものじゃ!ミラノでも大評判になっておるぞ。『すばらしい甥
ご殿をお持ちで』と皆に羨ましがられ、わしも鼻が高い!」
ジェローデルはオスカルの手柄と話せず、困った表情になる。オスカルのことをあれ
やこれや、と詮索されるのは避けたかった。
「いえ、そのような....。」
口ごもる。
「ところでフランソワは?フランソワはどうした?すっかり良くなったと聞いておる
ぞ。災い転じて福となす、とはまさにこの事じゃ。」
モンタナーロはこどものように好奇心丸出しでオスカルに会いたがる。
「今、参ると思います。もう少々お待ちを......。」
答えながらジェローデルは内心、少しばかりオスカルに同情した。
昨日のことであった。
村を訪問し、様子を見てきた帰りのことである。オスカル、ベロニアをはじめ
2,3人の召使いに出迎えられた。
「ヴィクトル、お帰りなさい」と微笑むオスカルの目がふとジェローデルを通
り越し、羨ましそうに馬をみつめたのを見逃さなかった。
二人の居室に入り、真っ先に声をかけた。
「オスカル嬢、乗馬をなさりたいのですね?」
オスカルは「あ、」と少しばつの悪そうな顔をする。
なんともかわいらしい表情にジェローデルの微笑がこぼれる。
「もう、随分元気になられた.....。明日は遠乗りにでかけましょう。」
思ってもみなかったジェローデルの提案にオスカルの顔が輝いた。
「いいのか?」
思いがけない贈り物に単純に驚き、喜ぶ子どものような笑顔。こんな笑顔を見
られるのであればどんな望みも叶えてやりたい、と思う。自分でもはじめて経
験するような優しい気持ちにジェローデルは幸福感を憶えた。
―――やれ、やれ、あんなに楽しみにしていた遠乗りはおあずけだな―――
ジェローデルは内心、苦笑いをした。
その時、ノックの音がした。召使いがうやうやしくドアを開けた。
艶やかなオスカルの姿が現れた。
「モンタナーロ侯爵様、フランソワでございます。侯爵様にはいつも大変よくして頂
き、夫ともども深く感謝致しております。」
舞のような優雅なお辞儀、そしてゆっくり顔を上げる。さすがのモンタナーロもあま
りの美しさに一瞬ことばをのんだ。
「お...お....おお、おお、フランソワ.....なんと、なんと美しい!わ
しは果報者じゃ。こんなにもすばらしい夫婦を迎えることができるとは!わしのこと
は実の伯父とも父とも思ってくれ。」
伯父の大変な喜びように、ジェローデルも思わずつられて微笑んだ。
「そういえば、ヴィクトル、今日はピクニックに行く予定だったのだそうじゃな。ベ
ロニアがそう言っておったぞ。」
モンタナーロがこれ以上ない程の上機嫌な様子で言った。
―――ピクニック....―――
ぷっと吹き出しそうになるのをこらえる。確かに、サンドイッチを作るよう、ベロニ
ア夫人に言ってはおいたが、と笑い出したいのをおさえた。
「え...ええ.....まぁ....。しかしお気になさらないで下さい。いつで
も行けますから。今日はせっかく伯父上がいらしたのですから.....。」
はぎれ悪くジェローデルが答えた。
「何を言う!よいではないか。わしも行くぞ!3人で出かけようではないか!」
モンタナーロは子どものようにはしゃいだ。
オスカルとジェローデルは思わず目をあわせ、笑いを漏らした。
「器用ですね。オスカル嬢、ドレスのまま乗馬とは.....。」
オスカルは優雅にアマゾネス乗りをしていた。
「しかたあるまい。あんなに喜んで下さる伯父上の前でまさか、男の格好などできは
しない。」
――― 一人で馬に乗るなど、充分、度肝を抜かれていると思うが....。―――
ジェローデルはそんなことを思い、一人笑いをした。オスカルはオスカルで親切な侯
爵を喜ばせようと、真剣なのだ。
「さっきから必死に我慢しているのだ。」
オスカルが言う。
「え?」
とジェローデルが聞き返す。
「ドレスの裾をここまでたくし上げて、馬にまたがり、思いっきり走らせたいのをな
!」
ジェローデルとオスカルは見詰め合う。お互い、そんな姿とモンタナーロの驚いた顔
を思い浮かべ、笑いあう。
「あなたの“完璧な貴婦人の評判”もここまで!と言うわけですね。」
ジェローデルが快活に笑いながら言う。
「完璧な貴婦人.....ねぇ.....。」
オスカルは溜息をついた。
「.....ったく!今朝はまいったぞ!」
ただならぬ言葉にジェローデルはオスカルを見た。
「ベロニア夫人!今朝、私になんと言ったと思う?『フランソワさま、わたくし、前
からフランス刺繍を是非習いたいと思っておりましたの。お教え頂けませんでしょう
か?』とこうだぞ!」
オスカルはベロニアの口調を真似た。
ジェローデルは一瞬呆気にとられ、それから唐突に笑い出した。
「あははははは!あは!あはは!あなたに!あなたに刺繍とは!いや、あはは!あな
たに刺繍を教わるのですか!?あははははは!!」
青空が開放したのだろうか、いつもの貴公子ぶりも忘れてジェローデルは笑った。
「それで......あはは....それで、あなたは何と?...あは
は.....。」
「笑い事ではないぞ!しどろもどろで必死にごまかしたが....!」
ベロニア夫人の前で慌てるオスカルが想像される。真剣に困った顔をするオスカルが
また、かわいく思え、ジェローデルの笑いはいよいよ止まらない。
そんな幸せそうな仲の良い甥夫婦の様子をモンタナーロは目を細め、見つめていた。
彼もまた、豊かな幸せに身をひたしていたのだろう。
食後、オスカルが沼のほとりで水鳥と遊ぶのを二人の男は見つめていた。
「ヴィクトル、この前の話、今日こそは返事を貰うぞ。」
モンタナーロがいつになく真剣な面持ちで言う。
ジェローデルの心臓がどきり、と脈打つ。
「もう、お前以外の跡取など考えられぬ。お前は知らぬのだ。もはやミラノでもお前
を知らぬものはいない。今回、ビアンカへ向かう道中でも、領民達が口々にお前の名
をあげる。ましてやビアンカではお前以外の領主など、受け入れられぬといった勢い
じゃ。おまえとて他のあてもあるまいに....。」
皆の期待が大きくなってきているのは薄々感じていた。
だが、それは決してジェローデル自身のみにむけられているのではないことも承知し
ていた。皆、オスカルに恋しているのだ。
皆、オスカルを手放せなくなってきている。
もちろん、自分自身とて同じ気持ちだ。
高い、高い幸せの頂きからふと、底のない絶望という名の真っ暗な深淵をかいま見た
ようでゾッとする。
ジェローデルの暗い表情を横目で見つつモンタナーロが言った。
「フランソワのことか.....。」
―――え?.....―――
驚くジェローデルを無視してつづけた。
「おまえ、まさかあれをフランスに帰すつもりではあるまいな......。」
驚きの表情を隠しもせずにモンタナーロを見つめた。
「ヴィクトル、わしをみくびるなよ。おまえ、夜盗に襲われた晩、ベロニア夫人にフ
ランソワをオスカルと呼べと言ったのだそうだな......。」
ベロニアのことばを告げる。
―――ええ、今思い出してみてもわからないのでございます。あれが現実のこ
とであったかどうか....。ジェローデル様は、フランソワ様をオスカル様
と呼び助けを求めよ、と仰せになりました。私はなにがなにやらわからずに。
はい、そのように致しましたので.....。そして........―――
ベロニアは身震いした。
―――フランソワ様は剣をおとりになり、後には累々たる夜盗の死体
が.....。とてもフランソワ様おひとりで、いえ、大の男、たとえそれが
兵士であってもできることではございません。けれど、若い男達は皆ジェロー
デル様と村へ行っておりましたし、では誰がしたことかと考えれ
ば......。いえ、本当にわからないのでございます。―――
青ざめたベロニアの顔が思い起こされる。
―――はい、ジェローデル様が馬に乗れるものはつづけ、とおっしゃって、私
達はご一緒に.......。しかし、私達が却ってジェローデル様の足手ま
といになってしまい、危ないところを助けて下さったのです......。し
かし、あれがフランソワ様かどうかは.....。ええ、お姿はそのようには
見えましたが、侯爵様、私どもはいまだに信じております。あれは大天使ミカ
エルだったのではと、このビアンカを天の使いが救ってくれたです。そうとし
か.......。―――
ジェローデルと行動をともにした家来のことばである。
モンタナーロはジェローデルを見た。
「フランスの近衛隊連隊長が抜群に腕の冴える女隊長だ、と言う評判はここイタリア
にも届いておったわ。確かジャルジェ将軍の末娘だったな。名はオスカル・フランソ
ワ・ド・ジャルジェ。
おまえがその連隊長に結婚を申し込んだが断られてしまった、という話もおまえの親
から聞いておる。
そして...」
モンタナーロはことばをきった。
「あの7月14日、バスティーユを落としたフランス衛兵隊の隊長が女だと言う話も
な......。もっともこれは本当のことかどうかは定かではなかった
が......。」
「もう一人、ビアンカを救ったフランソワ。ヴィクトル、この3人は同一人
物....そうだな.....?」
ジェローデルは黙っていた。
「まったく、わしももっと早く気付くべきだった。おまえが妻を連れて来た時にだ。
頑固なおまえが今更妻を娶るなど、しかも溺愛している.......。もちろん、
それはもちろんずっと以前からの想い人に決まっておるではないか....。」
そこまで言い、モンタナーロはふーっと長い溜息をついた。
「フランソワは確かに類まれな女性じゃ。おまえとフランソワがモンタナーロを継い
でくれたならこれ以上のことはあるまい。だが、たとえフランソワがいなくとも、わ
しの気持ちは変わらんぞ。おまえに家督を譲りたいのだ。
しかしの、ヴィクトル、わしは心底おまえがかわいい。実の息子のように思ってお
る。おまえが苦しんでいるのを見るのはしのびないのだ.....。
何故じゃ?何故今更そのようなことを迷う?フランソワはおまえの妻となったのだ。
たとえそれがどんないきさつであったにせよ、だ。動乱のパリへ、戦いの中へ、何故
彼女を帰そうとするのだ?」
ジェローデルはこの伯父のするどい洞察に驚愕した。普段は細かいことにこだわらな
い豪傑漢の面しかみせないが、広大な領地を統括するモンタナーロの一面がうかがい
知れる気がした。
ジェローデルは風にそよぐ、オスカルに目をやった。
妖精のような美しさ......。
ぽつり、と言った。
「美しいでしょう....?フランソワは........。」
モンタナーロは突然のことばにその真意をはかりかねる。
「......ん?あ、ああ、もちろん.....」
「もっと.....です......。」
ジェローデルは遠い目をした。
「もっと、美しかったのです........。もっと.....輝くよう
に.....」
ジェローデルの目は何を捉えていたのだろうか....。悲しげで、苦しげで、そし
て愛おしそうにみつめる目は遥か遠くをさまよった。