アンドレ・グランディエ




「犬猫降りと言うのよ」
「そう…悪いけどコゼット、タオルをもう一枚」
「英語でね。今日みたいな土砂降りのこと。ずいぶん突飛な言い回しだけど一度聞いたら忘れられないでしょう、はい、アンドレ」
「ったく!この悪天候いつまで続くんだろう」
「そんなに怒らないの。怒ったってお天気は快復しない」
「わかってます…」
「で?何があったの、オスカル様と」
「鋭いね、コゼット」
「当たり前でしょ。何年同じ屋敷で働いていると思ってるの」
「俺は8つのときここへ来たから25年で、君は」
「計算しなくてよろしい」
「ごめん、たいしたことじゃないんだけどさ。久しぶりに怒られた」
「喧嘩じゃなくて?」
「上官侮辱罪」
「うそ」
「っていう程じゃないけど…うわっ、シャツん中、まともに直撃だぞ〜あ〜タオルタオル!」
「前髪ちゃんと拭いてないからじゃない!あんなにずぶぬれで帰って来たんだから、もっとちゃんと拭きなさいよ」
「はい…」
「オスカル様はお体、しっかりふいていらっしゃったでしょうね?」
「それは大丈夫。司令官室に山ほどタオル置いてきたし、帰りにもう一度謝りに行ったときはこざっぱりした顔してたよ」
「ならいいけど。またお痩せになったようだし、ろくにお屋敷に戻られないし…」
「俺だけ帰って来て申し訳ない」
「どういたしまして。あんたもまともにお休みももらえてないんでしょ?これから仮眠取って、夜中にまた戻るんだっけ?」
「ああ。オスカルの着替え、用意しておいてくれる?」
「はいはい。でね、アンドレ。まだ大事なこと聞いてないんだけど」
「…なんだっけ」
「上官侮辱罪」
「って程じゃないんだ」
「さっきから全然話が進まない気がするんだけど、気のせい?」
「おっしゃるとおりでございます。報告します、はい」
「喧嘩じゃなくてお叱り?何ドジやったのよ」
「公私混同したからさ、俺」
「はあ?」
「今日、ずぶぬれになったんだ、オスカルも俺も」
「会議場周りをずっと警備してたんでしょう?お大変よね、オスカル様も」
「俺もなんだけど」
「わかってるわよ、それで?」
「本部に戻ってきたんだけど、あっちこっちでみんな、ぬれた上着脱いだりしててさ。満員御礼だったんだ」
「うんうん」
「俺はオスカルにタオル届けなきゃいけないんで先に司令官室に行ったんだ」
「オスカル様はどうなさっていたの?」
「まだ戻っていなかった」
「お忙しいのね…」
「ちょうどダグー大佐の姿もなかったんだ」
「副官の方ね」
「戻ろうと思ったんだよ、更衣室。でもさ、なんだか狭いところで張り付いた上着脱ぐのって憂鬱な気分になりそうだろ」
「アンドレ、何となくわかったわ」
「一応、チェックしたんだ、廊下に出て、まだ戻ってないなって。急げばオスカルが戻ってくる前に着替えられると思ったんだ」
「だからってねえ、アンドレ。オスカル様の司令官室で着替えなくてもいいでしょうが!」
「間に合うと思ったんだよ」
「犬猫降りっていうのはね、土砂降りも土砂降り、屋根や壁に轟音が響きわたるほどのすごい雨を言うそうよ」
「まさしくそのとおり。足音が聞こえなかったんだよな、実際」
「で?オスカル様、どうなさったのよ」
「怒り余ってドアが壊れるんじゃないかって言うぐらいの剣幕で閉めたよ」
「え」
「あいつ、目いっぱい怒鳴ったんだ」
「何ておっしゃったの」
「無礼者ーっ、司令官室をなんと心得るか!だったかな」
「……」
「も、もちろん謝ったよ!」
「……」
「でもさ、オスカルの奴すっかり怒っちゃって、入ってこないんだ。
廊下を覗いたらダグー大佐が、顔を真っ赤にして階段を降りて行ったって。
待ってたんだけどなかなか戻って来なくて、下へ探しに行ったら食堂でお茶飲んでた」
「……」
「謝ったんだけど真っ赤な顔して返事しないんだ。かなり本格的に怒ってたなあ」
「真っ赤なお顔ね…。それで、あんたどうしたのよ」
「交替の時間が迫ってたから、一度司令官室に戻って追加のタオル置いて下へ戻って」
「許してくださった?」
「公私混同してすまなかった、以後気をつけます、ってちゃんと上官に対する謝罪はしたんだよ」
「何かおっしゃった?」
「<もう、いい!>ってそっぽ向いてた。全然目を合わせないんだよ。まだ怒ってる感じだったな」
「アンドレ、それ、怒ってるっていうんじゃないような…」
「あ〜あ。ここんとこ忙しくてあいつが殺気立ってるのわかってたんだけど。濡れた上着が張り付いて気持ち悪かったんだよな、ほんと」
「オスカル様もわかってるわよ、それぐらい、だからね、アンドレ」
「司令官室はあいつのプライベート空間だし、男が裸で体拭いたりしてたら怒るのも無理ないよね。あいつも曲りなりに女だから」
「女性だから過剰反応したのよ…」
「うん、わかってる」
「アンドレ、わかってないと思うわ」
「ん?あ、ねえ、コゼット、あとで戻るとき何か甘いもの持っていってやりたんだ」
「オスカル様、今日もお泊り?」
「俺が着く頃には仮眠室で寝てるはずだよ。司令官室の引き出しに入れとけば後で気がつくと思うんだ」
「ね、アンドレ、あのね…」
「大丈夫だって、司令官室に入るときはちゃんと断ってから入るよ。以後気をつけます」

雨脚が弱る気配はまるでない。窓を叩きつける音が小刻みに、リズミカルに弾んでいる。
「オスカル様が目覚めたっていうのにあんたがそれじゃね。一進一退じゃない?」
アンドレ・グランディエが意気揚々と仮眠を取るべく自分の部屋に戻って行くその後ろ姿に、コゼットはため息を投げつけるのであった。