愛と哀
『もしもはじめて会ったとき、お前が女性だと分かっていたら、ふたりの間は
もっとちがうものになったのかもしれない――――――――』
さっきから何回も、オスカルの中で繰り返される悲しみがある。
『オスカル・・・もう会うことは・・できない・・な』
さっきから何回も、オスカルの中で繰り返される痛みがある。
愛する人の手によって突き刺された、言葉という名の短剣。
死の宣告を受けたが如くの悲しみ。
そして、自分も女だったのだと・・・・・・痛感した瞬間。
オスカルのシャツの袖は、涙で濡れていた。
切なくて愛おしくて、こんなにも愛しているのに・・・・・!
過ぎ去ったあの夜の、フェルゼンが腰に回した手のぬくもりは、
オスカルの中に、今でも色あせることなく残っている。
気が付くとオスカルは、野原に馬を走らせていた。
頬をすり抜ける風に金色の髪をもてあそばせ、愛馬と一体になって、
光の中を、いつまでも、どこまでも駆けてゆきたい気分だった。
野原では、木の葉の囁きがいつもと変わらないやさしさで迎えてくれた。
オスカルは野原の真ん中に腰を下ろし、青空を見つめた。
すると、また、涙が流れてくるのがわかった。
「切ない・・・・。」
オスカルは、ぽつりとそう漏らした。
その時、遠くの方から馬のひづめの音が聞こえてきた。
だんだんと近くなってくるその音は、見慣れた姿と共に正体を現した。
「オスカルー、オスカルーー!」
黒髪の青年が、オスカルを呼んでいた。
しばらくすると、栗毛の馬に乗ったアンドレが見えた。オスカルは驚いて
慌てて涙を拭った。
「オスカル、どうしたんだよ。何にも言わずに出掛けるなんて。
それに元気ないぞ、何があったんだ?
見てみろ、お前の馬もしょぼくれちまったじゃないか!?」
アンドレは、そう言いながらオスカルの隣に座った。
「・・・何の用だ。ばあやに何か頼まれたか?」
オスカルは、アンドレになるべく目を見られないようにそっぽを向いた。
そんなオスカルに、アンドレは笑いながら話した。
「なんか、冷たいぞ、今日のオスカル!どうしたんだ?」
その言葉に、オスカルはキッとアンドレを睨んで言い放った。
「悪いか!?冷たいのはもともとだ!」
オスカルの声は、少し震えていた。目も潤んでいた。
「な、何だよ・・・・。」
「私は女ではないからな。やさしくなんてできない!」
「だから、どうしたんだよ、オスカル!」
「女はどうするのが一番いいんだ!?私のように、つつましさのかけらも
ないような・・女・・・・・は・・・・っ・・・・!」
そこまで言うと、オスカルの瞳から大粒の涙がこぼれた。
「教えてくれ、アンドレ、アンドレ!!」
「オスカル!?」
アンドレはぎょっとして、オスカルを見た。
「何だアンドレ、どうして驚く!?泣かないとでも思ったのか、この私は!
見たこともないだろう・・・、私だって人前で泣いたことはない!
ああそうだ・・・・ずっとこらえてきたんだ!」
「落ち着け、落ち着けったら、オスカル!」
アンドレは、オスカルの手をつかんだ。
「落ち着けよ!」
アンドレは、はっとした。
つかんだ手は、思いの外、華奢で、繊細で、やわらかかった。
「――――――!」
勲章のきらめく軍服のなかに、オスカルの「女」を感じた。
「放せ!アンドレ、放せッ!」
オスカルはもう片方の手で、必死にアンドレの手を振り解こうとした。
「私なんかの手をにぎるより、町の娘にいくらでも可愛い者はいるだろう!?
もういいんだ、叶うことはなかったんだ!いいんだ!
私は・・・―――――――私は男なんだ、放せ、放せ!」
その言葉に、アンドレは何かを感じ取った。
親友の胸の痛みの理由を、垣間見たような気がした。
「いいや、放さない」
アンドレは、にぎりしめた手に力を入れた。
「放せ、私は男なんだ、こんなことで泣くのはおかしいんだ!放せえ!」
しかしアンドレは、強く、なおも優しく、にぎった手を放さなかった。
そして、やさしい眼差しをオスカルに向けた。
アンドレの落ち着いた態度と、何もかも知ってしまっているような面もちに、
オスカルは、自分が泣いているのが無性に恥ずかしくなった。
「そんな目で見ないでくれ、アンドレ!」
そうまで言ったのに、なおもアンドレはオスカルの手を放さない。
オスカルはカッとなって、力いっぱいアンドレの頬を叩いた。
バシン!という音が、あたりに、アンドレの心に響いた。
「放せ、無礼者!」
涙が、アンドレの手にひとつ、またひとつと落ちていく。
「分かったから!」
次の瞬間、アンドレは何かが吹っ切れたようにオスカルを抱きしめた。
「アンドレ!?」
折れそうなからだが、涙のあとが痛々しかった。
「いいから、分かったから・・・。」
オスカルのいいにおいが、アンドレの鼻をかすめていった。
「アン・・・・ドレ・・・・!」
「お前のその、強情なところ・・。奥深くにある激しさ・・・・。
昔からちっとも変わってない。・・・オスカルはそれでいいんだ。」
風が、ざあっと吹いて、ふたりの髪をなびかせた。
近くの木からは、鳥が何十羽も飛び立ち、オレンジの光の中に消えていく。
この瞬間、ふたりのすべてが夕日に溶けていったような気がした。
「分かったから、オスカル・・・。」
アンドレは、腕の中で震える、弱々しいオスカルを見た。
「アンドレ・・・・・・!」
オスカルは、アンドレの広い胸に顔をうずめた。そして、また泣いた。
アンドレはまた、オスカルをしっかりと腕におさめた。
「好きだったんだ、本当に、好きだったんだ・・・・!」
そう繰り返す、腕の中の愛しいひとを、アンドレは忘れることはないだろう。
彼女の中に、激しい愛を見たこの日・・。
風が、青い想いをのせて、ふたりを運んでいった――――――。