午後のまぼろし

やわらかな日差しの美しいある日。
オスカルにとって、数少ない休暇の一日だった。
フランス王室の近衛連隊長という身分をもつ彼女には、ゆっくりと
休める日はあまりないのだ。

「オスカルさまがお屋敷にいらっしゃるなんて、本当に久しぶりですねえ!」
ばあやが、ショコラをカップにつぎながら、にこにこと話した。
「そうだな・・・・・。ここのところ忙しかったからね。アンドレ
 にも、随分と無理を言ってしまって・・・・。」
「まあ、あんなのでもオスカルさまのお役に立っているのでしょうかね?
 今日は朝から出かけて・・・。まったく、どこへ行ったのかしら。」
ショコラの良い香りが部屋中に広がったところで、ばあやは街へでかけるため
オスカルの部屋を後にした。

オスカルはショコラを飲んだ。あたたかい陽の光が、レースの白い
カーテンをゆっくりすりぬけていく。
外では小鳥が鳴いているのが聞こえる・・・・。
静かな、とても美しい時間が淡々と流れていく。
「本当に、いい気分だ・・・・。少し、眠くなったな。」
オスカルは、午後の微睡みに身を任せて、お気に入りの長椅子で、静かに
眠りについた・・・・・・・。




「・・・・ちゃん、お・・・ちゃん・・・」
「誰だ・・・・・私を・・・呼ぶの・・は・・?」
目を覚ますと、そこには一人の少年がいた。
つやつやした黒髪、黒曜石のような、深い深い、黒いひとみ・・・・。
不思議な少年がオスカルの目の前に立っていた。
「おにいちゃんたら、こんなとこでおひるねしてるの?」
少年は、オスカルの横に来て、微笑みながら話しかけた。
「こんなとこ・・・って、ここは私の家だぞ。おまえこそ、誰だい?」
しかし、この少年、どこかで・・・、と、オスカルは思っていた。

「うん、ぼくね・・・・これ。」
少年は、もっていた真っ白なばらをオスカルにさしだした。
「これを、私に?」
少年のちいさな手から、オスカルの白い手にばらが手渡された。
「ありがとう・・・・・。花をもらったのは初めてだよ。」
少年は、ちょっと驚いたような顔をして、オスカルを見た。
「すわるかい?立っていると疲れるだろう。」
長椅子をちょんと指さすと、少年はすぐにとなりに座った。
「あのね、おにいちゃん、ばらはね、ぼくの母さんの一番好きな
 花なんだよ。母さんは、いつも白ばらを花瓶に生けて・・・・。
 ぼくはそんな母さんを見ていると、とてもうれしくなるんだ。」

「それならね、この花は母さんにあげるがいいよ。」
オスカルがそう言うと、少年の表情が、少し悲しげになった。
「か・・母さんは、死んじゃったんだ・・・・、病気で・・・。」
少年のほほを涙がつたる。ひざの上で握りしめたちいさなこぶしに、
ひとつ、ふたつと涙がこぼれおちた。
                                   
        
「そう・・・、なのか、いつ、お亡くなりになったんだい?」
「ついこの間だよ。お葬式も、終わったよ。」
少年の肩はふるえている。涙を目にいっぱいためて、ぎゅっと唇をかんで。
母を失った少年の、こらえきれない悲しみが痛いほど伝わってきた。
「で、でもね、ぼく、もう寂しくなんかないよ!!
 おばあちゃんと、一緒に住むんだ!そしてぼくはね、大きなどこかの
 お屋敷のお嬢様の遊び相手になるんだ!
 おばあちゃんは大好きだし、お嬢様にも早く会いたくてわくわく
 してるんだ!!」
少年は、涙をぬぐってにこっとわらってみせた。
「そうか・・・おまえは、強い子だね。
 そうだ、この家には、ばらがたくさん植えてある。ばらの咲く頃に
 なったら・・、またおいで。お母上にもっていってあげるといいよ。」
「うん、ありがとう、おにいちゃん!!
 あっ、今日は、もう帰るね。暗くなってきちゃった。」
そういって少年は、長椅子から部屋のドアまで一直線に走っていった。
「あっ・・・、おまえ、名前は?」
くるっと振り向いた少年は、微笑んでいた。

「アンドレ・グランディエ!!またね、おにいちゃん!!」

「え・・・・・?」
そのとき、オスカルの目の前の空間がひしゃげたようになり、
キラキラとした光が無数にあるのが見えた・・・・・・・・・・・。





「おい、オスカル、オスカルってば!!」
アンドレが、オスカルの肩をゆらゆらとゆらした。
「う・・・あ、アンドレか?いつ帰って・・・。」
「ついさっきだよ。まったく・・・。かぜひいちまうぞ。
 もう夕食の時間だ。奥様と旦那様がおまちだぞ。」
オスカルは、窓の外に目をやった。
ビロードのような闇があたりをつつみ、すっかり夜になってしまっていた。
「夢だったのか。ああ・・・・こんな時間まで・・・。」
「しかしまあ・・・せっかくおまえにいいものをもってきたのに、もう
 持ってるなんてな、ちょっと予想外だったな。」
そういったアンドレの指す方には、大輪の白いばらが見事に生けられていた。


そして、オスカルの手には、雪のように白い一輪のばらが、
凛として香っていた。