午後のまぼろし 〜アンドレと貴婦人〜 前編 



               今日、アンドレは、めずらしく一人の休日を過ごしていた。

               ここのところは四六時中オスカルと一緒で、彼女が休みになれば
               彼も休みになり、彼女があわただしく馬に乗ってでかければ、彼もその後を
               追う・・・というような日々が続いていたのだった。
               休みの暇をねらって、オスカルは、注文した銃をとりに街へ出ていた。

               屋敷から少し離れた森に、アンドレは来ていた。
               そこには、オスカルにさえも教えていない、秘密の場所がある。彼はそこが、
               大のお気に入りだった。
               小さい頃、オスカルとけんかして、ふてくされて外に出たことがある。
               そのとき、この場所をみつけた。
               誰も知らない、森の中の小さな泉。
               まわりに咲いた色とりどりの花の、かぐわしい香りが、あたりいっぱいに
               立ちこめていたのを、彼は今でもはっきりと思い出せる。

               アンドレは、澄んだ泉に顔を映して、子どもの頃のことを思い浮かべていた。
               寝転がると、目に飛び込んでくる空は雲一つなく晴れ渡り、気持ちがいい。
               水のせせらぎも、小鳥の歌も、なにもかもがいとおしかった。

               「・・・・・あの日、オスカルとけんかした日も、ここの水は綺麗だった。
                本当に、ここは、天国のようだな・・・・・・。すばらしく居心地がいい。
                そうだ、明日は・・・何時に宮廷に行くんだっけ・・・・・・?」


               連日の不規則な生活で、アンドレが疲れていないはずはない。
               暖かい日差しの中、彼が眠りにつくのには、そう時間はかからなかった・・。




               「早くなさい、アンドレ!!もう、アンドレったら!!早く!!」
               アンドレは、聞き覚えのある女の声で目が覚めた。

               「ああ・・・・はいはい・・。オスカル・・・。」


               その場の光景に、彼は目を疑った。
               絹糸のような黄金の髪を結い上げて、すらりとしたその体を
               オダリスク風のドレスにつつんでいる一人の女性。
               たしかに、彼女はオスカルだった。
               白い肌、うすいピンクの唇。しなやかなその手には扇がにぎられている。
               神々しいまでの気品と、洗練された大人の女性のつつましい魅力を放ち、
              さながら、美の女神アプロディケのようだった。

               「おま・・・おまえ、オスカルか?気でもちがったのか?そんなもの着て!」
               扇を口元に寄せて、オスカルが笑った。
               「まあ、いやだ。アンドレったら。あなたこそおかしくてよ。
                このドレスはあなたも誉めてくれたじゃないの。
                ほらほら、コンティ大公妃様の舞踏会が始まってしまうわ。」

                何かがおかしい・・・・・。

                ここは確かにジャルジェ家だ。オスカルの部屋の前の廊下だ。
                しかし、このひとは・・・・・。

                突然のオスカルのかわりぶりに、アンドレはすっかり混乱していた。
                たくさんの考えがめぐる頭を必死に整理しつつ、なんとか冷静になろうと
                思っていたが、動揺と混乱の方が大きかった。
                「おまえ、本当にオスカルなのか、おい!!」
                肩をがしっとつかむと、「きゃあ!」という悲鳴をあげてオスカルは床に倒れ込
                んだ。
                「い、いたた・・・・。何をするのよ!!アンドレ!!」
                アンドレはまた驚いた。こんなに弱々しいオスカルは、かつて見たことが
                なかった。
                「あ・・・・、す、すまない・・・・・。」
                抱き起こそうと手をさしのべると、向こうからなにかばたばたと走る音が
                聞こえてきた。


                「なにをやっとるんだい、アンドレはーーーーーーーーーーー!!」
                ばあやが、真っ赤になって走ってきた。

                「まったく、馬車の用意はとうにできたというのに、なぜすぐお嬢様を
                お連れしないんだい!舞踏会に間に合わないじゃないか!
                いいかいアンドレ、いくらお嬢様が親しくして下さっているといっても、
                お前は使用人の身で、お嬢様をつきとばしたり、変なことを言ったり、
                はては『オスカル』なんて呼び捨てにしたりして!
                まったく、オスカルお嬢様をなんと思って!
                全部聞こえていたんだからね!本当にお前は・・・・・・・」

           
               ばあやのお説教はとどまるところを知らないので有名だった。
               お説教を続けるばあやをよそに、二人は逃げるように馬車に乗り込み、
               暗い夜道を急いだ。


               「ああほんと、ばあやったらあんなに怒って。ばあやには悪いけど、
                さっきのばあやったら・・・こわれたオモチャみたいだったわ!!」
               オスカルはクスクスと笑いだした。
               大口を開けて、男のように快活に笑う彼女はどこにもいない。
               彼女がほんの少しでも体を動かすと、香水のいいにおいが、ふわっと
               アンドレの鼻をくすぐる。
               「ねえ、アンドレ。」
               すっと振り向いたオスカルは、とても美しかった。
               「本当に、フェルゼンさまもいらっしゃるのね、今日の舞踏会!!
                うれしいわ、ソフィアさまともまたお会いできるなんて!!
               昨日からドキドキしっぱなしなのよ!!ああ、いっしょに踊って
                くださるかしら・・・・。フェルゼンさま・・・・。」
                オスカルは、念入りにアクセサリーや化粧を整える。


               アンドレの全く知らない、「女」がそこにいた。


               「一体・・・・・どうなっているんだ・・・・?」

              ばあやのお説教からは逃れられたものの、貴婦人となったオスカルを前に、
               アンドレは逃れられない難問を抱えていた。

                二人の乗った馬車は、冷たい夜道にひづめの音を響かせ、
               一本道を闇の中へと消えていった。