午後のまぼろし 〜アンドレと貴婦人〜 後編



               さんざめく笑い声と、むせかえるほどの香水のにおい。
               そして、色とりどりのドレスの真ん中に、アンドレはいた。

               オスカルとアンドレを乗せた馬車は、つい10分ほど前に邸宅に着いた。
               「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ様がおなりになりました!」
               その声がホールに響いてから、オスカルはずっと、客たちの羨望を
               一身に受けて立っている。

               「ごらんあそばしませ、オスカル様の優雅な物腰!」
               「まあ、ドレスもすらりとしたお体にとってもお似合いで・・・。」
               「今夜は、どなたがオスカル様と最初に踊る名誉を勝ち取るのかしら?」
               そんなささやきが、どこからも聞こえてくる。
               光り輝くシャンデリアも、楽隊の美しい調べも、オスカルを前にしては
               みんな色あせてしまいそうだ。


               わっ、という歓声がホール全体からあがった。
               招待客の主役ともいえる人物、フェルゼンが到着したのだ。
               彼の息をのむ美しさに、全員がうっとりとしている。
               礼装したフェルゼンに、匂い立つ気品が華をそえた。

               「オスカル様、お久しぶり!!」
               ソフィア嬢がオスカルを見つけ近づいてきた。その後ろには、フェルゼン。
               「ソフィア様、ごきげんよう!おかわりなくお美しくて、何よりですわ。」
               オスカルは、ドレスのすそをつまんで、腰をかがめて挨拶をした。

               フェルゼンがすっと前に進み出て、オスカルの足下に跪き、手にキスをした。
               「ごきげんよう、いい月夜ですね。マドモアゼル・オスカル。」
               「あ、あの・・、この前は・・」
               オスカルは、用意していた言葉を口に出そうとするが、赤くなってもじもじと
               している。恥じらいをかくせず、伝えたいことをはっきりと言えないその姿。
               それは、恋する女性そのものだった。

               アンドレは、だんだん腹が立ってきているのに気づいた。
               フェルゼンの美しさに、自分の身分の違いに、いらだちをおぼえていた。
               そしてなにより、オスカルのフェルゼンへそそぐ眼差しに。


               楽隊はメヌエットを奏ではじめた。
               それと同時に、フェルゼンはオスカルを見つめてこういった。
               「一曲、お相手願えますか?」
               「は、はい・・・・。」
               二人は手を取り合って、ダンスの中心へと向かう。
               メヌエットは、二人を夢の世界へと誘っていった。
               光の様に。朝露のひとしずくが落ちる瞬間、大地を潤す一瞬の煌めきの様に。
               豪華な黄金の髪がゆれ、ドレスのすそがひるがえる。
               皆二人をみて、ため息をもらす。
               二人は今、あふれる輝きの中にいた。

               アンドレは、そんな二人を見て、自分の奥からなにかこみ上げるものが
               ふつふつと沸いているのを止められなかった。
               気がつくと彼は、踊る人たちをかきわけくぐり抜けて、二人の前に出ていた。
               「どうしたんだい、アンドレ?」
               彼には、フェルゼンの言葉も耳に入らない。
               そして、オスカルの手を取り、こう言った。

               「俺と・・・踊って・・・くれませんか?マドモアゼル・・・」

               アンドレは、跪いてオスカルのか細い手にキスをした。
               驚きと恥ずかしさで、オスカルはアンドレをはねのけた。

               「俺には、貴女に一生楽な暮らしをさせてあげられる金もない、
               地位も、名誉も、なにもない!
               あるのは、貴女を愛するこの気持ちだけだ。
               貴族でさえあったらと、何度思ったことか! 
               世の中には、身分という苦しい壁がある。俺はあなたがいるなら、
               そんなものはいつでも越えられる!」

              「アン・・・ドレ・・・・」
              オスカルは、突然のことにびっくりしている。

              アンドレは、もう一度オスカルを見上げた。
              やさしく、強い眼差しで。
              オスカルは、今度は彼の手をはねのけたりしなかった。


              「愛しています、マドモアゼル・オスカル・・・」






 
 
              「愛しています、だと!?そんな寝言がよく言えるな!このご時世に!」
              ぱかっ、と、誰かがアンドレの頭をたたいた。
              「・・・ん・・・・・・・?」
              「やっと起きたか。アンドレ。森に行ったと言うから随分探したんだ。
               この森にこんなところがあったなんて、お前、ずっと内緒にしてたな?」


              アンドレが目を覚ましたそこには、オスカルがいた。
              「・・・お前・・・ドレスは・・・?フェルゼンは?」
              アンドレは、あたりをきょろきょろと見回す。
              「あっははははは!本当におかしくなったな、アンドレ!
               さあて・・・・屋敷に帰って、ばあやに診てもらおうか?」
              オスカルは銃をアンドレの眉間にコツンと当てる。
              「お前の銃だよ。新しいのが欲しいって、前に言っていただろう?」

              アンドレは、やっとそこで我に返り、銃に驚いて泉に落っこちてしまった。



              夕日のが二人をオレンジ色に染める中、もうオスカルからは、香水の
              いいにおいもしない。ドレスも着ていない。

              見慣れた金髪が白い馬を走らせる。アンドレもあわててそれに続く。
              屋敷への帰り道、彼はまだ、このままでもいいと思った。

              「愛しています」という想いを秘めて。