マロニエ ・夜にもたれて・


「オスカル嬢ちゃま、どこにいらっしゃいます―――!?」

マロン・グラッセばあやの必死の捜索が続く、夕暮れ迫るジャルジェ家。

「オスカル、どこ・・かなー・・?」
アンドレも一応、探すふりをする。
こういう時のオスカルがどこにいるのかなんて、もうお見通しなのだが。
十四歳のオスカルの胸の内を知るのは、十五歳のアンドレ、彼のみであった。

  
アンドレはこっそりと、馬の手綱を握りしめて、ある場所へ向かう。
 
小さな花の咲く野原を通り抜け、お化けのように襲いかかる森の影をふりはらいながら。
すぐ後ろまでやってきている、夕闇の気配に気づかないふりをして、強がりながら。

 
「・・・ほうら、やっぱりここにいた!」

アンドレは、うずくまる金髪を見つけて馬を下りた。
ちいさな森の秘密の場所。
オスカルとアンドレの、ふたりだけの場所。
紫色の花の咲く真ん中に、オスカルはちっちゃくなって座っていた。

「アン・・ドレ・・。」
オスカルは、ゆっくりとアンドレの方を向いた。
「帰るぞ!」
アンドレは、オスカルの手を引っ張った。
しかし、オスカルは岩のようにじっとして動かない。

ただのわがままか、意志の強さの現れか――――。
はたまた、将軍の頑固を受け継ぎすぎたのか。
アンドレはため息をついた。このままでは、どうしようもない。

星を見つめながら、願いをかけるかのように夜空を仰いだ。

すると、アンドレに、ある考えが浮かんだ。 
すぐに手を叩いて、オスカルに笑う。

「・・そ・・うだ!!
 連れて行ってやるよ、秘密の場所!!」  

アンドレは、もう一度オスカルの手を引いた。
そうは言ったものの、何か今日のオスカルは、雰囲気が違う。
ただひねくれているだけではないようである。
アンドレは内心、これで妥協するか不安がいっぱいになった。

細い草が抜けるかのように、オスカルはスッと立ち上がった。
「・・ここよりもっといいところじゃなかったら、本当に帰らないぞ・・。」
オスカルは、さっさと歩いて行ってしまった。

アンドレはもう一度笑って、ほっとした気持ちでオスカルを馬に乗せた。

暗くなった森の草を、こぼれるような月の光をかいくぐるようにして、ふたりは歩いていった。
「いいか、びっくりするなよ・・・!!」
アンドレは、にこにこ笑いながら言った。

しばらく歩いたところで、アンドレはオスカルを馬から下ろし、いきなりオスカルの目をふさいだ。
「おい、何なんだ・・アンドレ!」
オスカルはびっくりして叫んだ。
「いいか、俺がお前の目から手をはなしたら、すぐに真っ正面を見ろ!いいな・・!」
アンドレは、オスカルの耳のすぐ横で言った。
「ふん・・・もったいぶってさ・・・。」


「いいからそうしろよ、きっとびっくりする・・・ほら!」


アンドレは、オスカルの長いまつげのかかったその手を、布でもはぎ取るかのように空に投げ出した。 

アンドレの手がはなれたすぐ後、オスカルの視界には、ダイヤモンドのかけらが飛び込んできた。
夜の闇の中、向こう側の見えない、果てしなく続く一本道。
両側のマロニエの並木は、手を差し伸べて、ふたりを迎えている。
地上では蛍が舞い飛び、夜空では幾億の星がこぼれんばかりにまたたいていた。

「信じられない・・・!」

オスカルは、そう何度もつぶやいて、ぴくりとも動かないでいた。
  
「びっくりしただろ?
 この一本道は、夜になると、星空がじゅうたんみたいに・・。」
ちょっとした優越感に浸るアンドレは、笑いながらオスカルを覗き込んだ。


次の瞬間、アンドレの体は硬直した。

星空と蛍の中、オスカルの頬には、いくすじもの涙がつたっていたのだ。
滅多に泣かないオスカルが、大粒の涙をこぼして、泣いていた。

オスカルは、涙も拭わずに言った。

「・・・士官・・学校で・・・。
 女だと・・私はどんなに強くても・・女・・だと・・!」

オスカルは、せきをきったようにしゃくり上げた。

「何のために私は・・毎日・・人の倍の努力をしているんだ!
 そう言われないために・・・・男になるためでは・・なかったのか・・!」

  
アンドレは、震えるオスカルの細い体を、星と蛍の光の中で見ていた。
こんな弱々しい姿でさえ、オスカルは美しかった。
心臓が破れそうなくらいに高鳴って、体中の血が渦巻くように熱くなる。
オスカルに対して持った、初めての感情だった。 

「・・ばっかだなあ、オスカル!」

アンドレは、オスカルの前に回って、オスカルの背中にそっと手を伸ばした。
「・・・アンドレ!?」
急に抱きしめられたオスカルは、アンドレをふりほどこうとしたが、アンドレはびくともしない。
「ほら、俺だってふりほどけないんじゃ、ばかにだってされるさ・・・!」
アンドレはそう言って、オスカルをそっと、ひきよせた。

こうしたいと思う、この気持ちは何なのだろう。
自分でも分からない、声にならない、ちくちくする胸の痛み。

オスカルの髪の香りが妙に女らしくて、美しい泣き顔に何だか胸が痛くて。
アンドレは、腕の中のオスカルを離さずにはにはいられなかった。

蛍が、ふたりの横をすり抜けては光り、光ってはすり抜けて、ふわふわと飛んでいる。
マロニエの並木からは、心地よい葉擦れの音が、ふたりの髪を撫でて、銀河へと風を送っている。


オスカルは、アンドレに抱きしめられても嫌だとは思わなかった。
いつの間にこんなに背が伸びたのだろう、いつの間にこんなに男のような声になったのだろう。
胸に生まれるのは、とまどいにもにた焦りばかり。

ただ、いつものアンドレの裏側に、何か感じたことのないものがあって、
それに触れていたいと、心のどこかで切に願っていた。


オスカルはそっと、言った。

「・・・明日になったら、ふりほどいてみせるさ。アンドレだって・・!」
声こそ頼りないものであったが、そこには、決意めいたものが、蛍のように淡く生まれていた。


前よりやわらかく、ちいさくなったオスカルを抱いて、アンドレは思った。
今、自分のシャツを濡らしている涙は、明日にはもう流れることもないだろうと。

そして、そのかわりに、この言いようのない胸の痛みに、自分が涙するのだろうと。


マロニエの並木は、ふたりが家路につく姿を、最後まで見守っていた。
互いに寄り添った体から伝わる、高鳴る鼓動に気づかれまいとするふたりを――――――。