マロニエ V


       
      アランは、深い眠りの向こうで夢を見ていた。

      
      青く晴れ渡った空の下、剣の試合をするオスカルと兵士達。
      普段とはまた違った熱気が、訓練場に渦巻いていた。

      誰かひとりでも私に勝てる者があれば、好きなものを――――。
      はじまりは、オスカルのこんな一言だった。

      今回は、ワインを定期的に仕入れることを約束し、試合を始めた。
      こんなお遊びのような試合を、みんな楽しみにしていた。

      次々と倒れていく中、アランとオスカルの試合がやってきた。
      みんなの声援を受けて始まった試合は、ややオスカルの優勢。

      焦ったアランは、剣を勢いよく地面に落とした。
      その瞬間を見逃さず、オスカルが、アランの首にスラリと剣を落とす。

      『いいか、アラン。
       どんな状況下においても、焦らず行くことは、何よりの勝利につながる。
       分かったら、さあ・・・剣を拾ってかかってこい!』

      また、わっ・・という歓声が、訓練場を包んだ。
 

      火花散る剣の響きは、太陽をも反射させ、きらきらと輝いている。

      その白銀の光は、オスカルの肌の輝きにも似ていた・・・・・



      
      


      
      ――――――アランは、泣きながら目を覚ました。



      明け方に転がり込んだ安宿のベッドは、キシキシと音を立てて、
      アランに朝の挨拶をした。

      オスカルの夢は、アランに決まって涙をもたらした。 
      懐かしい思い出は、無情にも夢にどんどんあらわれる。     
      そして、また泣いていたのかと、自分でも呆れる。

      大きく長いため息をつき、アランはゆっくりと起きあがった。
      裸足のまま、冷たい板張りの床を歩き、窓辺に近づく。
      そして、カーテンを引きちぎるように開けた。


      そこには、朝の光に溢れた町並みが広がっていた。


      朝の空気が、ひとすじの光のように気持ちよく、町中を走っている。

      愛らしい、ショコラ色の家々。
      その向こうには、教会が街を見守るようにそびえ立っている。
      小さな森が街の入り口付近にあり、雪を被った緑の木が並ぶ。
      抜けるように晴れた冬の青空は、かげりなどひとつもない。

      アランの中に、久しぶりで出会った感情がこみ上げてきた。
      
      やがて聞こえてくる、朝を告げる教会鐘の音。
      心に溢れる清らかさは、病院では味わったこともなかった。
      アランはまた、別の理由で泣きそうになる自分を抑えた。


      「おはようございます、失礼しますよ!」
      ノックと共に、宿の女が入ってきた。
      「お元気になられたようで良かったです、お客さん。
       明け方は着くなり、死んだみたいにお眠りになりましたからね。」

      女は、アランのベッドのシーツをはがし、かごに入れた。

      「悪かったな、迷惑をかけて。」
      アランは、窓の光を背にして言った。

      「いいんですよ、お客さんも、ご旅行の方でしょう?
       いらした時の格好で分かりましたよ。
       冬はよくいらっしゃるんです、ほら、そこから見えるでしょう、
       向こう側の大きな森・・・・ええ、長い一本道の向こう。
       馬車の車輪を雪にとられたと、明け方いらっしゃる方!」

      「そう・・なのか?」
      アランは、思いがけない言葉にびっくりした。 

      「それがまあ、昨日のお客さんみたいに、皆さん雪まみれで!
       ひいはあ言いながら来られるんですよ・・あはは・・!
       あらやだ、あたしったら・・ごめんなさいね!」

      女はけらけら笑いながら、枕もかごに押し込んだ。

      「あ・・あ、そうなんだ・・参ったよ。雪深い道で・・。」

      アランは、どきどきしながら話をあわせた。
      まさか病院から脱走したなんて、口が裂けても言えない。
      何かと落ち着かないのに、よくこんなに普通に話していられると、
      アランは自分でも驚いていた。

      「朝食はこちらに運びます、窓際にテーブルをお持ちしますので。
       あっ、お急ぎでしたら、昼までに替わりの馬車をお呼びしますけど?」
   
      「馬車は呼ばなくてもいいさ、ゆっくりしたい。」
      アランは、首を横に振った。
  
      女は、おろしたてのシーツを、音もなくベッドに置いた。

      「・・・・そうですか・・・・。
       それにしてもお客さん、その腕、外出していいんですか?
       何だか、病院からそのまんま逃げてきたみたいな軽い手当で・・。」

      その言葉に、アランの心臓が、打ち抜かれたように跳ね上がった。
      「み・・見かけより、大したことはないんだよ・・・!」
      「だって、血が滲んでますよ?やっぱりお悪いのでは・・・。」
      アランは慌てて、傷口をギュッと握るように隠した。
      「たまに出血する程度で・・も、もうすっかりいいんだ・・。」
      「ふうん・・そうなんですか・・。」

      背を向けた女は、新しいシーツをせっせとベッドに敷いている。
      アランはもこの何でもない女から、異様な恐ろしさを感じていた。

      女は言った。

      「御存知です・・?お客さん。
       昨夜、ここから少し向こうの病院で、患者が脱走したそうですよ?
       ふふふ・・・お客さん、もしかして・・?」

      女のその声は、氷のようにひやりとして聞こえる。
      アランは、額に手を当てた。
      「いや・・・・し、知らなかったよ。俺も昨日着いたばかりで・・!」

      女を直視できないアランの背筋に、冷たいものが流れた。

      「う・・腕のことは、誰にも黙っていてもらいたいんだ。あまり知られたくない・・。」 

      辛うじて唇を動かすが、アランの心臓の鼓動はまさに荒波であった。
      しぶきを打ち付け、彼をどこかへ押し流してしまいそうである。


      女は振り向いて、言った。

      「・・・・・かしこまりました。
       変なことばかり申してしまってすみませんね!
       腕、どうぞお大事に、不都合があったらお申し付け下さい。
       ただ今、朝食をお持ちいたしますから!」

      ドアの音を響かせて、女は出ていった。

      「よかった・・・・!」
      アランは大の字になってベッドに寝ころんだ。
      まだドキドキする胸元を押さえると、オスカルのペンダントが手に触れた。

      「焦らず行くことが、何よりの勝利につながる・・・か・・!」

      アランは笑いをかみしめて、もう一度朝の光を臨みに窓辺に向かっていった。
      彼を照らす朝日は、いつものものとはどこか違う。
      希望に満ちあふれた、新しい光だった。

      部屋の戸口にはもう、美味しそうなスープの匂いが漂いはじめていた。