マロニエ W

冷え込む田舎町の夜は、骨まで凍りつくような寒さをもたらす。
アランが滞在している部屋の暖炉にも、いつもより多めの薪がくべられた。

「お怪我の具合はいかがです?ムッシュウ・・」
老婦人が腰をかがめて、暖炉の火を覗き込んでいる。

「ここに来てから、何だか良くなったような気がするよ。
マダムのおいしいパンのお陰かな。」
アランはにっこり笑って、街の本屋で買ってきた本を開いた。
      
この宿は本当に居心地がよかった。
老夫妻が経営し、そのほかに数人が働いている。
初めの朝にアランを起こしに来た女は、メリー。
たったひとりのコック、レオニ。
     
みんなとても仲良く、楽しく働いているのは言うまでもなかった。

アランは素性を隠し、シャロンと名乗った。
幸い、宿の人間はみなアランを普通の旅行者だと思っている。 
      
空がほんのりと薄紫に色づく、美しい夜明け。
日当たりの良い部屋に差し込む、暖かい光にまどろむ午後。
まだ三日足らずだというのに、アランはこの宿がすっかり気に入っていた。

――――――かといって、いつまでもここに居るわけにいかない。

それは、アラン自身が痛いほど分かっていた。
      

「それでは、ボン・ニュイ・・ムッシュウ・シャロン。」
「おやすみなさい、マダム。」

老婦人は、その小さな背中をアランに向け、音もなく部屋を出た。
アランもすぐに灯りを消し、ベッドに身を沈めた。




      

深夜、アランは人の話し声で目が覚めた。

アランの部屋は二階――――どうやら、一階から聞こえて来るようだ。
「泥棒か・・何かか・・?」
アランはいてもたってもいられずに飛び起きる。 
ガウンを羽織り、ろうそくを片手に階段を下りた。
古い木の階段は、きしむ音を立ててアランの足音を吸い込む。

アランは、一階のダイニングに足を踏み入れた。
テーブルがいくつか並ぶダイニングの向こうから、声が聞こえる。
「厨房か・・・!」
緊張しながらも、アランは厨房に近づいた。

厨房からは、ろうそくのほの灯りが見えている。
そこに、人の影が映り、しゃがんで何か手を動かしていた。
「ネズミめ・・俺の居るここに忍び込んだのが運の尽きだな!」

アランはニッと笑って、いきおいよく厨房の扉をあけた。

ガタン!と大きな音を立て、扉は開いた。
「誰かいやがるのか!?おい!」
アランはすぐに、ろうそくの灯りで、厨房を照らした。

しかし、厨房には誰もいない。
真ん中の小さなテーブルに、ろうそくがゆらゆらと揺れているだけ。
気配のする厨房に、それがまた、何とも言えず不気味だった。

アランが、顔をしかめて足下を照らすと、よく手入れされたナイフがひとつ、落ちていた。
皮をむいたジャガイモの山の横にキラリと光っている。
「やっぱり・・・強盗だな・・。」
突っ立っていてもらちがあかない、そう思って、ろうそくの灯りを頼りに、
アランは厨房を見回すように歩いた。
      
その時、かまどの横で、パサッと小さな音がした。
アランがろうそくを向けると、小麦粉の袋が倒れ、床が真っ白になっている。

何か確信のようなものを持ちながら、アランはかまどへ近づいた。
そして、かまどの横の隙間に、ろうそくの光をサッと差し込んだ。

その時である。
      
「いやあっ・・・・!!ご・・ごめんなさい・・!」

頭を抱えて、震える娘がアランの目に入った。

「あの・・・あたし、う、歌を練習していたの・・・!
違う、違う違う!強盗なんかじゃないわ、あたし・・あたし・・!!」

娘は、暗がりの中で、涙に潤んだ瞳をアランに向けた。
あっけにとられたのは、アランの方である。
「お・・お前・・?」
「いやーっ、いやあ!あたしはただ、明日のスープの野菜を切って、
 今度、あの、役をもらえて、歌を練習して・・いや、いやーっ!!」
娘は、さらに隙間の奥へと逃げ込んでいく。
「おい・・!」
アランが娘に歩み寄ると、何かゴロッとしたものに足をとられた。
「うわっ・・・!」
派手に転んだアランは、見事にしりもちをついた。
手に持っていたろうそくはすぐに消え、あたりは真っ暗になった。

「きゃーっ、きゃあああ!大丈夫ですか!?いやーっ!」
隙間から這いだした娘は、アランに駆け寄った。
アランが床を触ると、ジャガイモがころんと手に触れた。
それにはっきりと、アランが踏んだので崩れた部分があった。
      
「えっ・・きゃあーっ!暗いわ!ムッシュウ、どこです!?」
娘は、アランの顔をぺたぺたと触り始めた。
そのとたん、アランはゴホゴホと咳が出るようになった。
「ぶはっ・・何だこれ・・小麦粉!?やめろ!」
アランの顔に、おしろいを塗るように小麦粉がくっついていく。 
      
      
その時、厨房のドアがバタンと開いた。

「こんな夜中に、何だね!!
お客様が起きるから静かにしろと、いつも言っているだろう!」

パッと明るいランプの光が差し込み、宿の主人の顔が浮かび上がった。
「きゃあ!ご主人・・すみません!あたし、泥棒しちゃったみたいで・・!」
娘はサッと立ち上がり、主人に頭を下げた。
「何を言っているんだい、お前は・・?」
主人は、小麦粉まみれの娘を見て、口をぽかんと開けていた。 
「どういたしました、あなた・・・!」
夫人も白い息を吐きながら、厨房へやってくる。

「どうしたもこうしたもないさ!見てみなさい、この姿を!
まったく・・・・・ヴィスタリア!!小麦粉つけて何やってるんだ!」

主人はかんかんになって怒っている。

娘はしゅんとなって、エプロンを掴んだ。

ランプの明かりで、アランは初めて娘をきちんと見ることが出来た。
栗色の豊かに流れる髪の毛も、やわらかなその頬も何もかも真っ白である。
まばたきすると、睫毛に降り積もった小麦粉が床にこぼれた。

しかし、アランはただ、何が何だか分からず呆然とするしかなかった。
そして、騒ぎを起こしたのは紛れもなく、自分の小麦粉まみれのこの手だと思うと、
悪戯を見つかったような、罪悪感にも似た気持ちになるのだった。



この騒ぎをよそに、小さな街の東の空はもう、ほのかに色づきはじめていた。