丘の上まで V

     白い聖堂、降り注ぐ幸せの光。
    結婚式は、偉大な神の御手にのせられたかのように、静かに、厳かに行われた。

    若いふたりの旅達は、やわらかな冬の日差しに彩られていた。

    アンドレが、聖歌隊の服を踏んづけて転び、皆の笑いを誘った。
    これがきっかけで、飛び入りのオスカルとアンドレのふたりは、すっかり列席者の人気者になった。

    式の最中は笑顔だったマリアンヌ。
    ブーケを投げ終えたその横顔に、真珠のように光る涙の粒を、オスカルは見た。


    式の後、神父は、オスカルとアンドレににっこりと笑った。
    「この後もありますからね、残っていてくださいよ」と―――――――――――――。




    
    

    「イヤッホ――――――――――!!」

    激しく鳴り響くヴァイオリンと、人々の騒ぎ声。
    あちこちで聞こえる乾杯のグラスの音。葡萄酒の匂い。
    軽快なステップを踏む音が、小さな教会を揺らして、今にも壊れてしまいそうである。
    「さあ、踊りましょう!もっともっと!」
    マリアンヌが靴を鳴らして、ダンスの中心に躍り出た。
    

    「神父様、神父様!」
    声をくぐり抜けて、オスカルとアンドレは必死になって神父を呼んだ。
    「どうしましたー!?」
    神父は踊りの輪を抜けて、オスカルとアンドレに走り寄った。

    「どうしました、って、こっちが聞きたいですよ!ぼく達は静かにしろと・・・!」
    「そうだそうだ!全然静かじゃないぞ!教会でこんな事していいのかい!神父様!」
    ふたりは声の限りに叫ぶが、この騒ぎで聞こえる声も途切れ途切れである。

    「すみません!だまっていて・・・。
     でもね、幼なじみのマリアンヌたっての頼みですからね!断れませんよ!
     この教会で、大好きなダンスを倒れるまでしたいとね!
     実はここにいる人は、みーんなダンスがお好きなんですよ!」

    神父はそう言いながら、また輪の中に戻って踊り始めた。
    「なんてこった・・・!こんな結婚式、聞いたこともないや!」
    そんな神父を見て、アンドレはあきれ顔で頭をかいた。

    「でも・・見てよ、見てよアンドレ・・・・!!」
    オスカルは、目をきらきらさせながら聖堂を見回した。


    「みんなすごく楽しそう、幸せそう・・・!」


    そう言って笑うオスカルの瞳には、楽しそうに踊る人々がくるくると映っていた。

    白いドレスをひるがえして、少女のように踊るマリアンヌ。
    楽しい音楽を奏でる楽隊、歓声、絶えることない笑い声。
    冬の日差しが差し込んで、白く輝く壁に、ステップさえも映し出されている。

    「・・・踊ろう、オスカル!」 

    アンドレは、オスカルに手を差し伸べた。
    彼のその小さなからだは、既に小刻みにリズムを取り始めている。

    「うん・・・!」
    興奮を抑えつつ、オスカルはアンドレの手を取った。

    ふたりは、ダンスの輪に入り、上手にステップを踏んでいく。
    踊っていた人々から、わっと歓声があがった。

    「上手いじゃないですか、ふたりとも!」
    神父が踊りながら近づいてきた。
    オスカルとアンドレは、ニッと得意げに笑い、声を揃えて言った。

    「神様のダンスホールだもんね!」

    人々からまた、大きな歓声があがった。
    「こりゃいいや、神様のダンスホールか!」
    「ようし、もっと踊るぞー!!」
    その声を合図に、楽隊はさらに音楽を盛り上げる。

    こんなに楽しい気分は久しぶりよ、と、マリアンヌは言った。
    泣きそうになるマリアンヌの涙をさらうように、オスカルとアンドレは、
    リズムの中心に、彼女と彼女の夫を引っ張っていく。

    「ふたりに、神の祝福あれ!」
    誰かがそう叫んだ。指笛が飛ぶように鳴る中、ふたりは照れながらダンスをする。

    ヨハンにマリアンヌ、式の列席者、オスカルにアンドレ、そして神父。
    みんなみんな、神様のダンスホールにステップを響かせた。

    透けるような白い壁に、オレンジ色の甘い夕日が映る頃になるまで――――――。




    この上ない騒ぎと大きな幸せの中、祝宴は終わった。
    雪の野原を踏みしめて、くたくたになった体で列席者達は帰って行く。
    
    さっきまでの騒ぎが嘘のような、静まりかえった教会。
    奥の小部屋では、オスカルとアンドレが小さな寝息を立てている。
    それを、マリアンヌと神父が微笑みながら見ていた。

    「ああ、疲れたんでしょうね、ふたりとも。紅茶も飲みかけにして・・。」
    神父はそう言いながら、ふたりに大きめの毛布をかぶせ、テーブルについた。

    「・・・今日は、ありがとう・・。信じられないくらい、楽しかった。」
    マリアンヌは、透けるような金髪を揺らし、神父を見つめた。

    「フランス一素敵な花嫁からの申し出だ、断る事なんてできないよ。」

    神父は、胸元で手をぱたぱたやりながら、マリアンヌに微笑んだ。
    しかしすぐに、眉をハの字にして、唇をちょっと尖らせる。
    そして、焦ったような表情を浮かべた。
    「・・あ・・・れ・・・ない・・・。十字架・・・。」
    胸で動かしていた手を椅子の背もたれに回し、神父は床を見回した。

    「落としてはいないな・・・変だな、ダンスの最中外した所まで憶えているけど・・。
     もしかして、あちらにあるのかも・・。」
    神父は椅子を立ち、聖堂の方へ足を運ぼうとした。

    
    「右のポケットに、手を入れてごらんなさいな・・ミカエル。」

    クスクスと笑いながら、マリアンヌは神父に言った。
    神父が不思議そうな顔をしてポケットに手を入れると、鎖の鳴る音がする。
    そっとポケットから手を抜くと、首からいつも提げている、古ぼけた十字架が現れた。

    「ほうら、やっぱり・・あなたは、大事なものは右ポケットにしまうの。絶対ね。」
    マリアンヌはまだ、クスクスと笑っていた。
    「よく・・・・そんなことまで・・・!」
    神父は驚きに満ちた瞳で、マリアンヌを見た。
    
    「何も変わってないわ・・あなたは。
     そのやさしい笑顔も、澄んだ朝の空気のような、おだやかな声も。
     ・・・子供の頃、泣きながらあなたの馬車を追いかけた、あの雪の日から・・・・。」


    「・・マリアンヌ・・・・。」
    神父は、静かに椅子に座った。


    「まだ、持っていてくれたのね、その十字架・・・。」
    「いつも僕を守り、傍にいてくれたよ。」

    神父は十字架をかたく握りしめた。

    「よく・・・、こうして紅茶を飲んだわね。」
    カップをなぞる、マリアンヌの細い指が震えている。 
  
    「僕が若草色のカップで、君が桃色のカップだった。」


    「あ・・あなたがいなくなる前の晩は・・月が出ていたのに・・」
    マリアンヌは、その大きな瞳に涙をためて、唇をかみしめた。

    「朝になったらすっかり雲って、雪がちらついていたっけね・・・・。」
    

    ふたりは、どちらからともなく立ち上がった。

    ゆっくりと窓辺に進んだふたつの陰。
    オレンジ色の光の中、それらはそっと、しかし強く重なった。
    ふたつの陰が溶けていくかのように、夕日と淡く混じり合っていく。

    「約束・・守れなくて、ごめんなさい・・ミカエル・・・!」

    マリアンヌは泣きながら、神父の胸に顔を埋めた。

    ミカエル神父の中を、幼い日の記憶と共に、愛しい人の香りが通り抜けていく。
    陶器のようにきめの細かい白い肌、輝きながら揺れた金髪。
    あの日、泣きじゃくりながらいつまでも手を振っていた彼女。はじめて見た泣き顔。

    夜露を散らしながら、丘の上まで星を見に走ったいくつもの夜――――――。


    「ごめんなさい・・嘘をついたわね・・。大きな大きな嘘を・・・。
     あなたのお嫁さんには、なれなかった・・!
     ・・・私は、こんな嘘つきじゃなかったのに・・・・!」

    マリアンヌの頬に、涙のすじがいくつも光る。
   
    「今も昔も、君は変わらないさ。嘘つきなんかじゃないよ。
     ヨハンとずっと幸せに・・マリアンヌ。
     ・・・・でも・・・実を言うとね、僕のためにそのドレスを着て欲しかったよ。」

    神父は、マリアンヌの流れる金の髪に、指をすべらせた。

    「・・・ミカエルは・・ひとつだけ・・変わったわ・・・。
     ずっと・・幼い日のままだと思っていたのに・・・!」

    マリアンヌは、青い瞳を神父へ投げかけた。


    「こんな風に私を抱きしめるなんてこと、子供の頃には・・・!」


    消えゆく夕日の中、あのころと同じマリンブルーの瞳が、神父をとらえて離さなかった――――――。









    一番星が空に輝き出す頃、オスカルとアンドレは目覚めた。

    ふたりは、眠い目をこすりながら毛布をはね除ける。
    「マリアンヌさんは・・・?」
    オスカルが、半開きの目で部屋を見回した。

    「帰りましたよ、君たちの可愛い寝顔をお土産にしてね。
     もう外も暗い・・・、送っていきましょう。君たちも帰る時間だよ。」
    神父は、オスカルとアンドレのコートを差し出した。

    
    「・・・ねえ、神父様。」
    帰り道、オスカルが神父を見上げるようにして訪ねた。
    「昼間のお話、あれ、続きはどうなったのですか?男の子は何と・・・?」
    「そうだよ、どうなったの、ねえねえ!」
    アンドレも思い出したように、ぴょんぴょん飛び跳ねながら言う。


    神父は、輝く星々を見つめ、夜空に白い息をおくった。

    「‘好きだった―――――’それだけで、いいと思いません?」


    首から提げた十字架が、チャリン・・と音を立てた。


    
    「何ですか、それは・・・・・変な神父様・・・。」
    「本当、どこかおかしいや・・・。」

    オスカルもアンドレも、不思議そうな顔をしている。


    「そんなことより、今度は夜にいらっしゃい、たくさんの星を見にね。
     駆け上がる君たちを、紅茶を用意して待っていますよ。」

    ふたりの顔が喜びに変わる瞬間を目に焼き付けて、神父はまた夜空を仰いだ。


    美しい花嫁の、ひるがえるドレスにも似た輝きが、冬の夜空を包んでいる。
    遠く遠く、白い教会の建つ、丘の上まで―――――――。