☆ 運命のたまご ☆


             昨日まで降っていた雨の陰さえも見当たらない、晴れ渡った青い空。
             そこに、パリの石畳にかかとをならして、母親と歩く少年がいた。

             急に走り出した少年を、母親はたしなめようとする。
             しかし、彼の耳には母親の言葉は入らないのだろう。
             機械人形のように、飛んだり跳ねたり、大忙しである。
             ついには、通りかかった広場の噴水にあがり、逆立ちまでした。

             「こらっ、アンドレ!!」

             母親にそう怒鳴られて、少年はやっと静かになった。
             しゅんとして、頭を垂れて、しぶしぶと母親に寄り添う。
             下唇を突きだした少年は、少し泣きそうな顔になった。
             そんな少年を見て、母親はクスッと笑い、その黒髪に指を滑らせた。

             その瞬間、少年の顔にはまた、ひまわりのような笑顔が戻った。
             そしてまた、走り出して行く。

             「ホラ見て!母さん!」
             振り向いてニッと笑って走り出した少年は、石畳の上で宙返りをした。
             その後、アクロバットのまねごとのような側転を数回繰り返す。
             小さなからだがヒュッと縮こまって、伸びて・・・次の瞬間には笑顔と共に
             戻ってくる。

             「いいぞー!」「もっとやっておくれ、坊や!!」

             眺めていた街の人々から、大きな歓声があがった。
             母親は顔を真っ赤にして辺りを見回すが、当の少年は、アイスクリーム売りの
             おばさんにアイスクリームをもらい、花売りの女の子に花をもらい、
             上機嫌で、大道芸人のようにお辞儀をした。

             広場には、母親に手を引かれたアンドレが、別の通りに消えるまで、拍手と
             歓声が止むことはなかった。





             「・・・もう、アンドレったら!」

             ひとつ向こうの店のならぶ通り。
             パンとお菓子を抱えて、母親はまた、少年――・・アンドレを叱った。
             「あんまりヘンなことしないでって、いつも言っているでしょ!?」
             するとアンドレは、得意になってアイスを舐めた。
             「へへん!これで母さんも、有名な息子を持ったってわけだね!」

             「・・・・・もう!あんたは・・・。」
             母親はあきれ顔でため息をひとつついた。
             「それよりアンドレ、この前みたいに、たまご落とさないでちょうだいよ!」
             そう言われて、アンドレはハッとし、左手に抱えられたたまごを見た。
             「う、うん・・・!」
             残ったアイスを一気に食べて、緊張した面もちでたまごを両手に抱えた。


             その時である。

             「お待ち下さい・・・お待ち下さい―――――!!」
             近くの路地から、人が走る音と叫び声が聞こえた。

             そして、路地から、何物かがいきなり飛び出して来たのだ。
             「わあっ・・・・・!」
             その何物かは、アンドレに、横から見事にぶち当たった。
             アンドレとぶつかった者は同時にしりもちをつく。
             「痛えな!何するんだ!!」
             アンドレは怒りと痛みにふるえて叫んだ。
             そして、それと同時に大切なことをひとつ、思い出したのである。

             「あ・・、たまご・・!」

             そう叫ぼうと、もう遅かった。
             アンドレのちいさな腕に抱えられたたまごは、ふわりと宙に舞い、
             あっという間に石畳にたたきつけられた。
             グシャ、という音と共に、割れたたまごが、包まれた紙にじわりとにじみ出し
             た。

             「い・・痛・・・!」
             そのたまごのすぐ横では、アンドレより少し小さいくらいの背格好の、
             見慣れない少年が腰をさすっていた。
             「お前、たまご弁償しろよ!」
             アンドレが、倒れ込んだ少年の胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。
             「う・・・っ・・。」
             少年は立たせられ、ほどなくしてアンドレと目があった。

             「・・・・・・・!!」

             その瞬間である。
             この平民の親子は絶句した。

             目の前に立っているのは天使かと思うほど、美しい少年だった。

             金色の、ふわりとしたクセのある絹糸のような髪は、8月の太陽を浴びて、
             目映いばかりに輝き、白い肌に光るサファイアの瞳は、まるで夏の銀河だっ
             た。

             「すまない・・、たまごは弁償する、これでいいだろうか?」

             その少年は、あっけにとられた親子をよそに、ポケットから袋を取り出した。
             アンドレがそれを受け取ると、チャリンという音と、硬貨の感触があった。
             「ま・・あ・・・!お返ししなさい・・・アンドレ!!」
             母親は慌てて取り上げようとするが、アンドレは袋を離さなかった。
             「うっそ・・こんなに!?あんた一体なんなのさ!?」
             アンドレが目を白黒させていると、向こうから人が走ってきた。

             「探せ!こちらの方にいらしたぞ!」

             その声と共に、立派な飾りの馬車も走ってくる。
             「しまった・・・!」
             その人たちを見ると、金髪の少年は急に青くなってオロオロしはじめた。
             「どうしたら逃げられる?教えてくれ・・!」
             少年は、アンドレにすがった。
             「よしっ、任せとけよ!」
             アンドレは、すぐに少年を路地へと押し込んだ。
             そして、暗い路地の中で、金髪の少年の目を奥に向けさせた。

             「いいか、あんた逃げたいんだったら、ここをまっすぐ行って・・・。」

             「そうか・・感謝する!」

             たったそれだけを聞いたら、少年は走り出そうとした。
             「お、おいっ・・・待てよ!」
             アンドレは、その少年を呼び止めて、自分の帽子をさっと取り出した。

             「あんたの金髪、キラキラ光ってすぐ分かっちまうよ!」
             そう言って、アンドレは輝く金髪に、深く帽子を被せた。
             「すまない・・・。」
             「いいってば!気にするなよ。」

             走り出そうとした少年は、思い立ったようにアンドレを見つめた。
             「君は・・いつも・・自由に外に行くのか?お母上と買い物をしたり・・。」
             アンドレは不思議な顔をして、少年を見た。
             「あんたは行かないのか?」

             少年は、寂しく微笑んで言った。

             「・・・・父上も母上も、わたしの事などちっとも分かってくれない。
              勉強、武術、乗馬、会合・・・・。そればかりおしつけて・・・。
              わたしは自由が欲しい!思いっきり遊びたい・・・・!!
              だから・・・だからこうして逃げてきたんだ。」

             少年は、シャツのすそをグッと握って、悲しそうに空を見つめた。

             アンドレは、ちょっと頭をかいて言った。
             「・・何だか分からないけど、逃げてくれよ!おれ、応援するよ!!
              なあ、おれはアンドレ。お前は何ていうんだ?友達になろう!」

             それを聞くと、少年のはりつめた顔に笑顔が戻った。
             ズボンの土をパタパタと払い、その少年は言った。

             「わたしは・・・。」

             その時、馬のひづめの音と共に、またあの声がした。

             「いらしたぞ――――――――――!!」

             「あっ・・・!」
             少年は、もっと深く帽子を被った。
             「早く行けよ!まっすぐ行ったら、3つ目の角を左に曲がるんだ。
              そしたら、白い猫が寝てるぼろっちいお菓子屋がある!
              そこにに入れ!アンドレの知り合いだって言って・・・・!」
             そう言いながら、アンドレは少年の背中を押した。

             「ありがとう・・・!」

             言い残した言葉は、まるで、風のようだった。
             金髪の少年は、すぐに路地の奥深くに消えていった――――。







             「・・・アンドレ!」

             少しすると、母親が、アンドレを見つけて駆け寄ってきた。
             「母さん、どうしたの?」
             「どうしたもこうしたもないわよ!もう・・ご無礼はたらいて!!」
             「は・・・?」
             アンドレが、わけが分からないといった顔つきで母を見た。

             「貴族なんですってよ!あの方!噂だと、将軍のご子息とかで・・・。」
             「ゴシソク・・・・?何それ・・・・。」

             母親はあきれかえって、アンドレを見た。

             「・・・・・・・・とりあえず、このお金は教会に寄付します!」
             そう言って、アンドレから袋を取り上げた。

             「あっ・・ちょっと!母さん!たまごの分だけでも・・・!」
             そう言って母にすがったアンドレだが、あっけなく避けられた。

             「いけません!このお金で食べても美味しくありませんよ!」

             「母さーん!!考えなおしてよ!明日はおれの誕生日だろ!?
              7歳だよ!?ねえ、記念の歳だよ!?」

             「・・・どこが記念なもんですか!」


             「オムレツ食べたいよ!母さん、母さーーん!!」




             少し涼しくなった風を連れて、教会の石段を登る母の後を、黒髪の少年が、
             ぴょんぴょんと飛び跳ねながらついていく。

             空には、白い鳩が2羽、ならんで飛んでいる。
             その鳩を見て、黒髪の少年は、美しい金髪を思い起こしながら、
             あの少年との再会を神に祈ろうと思った。
             そして、空に羽ばたく鳩のように、いつか仲良く遊びたいと・・・・・。

             「ほら、いらっしゃい!アンドレ!」
             母親は教会の入り口で、少年を急かすように手招きする。

             「ちぇっ・・・やっぱり行くのか!はーい!!」

             呼ばれた教会の入り口で、少年はまた宙返りをして母親に怒られた。



             緑と太陽まぶしい8月。
             昨日までの雨が嘘のような、晴れ渡ったパリの午後――――――――――。




                            F I N