月夜の訪問者 前編


            綺麗な月が、漆黒の闇にうっすらと光を放ち、浮かんでいる。
            テラスでヴァイオリンを奏でる、オスカルのその麗しい横顔にも、
            美しい光のしずくが舞い降りていた。

            オスカルはふと手を休め、ほほをなでる優しい風を仰ぎ、
            月の光に包まれた夜空を見上げる。

            怖いくらいに、静かで美しい夜――――――。

            初夏の爽やかな風に心躍らせ、やがて訪れるであろうきらめく夏の日を、
            オスカルはそっと、思い浮かべていた。

            暗闇の向こうから、いきなり強い風が吹いた。
            薄いレースのカーテンは今にもちぎれそうになる。

            その時である。ゆらめくカーテンの白い狭間から、闇を引き裂くように
            誰かが懸命に叫んでいるのが聞こえた。
 
            「どなたか、すみません!どなたかお願いします!」

            聞くところ、まだ子供のような声である。
            この時間帯、この場所を通る者は滅多にいない。

            「助けてー!助けてください!」

            子供は、必死に泣き叫んでいる。

            オスカルは急いで階段を駆け下り、声のする表門へと向かった。
            途中、玄関前のホールで、声を聞きつけて出てきたアンドレと
            合流し、ふたりで門へと走っていく。

            「お願いします、どなたか出てきてください!」

            鉄の門の向こうから、必死に助けを求めている。
            暗闇のせいでよく見ることは出来ないが、小さな体がうごめいて
            いるのくらいは分かる。声の通り、やはり子供であった。

            「どうした、何かあったのか!?」
            アンドレが声を掛ける合間も、子供は必死に後ろや左右を見回し、
            しきりにおびえている。
            「追われているんです・・・!助けて、助けてください!」
            「な・・・っ、追われている!?」

            その時、遠くの方から、何頭もの馬のけたたましいひづめの音と、
            かなり大勢の男の声が聞こえてきた。
            「そっちはいたかーー?」
            「いません!一体どこに・・・・。」
            「早く探せ、何をぐずぐすしているんだ・・・・!」
            そう叫び終わらぬうちに、何発かの銃声が、空に向かって撃たれた。

            事を悟ったオスカルは急いで門を開け、子供を中へ引っ張った。
            「早く、中へ・・・・!」
            アンドレは素早く門を閉め、オスカルにいきなり引っ張られたため、
            まだふらふらしている子供をひょいと抱きかかえ、屋敷に走っていく。
            オスカルは謎の男達を警戒しながら、アンドレの後を走った。
 
            玄関前のホールでは、銃声を聞きつけて集まってきたジャルジェ夫妻、
            そしてばあや、執事、メイド達がざわざわと集まっていた。

            バタン!

            玄関の扉が荒々しく開かれ、息を切らしたオスカルとアンドレが入ってきた。

            「オスカル、何だったのだ、今の銃声は!」
            ジャルジェ将軍がオスカルとアンドレに走り寄った。
            ふと気づいた様に、ジャルジェ夫人がアンドレに聞いた。

            「アンドレ、その子は誰なのです?」

            見ると、子供はすっかりおびえて、震えている。
            アンドレはやさしく、背中をポンポンと叩いた。

            「事情は分かりませんが、さっきの銃声は、この子の追っ手によるもの。
             何か理由があるのではと思い・・・・、中に入れました。」

            オスカルは説明し、アンドレの腕の中に抱かれた子供に目をやった。
            さっきは暗闇で分からなかったが、どうやら男の子のようだった。

            上等の生地で仕立て上げられた、緑色の洋服に、お揃いの帽子。
            ぴかぴかの革靴を履いている。
            この風体からすると、貴族の子供らしい。

            「さあ、もう大丈夫だ。ここは絶対に安全だよ、降りてもいい。」

            アンドレはそう言って、おびえる男の子を床におろした。
            男の子はひどく震えて足下がおぼつかず、もつれて転んでしまった。
            その拍子にかぶっていた帽子が脱げ、静かに床に落ちた。
 
            「あらあら・・・大丈夫?・・・・・・!!!」
            ばあやが駆け寄り、ジャルジェ夫人とともにそっと男の子を抱き起こした。
            「ありがとう・・・ございます。」
            男の子は、良く通る綺麗な声で礼を言う。
            今までずっと隠れていてよく見えなかった顔が、シャンデリアの
            白い輝きに照らされて、皆の瞳に映し出されてゆく。

            その瞬間、誰もが目を疑った。

            上等の緑のビロードに映える、美しい金色の巻き毛。
            愛らしい唇。白く透き通る肌。長い睫毛にふちどられたサファイアの瞳。
            知性と気品あふれる、凛とした顔立ち。


            月が、幻を連れてきたのだろうか。
            男の子の顔は、まさに幼き日のオスカルにうりふたつだったのである。