月夜の訪問者 後編


            いまにも覆い被さってきそうな夜に、オスカルの心も
            どうしようもない不安にむしばまれている。
            緊張にも似た不安が、あたりの空気を包み込んでいく。

            あれほど輝いていた月も、いつの間にか隠れてしまった。
            膝の上には、ぐったりと力のないピエタ。
            このまま、この子の未来も隠れてしまうのかと思うと悲しい。

            「ピエタ・・・・。」

            アンドレは水を探しに出掛けてしまった。
            取り残されたという孤独感が、オスカルを包み込む。
            木立から鳥が飛び立つその音にさえ、今は過敏に反応してしまう。
            こんなに弱気になったことはない。
            (早く、早く戻ってきてくれ・・・!アンドレ・・・・!)
            オスカルは、ピエタの体をぎゅっと抱きしめながら、暗い空を仰いだ。

            「オ、オスカル・・・・・。」

            草を踏みつける音がして、アンドレの声が背後から響いた。
            「アンドレ!遅かったではないか・・・・・!?」

            アンドレの後ろには、先ほどから三人を追いかけ回している男がいた。
            ぴったりとアンドレの後ろに付き、不気味に笑っている。
            「すまない・・・、泉のところで・・見つかってしまったんだ・・・・。」

            さらに、後ろからもっとたくさんの男達が現れた。
            「逃げろ、逃げろオスカル!こいつら銃を・・・・・・・・!!」

            「・・・・・・・・ガタガタぬかしてんじゃねえよ!黙りな!!」
            男は、アンドレに銃を突きつけた。銃口が背中に触れる音が生々しく響いて、
            オスカルをますます不安にしていく。
            「なぜ、お前達は・・・ピエタを付け狙うんだ・・・!?」
            オスカルは、ピエタの傍に行き、かばうようにして後ろにピエタをおいた。

            「ピエタ・・!?このガキがそう言ったのか!?
             ヘッ・・・・大した気ィしてるな、ガキのくせによ!!!」
            男はまた、銃弾を空に放った。

            「教えてやろうか・・?このガキの本当の名前は‘アービング’・・。
             アービング・ド・メル・スペルグ・・・。」

            それを聞いたとたん、オスカルもアンドレも驚嘆した。
            「何だって!?それじゃあ・・・・!」

            「そうさ、今フランスに来ている、有名占い師のメル・スペルグさ!!」

            その瞬間、オスカルに、三日前のアントワネットとの会話が浮かんだ。

            最近ヨーロッパ中を騒がせている謎の占い師、メル・スペルグ。
            いとも簡単に未来を言い当て、しかも百発百中の予言をするという。
            今フランスに滞在しているという話が入っている・・・・と。

            「っ・・・・うう・・・っ・・・。」
            その時、背後からうめくような声が聞こえ、オスカルは慌てて振り返った。
            「オスカ・・・ル・・・・。」
            弱々しい声とともに、ピエタがゆっくりと起きあがったのである。

            「そのガキ、もう仕事はしたくないなんて言い出してよ・・・・。
             折角、道ばたでのたれ死にしそうな所を拾ってやった恩も忘れて。」

            後ろから、さらに別の男が前に進み出して言った。

            「俺達の組織が、そいつの力に気づいたのは半年前・・・・。
             賭博の勝敗の行方を、見事に言い当てたんだ。あの時はびっくりしたぜ。
             聞いてみたら、‘少し前からちょっと先が読めるんだ’っていうのさ!
             小金稼ぎに、女を代役を立てて占い師なんかやらせてみたら大当たり!
             今や、ヨーロッパ中で知らない者はいないくらいさ!」


            隠れきっていた月が、そのまろやかな光を放ちながら、ゆっくりと、
            その姿をあらわした。
            「あ・・・ああ・・・・・。」
            月明かりの下、ピエタは、ガチガチと震えている。

            「こんな小さな子を・・、貴様らは外道だ!!」
            オスカルはピエタを抱き、鋭い目つきで男達を睨んだ。
            「今度は、その力を上手く使って・・・また新しい事を始めようと思ってる
             という訳なのさ!ハハハ・・・・・・ヒャハハハハハハ!」
            「貴様!」
            オスカルは、言いようのない怒りを全身で感じた。

            その時である。
            ドスッ、という鈍い音がして、アンドレの後ろの男が倒れた。
            そのすきにアンドレは銃を奪い、オスカルとピエタの所へ向かう。
            「ぐっ・・・・、よくも・・・・。」
            四方八方から、何人もの男が現れた。
            「抵抗するんなら、やっちまうしか・・・ないな・・・・!!」
            その声を合図にしてか、男達は一斉にふたりに飛びかかっていった。
            「アンドレ、そっちは頼む!」
            「任せとけよ!」
            殴る、蹴るの激しい戦いが始まった。
            最初あれほどいた男達も、一人減り、二人減りしてだんだんと倒れて少なく
            なっていく。
            「くそっ・・・、こんな筈では・・・。」
            アンドレを捕らえた主犯格らしい男は、マントの下に手を入れた。
            次の瞬間、キラリと光った銃口が、オスカルの目をかすめたのである。
            「アンドレ、危ない・・・・・・・!」

            ズキュウウ・・・・・ン!!

            銃声と共に、アンドレは左肩を押さえて倒れ込んでしまった。
            「アンドレ!!」
            気を取られたオスカルは、今までつかみ合っていた男に腹部を殴られた。
            「ぐあ・・・っ!」
            オスカルも痛みと目眩を起こして、その場に倒れ込んだ。

            「オスカル、オスカル!!!」
            ピエタが泣きながらオスカルに近寄った。
            涙が、月光に照らされて光り、オスカルの頬に落ちていく。
            「ごめんなさい・・・だまっていて・・・・!ぼく、ぼく・・・!」
            アンドレが、血に染まった右手をピエタの近くに差し出した。
            「いいんだ・・・、ピエタ・・・・・。」
            「アンドレ!アンドレ・・っ・・・・・・・!」

            オスカルは、ピエタの涙を拭って、苦しさの下から微笑んだ。
            「これが終わったら・・・三人でジャルジェ家に帰ろう・・・・・!
             ばあやのおいしいショコラを飲んで・・、ベルサイユ・・・にも・・
             連れていってやる・・から・・・。」

            男が近づいてきて、オスカルの髪を乱暴に引っ張った。
            「寝言言ってんじゃねぇ!こいつは俺達が連れて帰るんだよ、ボケ!」
            「やめて、やめてよぉ!!」
            ピエタが泣きながら、男につかみかかった。
            「うるせえ!もとはと言えば、お前が・・・・・!?」

            男は、もう一つの大きな力を感じて、地面を見た。
            「やめろ・・・、オスカルを・・離せ・・・・・!!」
            アンドレが、シャツを血まみれにして男に食らいついている。
            「くっ・・・・・!おい、面倒だ、金髪も黒髪も、早くやっちまえ!!」
            男がそう言うと、一番近くにいた別の男が二人、銃をかまえた。

            「あの世で後悔するんだな!こんなガキのために死んだ事をよォ!!」
            オスカルとアンドレに、冷たい銃口が押しつけられたその時である。


            「やめてぇぇぇぇ――――――――――――――!!」



            ピエタは、闇を切り裂くほどの大声で叫んだ。
            「ぼく、行きます!組織に帰ります!!占いもやります!だから、だから!
             ふたりを殺さないで・・・お願い・・・!!」

            「・・・・・・・ピエタ・・・・!?」

            「最初っからそう言えばいいんだよ・・・、まったく・・・!」
            男達は、突きつけた銃を懐にしまい、マントを身にまとった。
            「オスカル、アンドレ・・・・、ごめんね、こんな目に遭わせて・・・!」
            ピエタは、その小さな手で二人の手をぎゅっと握った。
            「オスカル、一緒に帰れなくて・・・ごめんなさい・・・。」
            「だめだ、ピエタ・・!行くな!」

            ピエタは、アンドレの方を振り向いて、アンドレの傷口にハンカチをあてた。
            「痛いでしょう、ごめんね・・アンドレ・・・!!」

            泣きながら、ふたりにキスをしたピエタは、ゆっくりと立ち上がった。
            「メル・スペルグの名前を見たら・・・ぼくのこと、少しでもいいから・・
             思い出してね・・・・!!」

            「さよなら・・・・、オスカル、アンドレ・・・・!」

            「ピエタ――――――――――!!」

            男達に手を引かれ、段々、森の闇に溶けていくピエタ。
            小さなからだはもう、見えなくなっていく。

            輝く月も、名も知らぬ小さな花も、すべてにじんで見えた。
            ふたりの心さえも、涙で濡れていた―――――――。






            ―――――また、満月の夜が訪れた。
            ほほをくすぶる風も、この前よりもっと夏らしい。

            泣きたくないのに、月を見ると、やさしい光が涙を連れてくる。
            オスカルの睫毛をぬらしていくのは、あの夜と同じ涙・・・。
            隣に座るアンドレの瞳もまた、涙で濡れていた。


            こんな夜、彼らは思い出すのだろう。
            自分の人生さえ、自分で歩めないあの少年のことを。
            そして、切に願うのだろう。

            いつかあの子が、自由へ向かって羽ばたく日が来ることを――――――。