鏡よ、鏡 1.5

 オマケ・・・


 「黙って左から近づくなと言ったぞ」
 アンドレに凄まれて、御者のシモンはどぎまぎし、次いでひとつだけになったその黒い目が笑っていないのにぞっとした。
 「ご、ごめんよ。うっかり…して」
 アンドレがこんな声を出すのは初めてだ。静かな口調なのに恫喝の響きがズシンとこたえる。
 もしも…ジャルジェの邸内でなかったら。シモンがこれほど隙だらけでなかったら。
 浴びせられたのは声だけですまなかったかもしれない。

 同僚たちが左目をそれとなく気遣っても、普段はたいしたことはないとかわしているけれど。そりゃ、見えなくなった側から誰か来たらイライラするよな。
 それにしても、アンドレを怖いと思うなんて。

 (どうもとんでもない世界に来たらしいな)
 慈善事業が趣味で、遊び好きの王妃に説教しては煙たがられているはずのポリニャック夫人がクジャクのように宮殿を闊歩し、“陰の女王”とまで呼ばれているのにアンドレは皮肉な笑いを浮かべた。
 女装の週も手練手管もはったりも忘れ果てたオスカルはそれを苦々しげに見るばかり。あまつさえ鏡に映る自分の服装の地味なこと。やれやれ、このおれがまるでまぬけな従僕だよ。
 (してやられてるじゃないか、なにやってんだオスカル。おまえがその気になればあんな女、地の果てへでも追放できるんだぞ)
 フェルゼン・・・どっか寒い国からきた放蕩児がアントワネットさまに接近して、国中に噂される熱い仲。
 (うまいことやるなあと感心したが、なんと下心も何もない許されざる“純愛”!うわー恥ずかしい言葉!・・・なんだと。いいのかそれで?この世界はどうなってるんだ・・・)
 その上、フェルゼンの名を聞いただけで辛そうにこわばるオスカルの様子がただごとではない。たとえおかしな世界のオスカルだろうと、その感情のあやはアンドレにはなじみのものだ。このアンドレはそっちの方面は免許皆伝である。ピンときた。
 (なんでこうなってる?)

 オスカルを認めてきびきびと近づいてくる近衛将校が、アンドレにははじめ誰だかわからなかった。
 (ジェローデル・・・だよな!すっかり痩せて!お顔の傷は洗い落としたか)
 あのむさくるしいイノシシ武者が、たまごみたいにつるんときれいな顔になって、品のいい香水の匂いまでさせて、優雅に洗練された敬礼をした。
 アンドレはあまりの変わりように感動し、笑いをこらえるため口の中を噛んでかすかに震えた。早くあっちへ行け、噴きだしそうだ!
 「ご苦労。大尉。部署につけ」
 「は。隊長」
 磨いたような端正な顔は何の感情も表してはいない。回れ右。礼儀正しく命令に従う。
 刹那、黒い隻眼と淡いオリーヴ色の目が白刃のように咬みあった。
 黒髪の従者とこの品のいい大尉が冷ややかに目を見合わせるのはなにもきょうが初めてではない。お互い、必要な会話は穏やかに交わしているが、たまに無意識の敵愾心がまなざしに出てしまう。
 貴族の優越を保ちたい大尉はそれを恥じた。
 アンドレは思慮深く目を伏せるようにしていた。
 だが、きょうは。
 ジェローデルは背筋を氷片でなでられたような気がした。
 身分をわきまえた、悲しい従僕であるはずの青年が、なにか得体の知れぬ牙を剥いて自分をおびやかした。
 (オスカルに近づくな。その顔におれの知ってる模様を描かれたいか)
 振り返りたくなかった。アンドレが、愛想のいい笑みを浮かべて見送っているのが気配でわかる。その笑みを消さぬまま飛びかかってくるだろう剣呑な影はどこから来たのか。
 (おあいにく。おれのオスカルはあんたの手には負えないよ。氷の花は、お熱いのがお好きなのさ)
 「何を笑ってる?」
 ヘンだけれどいとしいオスカルに問われて、アンドレは極上のビロードのような笑みを返した。
 「あいつの目、あいかわらず脳みそまで透きとおって・・・」
 言いかけてあきれた。オスカルのきまじめな顔ときたら。
 (にぶい!にぶいぞオスカル!このおれの、女たちが“濡れたまなざし”と騒ぐ視線が通じないか?まさか、一つ減ったんで効き目がうせたのか?)
 不安になって通りかかりの令嬢に試してみた。令嬢は頬を染め、つれの母夫人まで威厳を保とうとそわそわする。よーく知ってる侯爵夫人は扇に顔を隠しながらまんざらでもない。そう、これが普通の反応だ。
 目をさませオスカル!

 夜は非番とかで、オスカルは王妃の遊びにもつきあわず、寄り道もせず、融通のきかない苦行僧のごとく屋敷へ帰った。品行方正謹厳実直文武両道凛烈華麗 晴ときどき酒乱、才色兼備・・・ただし“色”に本人の自覚なし。
 用があると偽ってパリのなじみの賭場へ行ってみたが、入り口の張り番に“新顔”と言われた。大金の動く奥のテーブルへは近づけもしなかった。
 (信じられない。シケてる。こんなシロウトのはした金を巻き上げてどうなる)
 後味が悪いし、浮浪者の異様に多い下町は不快だった。顔色の悪い女、飢えて力のない子どもの泣き声。
 物乞いのひとりに小銭を投げてやると、たちまち哀れっぽい声が四方から上がって、振り払うのに苦労した。
 なんでこんなに民衆が飢えているのか、アンドレは悩んだ。国中に設けられた貧民のための『王様のお台所』タダで料理を習うついでに作ったものを食べられる施設は消えうせているようだ。仮に今からあの施しを始めても、おそらく手遅れだろう。
 「あんちゃん、いい服着てるじゃねえか」
 どこがだ。アンドレはムッとして目つきの悪い男たちを睨んだ。次のセリフはわかっている。「命が惜しけりゃ、身ぐるみ脱いで置いてきな」だろう。そうはいくか。だいたい、左側から近づかれるとカンに触るんだよ、おれは!
 アンドレはにっこりして顔面に一発くらわせ(遠近がわかりにくいので力が入りすぎ、たぶん鼻が折れた)、そいつの鉄棒を奪い取った。二人目は武器をふるう間もなくまともに急所を蹴られた。三人目はみぞおちに強烈な突きをくって二つ折れになった。おとなしそうな青年が凶暴なまでにケンカ慣れしているのに、あとの連中は怒るより浮き足立った。
 「ごめんな・・・おまえら腹へってろくに力も出ないんだな」
 膝骨が砕けるほど足払いをかけた上に踏んづけておいてごめんもないだろうが、アンドレは一番重傷らしい男に金を投げてやり、場違いなおっとりした笑みを浮かべた。

 少しは明るくてましな通りをぶらついていると、男数人のグループが反対側を急ぎ足で歩いていった。憑かれたように緊張した顔のなかに、幽霊を見た。

 「わざわいの種をまくやつ」
 表情も変えぬ、薔薇色のくちびるからほろりとこぼれたひとこと。それで十分だった。
 身をやつし、パリで啓蒙運動とやらを始めたロベスピエールに近づいた。油断させて料理にねむり薬を混ぜ、酔いつぶれたと見せかけて誰もいない深夜の橋から深みへ沈めた。
 最後にそっと言った。
 「田舎でおとなしくしていればよかったのに」
 その男がこの世界ではぴんぴんしている。では、ミラボーもおそらく。シャトレはかれの指示など聞きもすまい。
 道端でアジビラを拾い、やれやれと丸めて捨てた。
 (どうする、オスカル。おまえはこのままでいいのか)

 「ばーさま、小遣いは足りてるかい」
 言ったとたんに元気一杯の蹴りを尻に受けた。ジャルジェ家の没落ぶりを覚悟していたが、これは心配ないらしい。祖母はふくよかでつやつやしている。邸の内も外も豪気な貴族の風格が備わった、立派なものだ。
 しかし自分の部屋は悲惨だった。大事な隠し戸棚も恋文の束も、貴族どもより趣味のいい衣裳のコレクションも消えている。これはおれの部屋じゃない。いつもここを使ってるヤツはどこへ行ったんだろう。
 恋文なぞ惜しくもないが、ある夫婦から送られる、幼い娘の消息を書いた手紙もない。

 かれの知るパリから馬を飛ばして小一日。かくれ里とでも呼べそうなのどかな村の一角に目立たないが瀟洒な邸があり、若い夫婦と女の子が住んでいた。
 父さんはさりげなく警護につき、母さんはかいがいしく小間使いを指示して、家事の合い間に立派に娘の家庭教師もつとめた。
 ジャンヌとニコラスの夫婦はふたりともひどい近眼でうずまきメガネをかけ、苦労をしてきた手をしていた。
 「・・・さまのご恩を忘れちゃ罰が当たる」
 夫婦は幼女の成長ぶりをことこまかに手紙にしたためて屈強の下男にパリまで届けさせる。
 女の子には父がふたりいた。いつも家にいる黄色い髪のニコラス父さんと、決まって夜に訪ねてくる黒い髪の父さまと。
 「アニルール!大きくなったな」
 つむじ風に巻き上げられたように身体が宙に浮く。服をほこりまみれにした黒髪の父親は背が高い。眠いのも忘れ、子どもははじけるように笑う。
 ある夜、若い父は珍しくつれを伴っていた。

 背の高い貴婦人はマントにすっぽりと覆われて顔が見えなかった。
 「お母さまだよ」
 ジャンヌ母さんがそっと言った。
 面紗が上がり、フードの下から光の滝がなだれ落ちた。暖炉の火に輝く黄金の髪。湖のように碧くきらめく目がアニルールをぴたりと見据え、白い手が差し伸ばされた。ジャンヌ母さんとはぜんぜん違う。咲きそめるそのひとときだけ、先端にほのかなあけぼの色を帯びている、白い薔薇の蕾のような。
 「おぼえてない?おひざでねんねしたんだけどねえ…」
 「ふふ…それは無理だろう」
 婦人はかがみこんで娘の髪を撫でた。どこかで嗅いだ、ばらの花の香り。
 「アニルール…母だ。そばにいてやれずにすまぬ」
 「な、おまえの子どもの頃にそっくりだろう」
 黒髪の父は上機嫌だった。婦人は娘の顔を両手にはさみ、気のない様子でつぶやいた。
 「自分の顔はおぼえていないのでな・・・こんなだったかな」
 子どもは返事が出来なかった。母だという婦人は頬にそっとくちびるを触れ、もう興味もなさそうにつと立ってしまった。
 「おまえの雛型さ。なあアニルール。おかあさまって呼んでごらん」
 やさしい父の言うがまま、子どもが素直にママンと呼ぶと、婦人は初めて冷たい面をなごませ、銀笛のように笑った。

 あくる朝には黒髪の父と軽快な乗馬服をつけた見知らぬ青年がアニルールを遠乗りに誘った。
 「わからぬか?母だ。さあ、この白い馬に乗せてやろう」
 金色の髪は太陽の下でますます燃えるように輝いていた。ばらのかぐわしい香りも同じだった。しかし妖精の女王めいた昨夜の貴婦人より、化粧気もないその姿の方がよほど親しみやすかった。アニルールがお馬を好きなことを知っていて、それも大好きな白い馬を選んできてくれたのだ。
 かるがると鞍に座らされ、父ともジャンヌ母さんとも違うのびやかな腕と胸に支えられて、アニルールはうれしくなった。

 「この子と王太子なら年ごろも近いな」
 眠ってしまったおさな子を男の強い腕にゆずりながら薔薇色のくちびるは奇妙なことをつぶやいた。その意味に黒い瞳がかすかにうろたえたのを知ってか知らずか、白馬は翼を得たように鮮やかに駆けり去った。


 あれはほんのふた月前。消したはずの人間が生きていて、遠乗りにはしゃいでいたアニルールは存在しないらしい。
 「あ、おかえりなさいアンドレ」
 あんた誰だとも訊けない。見知らぬ金髪の小間使いが厨房で食器を整えていた。
 病人がいるのか、薬の臭いがする。
 大きな目。かわいらしい口もとに、やさしげな品のある声。貴族の令嬢と言っても十分に通る。
 待てよ・・・アンドレは記憶を探った。表情や着ているものが全く違うんでなんだが、ポリニャックの不良娘にそっくりだ。名はたしかロザ・・・姉妹そろってオスカルに熱を上げていたが、ついに押しかけて住み込んでいるのか?

 (夢でないならおれだけがまともで、あとは・・・と今ごろおれそっくりの男も同じことを考えているとしたら)
 ワインを運ぶとオスカルは書物を置いてありがとうと言った。人間不平等起源論?やはり酔狂なものを読んでいる。
 白いシャツとキュロット。実はこのあっさりした服装がいちばん好きなのは変わらないようだ。かれの愛しいオスカルと寸分たがわぬ美貌。今を盛りの重たげな花枝が匂いたつ風情は影をひそめ、洗ったように清冽なたたずまいはうんと若い頃を思い出す。余計なものを何もまとわない、これは素のままの眩しいようなオスカルの姿か。
 「なんだ、初対面みたいに見て。どうかしたか?」
 「・・・どんなに見ても見飽きないほどきれいだから」
 アンドレは細い顎にそっと指先を添わせた。
 (おや。どう反応していいかわからないか。かわいいな。あの雪だるまの国の男は、こんなこと言ってくれないか。おまえの着飾った姿を見たらきっと目をひんむいて驚くだろうに)
 「オスカル・・・ドレス着ないのか。たまには」
 「あんなもの一生に一度でたくさんだと言ったろう!」
 (あらら、ともかくも着たことはあるらしい)
 だがオスカルはすっと離れた。
 「パリはどうだった」
 アンドレは肩をすくめ、身振りで「さっぱりワヤです」と伝えるにとどめた。
 (おまえがそんな顔をして憂うならおれも心配しよう。このフランスはもう危ない。爆発する溶鉱炉にひとりでフタして回ったり、大きな腫れ物のウミを抜いたりしようって言うのかい。止めはしないが限界だと思ったらおまえをさらって逃げるからな、おれは)
 こんな世界知っちゃいない。どこかで声がする。たどりつくのは不可能な久遠の距離を隔てていながら、アンドレの精神をひとつの宇宙とみればわずかに壁一枚のむこうから響く声。本来、さらって逃げるのはその男の役目だった。
 聴こえるか。壁を叩くつもりで呼んでみる。
 おれにも案じるべきおれのオスカルがいる。きょうは艶やかな藤紫のドレスを着ていた・・・。
 ともあれ、はかなげに物思いをはじめたオスカルの肩をやさしく抱こうとして、アンドレはふと動きやめた。肌に狎れた男女のカンとでも言うか。このオスカルは下手にさわると火傷でもしたように跳びのくかもしれない。
 まさかと思うがこっちがわのおれは手触れもせず、花を護るようにみつめているだけなのか。だからオスカルがほかの男の噂にふるえたりするのか。
 アンドレは呆然とした。(これは、娘がいないはずだわ)。
 オスカルがこの堅さだから、おれもそうなのか?それともおれがモタモタしてるからオスカルがよそ見をするのか。
 身分の壁。わからないでもない。自分も忌々しく思い、今も思っている。けれどおれのオスカルは気にもしないと、すべてこの腕にゆだねてくれた。
 (いかんぞオスカル。すぐそばにいておまえを見つめるやさしいまなざしに、気づくのが遅いと悲劇だぞ。国を憂いてる場合じゃないぞ、おれたちの明るい未来のことも考えるべきだ!)
 ひとりで何もかも背負い悩んでいるらしいこのオスカルがいじらしいと同時に、じぶんの世界のオスカルも心配になってきた。
 おれの居場所にいるふがいないやつに、護衛がつとまるだろうか。甘えてくるオスカルに目を回して倒れてやしないか。おれはおまえのオスカルにおやすみを言うだけにしといてやる。まあ、きょうのところは。

 アンドレはどうしたのだろう。扉が静かに閉まったあとでオスカルは小首をかしげた。
 おやすみと、言葉は同じだが別のことをささやかれたようだった。いつもはひかえめすぎるほどの物腰がどこか悠々として。気のせいか、やさしい目が一瞬獲物を狙うように底光りしてじぶんをとらえた。
 (パリで芝居でも観てきたかな?)

 アンドレはさりげなく邸内を観察した。負傷した男がこっそり匿われており、病室を覗いて驚いた。新聞記者のシャトレが、なぜか黒ずくめの服のままふて腐れた顔で寝かされている。
 (・・・おれとオスカルが物好きにも盗賊退治に乗り出して、新聞屋を盗賊と間違えて、眼をやられた?・・・ますますわからん世界だ・・・。くそ、あのシャトレの野郎、覚えてやがれ)
 お堅いジャルジェ家の夜は長い。いつも夜は忙しいアンドレは眠れず、質素な部屋で相手に届く確信のない手紙を書いてヒマをつぶした。
 戻りたい。じぶんの声が更にはっきりと感じられた。
 あのけがれのないオスカルが恋しいか。おれのオスカルの麻薬のような蠱惑にもゆるがないほど。そこいらへんは「おれ」らしいな。
 おれも恋しい。抱けばそっと吐息してもたれかかるまろやかな肩・・・のぞきこめば湖水の深淵から愛の色に燃え上がる瞳。枕の上でうねる髪。魂も、理性も狂いとろかす肌の香り、声・・・
 じぶんの名を呼ぶあの声が聞きたい。
 眠れないまま、一番鶏が鳴いた。暁が部屋のわりには立派な姿見に反射する。
 思いついて、手紙の最後に鏡像文字の署名をした。 
 「鏡。鏡だ・・・。おれのいるのはさかさまの世界だ」
 左右が逆になったじぶんの姿の、心臓のあたりをひとつ小突いて部屋を出た。
 意識が妙な途切れ方をしたのは厩舎だった。一度あの場所へ戻ってみよう。
 朝の早い祖母が孫を見咎めた。シャツがきのうのまま皺になっている。
 「だらしないよアンドレ!服くらい着替えてから出歩きなさい。もう、幾つになってもぼさっとして・・・」
 “おばあちゃん、おれをぶん殴って・・・”
 頭の中の声が言った。隔たれた壁のどこかに、なるほどこいつは無理やり穴をあけるつもりだ。
 「ばーさん・・・おばあちゃん、おれを・・・殴ってくれ」
 “こっちのおれが戻ったら、オスカルに無茶させるなと・・・”
 「・・・たら、オスカルを・・・てやれと・・・」
 「なに寝言いってるの、目はさめてるのかい」
 マロン・グラッセはかがんだ孫の頭を威勢よくはたいた。
 

 金銀の刺繍をした馬具、宝石の指輪、隠し戸棚に秘密が一杯の世界へ戻ってきたアンドレは階段を駆けあがった。鏡台を前に、いつになく心細げに座っていたオスカルを引きさらうように抱きしめて唇を重ねた。
 「・・・狼藉もの・・・」
 こぼれた声は、火をはらんだ美酒だった。
 
 あわれな新聞記者が的外れのお礼参りに遭ったかどうかはさだかでない。