鏡よ、鏡 若葉編 1
★★アニルール!★★
わたしは、美しい。
石鹸の広告ではない。本当だ。鏡を見て自分でびっくりするくらいだ。
なぜなら。百万言をついやすよりも簡単なひとことでわかっていただけるだろう。
わたしの母は、オスカルだ。どうだわかったか。
ベルサイユに咲き誇る大輪の白薔薇。翼を隠した大天使ミッシェル。実は明けの明星ルシファーの方が
近いのじゃないかという声もあるが、まあともかく、黄金の髪をひるがえして白馬を駆る姿は恋人に詠われ
た詩で有名である。わたしを妊娠してもかなり長く馬を乗り回したといういいかげんな女性。じっちゃんジャ
ルジェ将軍の教育のせいで、ときおりじぶんの性別を勘違いするようだ。
髪を結い上げ(鬘なんてものには無縁だ)ローブを纏えばウェヌスかディアーヌか。瞳は稲妻をはらんだ
魔性の宝石。ひとたび笑めば三千の美女が倒れ伏し、六千のみやび男が正気をなくす。
大袈裟だと思わないあなたはオスカルのファンだな。
わたしはそのオスカルにそっくりだと言われる。ありがたいこった。
いくら人間離れしていてもひとりでわたしを産めはしない。合作の片割れはアンドレという。身分違いで、
貴族のオスカルとは正式に結婚できなかった。ジャルジェの万能ナイフと言われ(秘書からお茶汲み、護衛
にアサシン、夜伽までこなすという意味らしい)、ほほえみながら人を殺めるそうだが、わたしには信じられない。
前述の馬上のオスカルを讃える詩は書きとめもしないのになぜか広まってしまったが、つくったのはアンドレだそうだ。
そうかと訊くと臆面もなく鼻の下を伸ばしてニッタアと笑った。娘の前で羞恥つーもんがないのか、とーちゃん。
幼いころ、あれはママンという名の男じゃないかと思っていた。母さんはジャンヌという優しいひとがちゃんといるからな。
オスカルが男装を好むことは誰でも知っておいでだろう。
たまーに訪ねてきてくれたかと思えば、狩りだ遠乗りだと、とーちゃんを引っぱりまわして遊ぶばかりで、
わたしのことは二の次だった。
無理してオスカルに似せた言葉づかいをしてみたが、そろそろ疲れた。
あっちはねんねこ村で近所のコッコたちと走り回って育ったんだ。こげな男みてーなカタイ言葉はなじめん。
うさぎを追い、小ブナを釣り、トリュフを掘ったあっちのふるさと、ネンネコ村。
きれーな小川に水車が回り、緑ゆたかで、ベコがのんびり草をはむ。なんもないが、なんでもある、ちっこい村。
なにを思ったかオスカルがかくし子のあっちを「姉の嫁ぎ先のゆかりの子を養女にした」ということにして
引き取ったのは十日前のこと。生き写しのあっちがそげな遠い縁のもんでねえことは一目瞭然だが、その
手の噂をまく奴を黙らせる力がジャルジェ家にはあるってこった。おそろしやおそろしや。なんせオスカルの
仇名は“女虎”。あっちはトラの子かや。
母さん父さん(ジャンヌとニコラス)は泣いた。あっちもやだった。村のみんなと別れるのが辛くて、あっちは
馬車ん中で泣き続けた。
オスカル(母上なんて呼べっかよ)はあっちを王太子妃にすると決めたっちゅーことで。耳をうたがうっちゃ
このこった。いきなりなったらこと言い出すんだ、このおなごは。
「うそでしょう母上(でもこう呼ばないとおっかね)。アニルールは・・・アニルールはまだやっと14歳になったばっかだよ」
オスカルはカラカラと笑った。
「わたしはその歳でおまえを産んだぞ」
おそるべし、早熟おさななじみ夫婦。するってーととーちゃん、15で父か。初えっちはいくつだったんだ?
手がはええにもほどがあろーよ。ジャンヌ母さんに言ったら赤くなって困っとこだ。あの母さんはまだコドモは
キャベツん中からうまれるとかあっちに言うとったよ。うひゃひゃっ
ベルサイユに着いたその日から、あっちは未来の王妃になるべくてってー的にしごかれることになった。
じっちゃんばっちゃん(ジャルジェ夫妻)、大ばあちゃん(マロン・グラッセ)、おばちゃんたちに会えたんは
うれしかったが、誰もオスカルの野望に楯突こうとはせん。
冗談!こちとら人形じゃねーぞ!ジャンヌとニコラスから礼儀作法もダンスも読み書きもほどほどに習ったでねーか。
そげなもんムラで何の役にも立たねわ。あっちにはささやかな夢があっと。ちっちゃいころから手のひらにほのぼのと
息づいてきた夢をぶち壊して、えいこー(栄光)の座かなんか知らねーがピラピラしたきゅーくつな世界へほうり込む
権利がおめーにあんのか、オスカル!
「誰にむかって口をきいているか!」
抗議したあっちはオスカルにぶん殴られた。平手じゃねえ、ゲンコだ。このおなごは軍人なんだ。
目から星が飛ぶっちゅーのはホントなんだわな。
きれーな顔して鬼か。あっちはふっ飛んでとーちゃん(アンドレ)の腕ん中にナイスキャッチされた。
でなきゃー、殺されとったかも知れん。
「その阿呆をフロに入れて磨いて親に対する口のきき方を教えてやれ!」
「落ち着けオスカル。まだ子供なんだから」
とーちゃんは好きだ。オスカルが来てくんなくても、とーちゃんは馬をとばしてよく訪ねてくれたもん。
たんびに抱いてくるくる回してくれたもん。
胸は広くて、ぬくぬくして、やさしい声がたまんねく好きだ。あっちは目が溶けるほどびーびー泣いて、
王妃なんかなりたくねと訴えた。
オスカルを母上と呼ばせといて、とーちゃんをとーちゃんと呼んじゃいかんとあっちは釘をさされた。
人前ではとーちゃんをアンドレと呼び捨てにせにゃならんと。なんて悲しい星の下に生まれたんだろ。
とーちゃんは膝にあっちを抱いて、ゆっくり揺らしながらいつまでも背中を撫でてくれた。
「かわいそうにアニルール・・・でもオスカルはああ見えておまえのことを思っているんだよ」
「うそだべ」
「うそじゃない。あいつが本気で殴ったら医者を呼ばなきゃならないとこだ。片目パンダですんだのは
手加減したからだよ」
「とーちゃんもあのひとに殴られたことあんのか」
「はは、おれは避け方を知ってる。剣ではしょっちゅう追いまくられたけどな」
「おそろしげなひとだ」
「おまえのおかあさんだぞ。世界一だ」
あかん。とーちゃん、あのおなごに惚れきっとる。
とりあえず生活のりずむを崩す気のないあっちはジャルジェの庭に畑をつくることにした。
ほとんどお城だけん、庭っても極東の島国のひとびとには気の毒なほど広ーて、ため池(噴水)、
肥料生産所(厩舎)、手伝いの衆(庭師)にも事欠かね。小麦と最近外国から来たおイモと、栗も植えっかな。
こっそり持って来た野良着、この褪せた色があっちには一番似合うだ。
うーん、なつかしいいなかのにほひがするだ。
アニルールが着るとそんな色でも色白をひきたててシックだね、なんてパリかぶれの司祭の弟子が
言うとったが、しっくってなんだべさ。
♪わ〜ら〜に まみれてよー 育てたくーり〜げ〜
ぱこーん!!
あっちが気持ちよく愛唱歌をうとーとったに、飛んできたリンゴが頭に命中した。
投げたのはオスカルに決まってる。食べ物をそまつにして、罰が当たっぞ。拾ってふきふきしよう。
あ、あっちの石頭で凹んで・・・。
「唄うなら楽譜をやる。まともな歌を知らぬのか」
「バカこけ。母上。おめーらの乗る馬を育てとーのは誰だと思う・・・お思いなのですか。
これは丹精こめてお馬をお育てしている、というお歌です」
「ご苦労。ではクラヴサンの復習をしてこい」
「畑つくりの方が大事だべ」
「おのれ」
あっちは兵隊でねえからいつまでん殴られるのを待っとりゃせん。おあつらえむきの木が庭には
いっぱいある。木登りならお手のもんだ。
「やーい母上、ここまで来てみっとー!」
はるかに見おろして気持ちいいのは一瞬だった。
あっちはオスカルの射撃の腕前を計算に入れとらんかった。
銃声がたて続けにしたと思ったら、あっちの乗ってる枝がミシッときしんだ。あっちの重みを
支えらんなくなる寸前まで、弾で裂け目を入れられたんだ。おめーはロビンフッドかっ。
オスカルはもう一発の狙いを定めた。
「降りんか、山ザル」
銃声におったまげたとーちゃん、ご老体三人組、使用人のみなさん、そして見慣れん
目つきの鋭いヤツらがわらわらと湧いて出た。
たまげた。ジャルジェの館には堅気のカッコだけしたサムライどもがこんなに配置されとっか。
「動くなよアニルール!おれが行くから・・・」
「甘やかすなアンドレ!自分で降りて来い」
「誰か、ふとんとクッションをありったけ持ってこい!」
じっちゃんが叫んどったが、あっちは隣の木の枝に飛び移った。踏み切りで枝が折れて、
大ばあちゃんが悲鳴をあげた。次の枝はちっと細くてぐーっとしない、やばいんで反動を利用して
もっかい飛び上がり、枝やら葉やらをまき散らしながら・・・落ちた。サムライどもが手を組み合わして
待ち構える中へ。一回転して衝撃をやわらげ、さいごはウルトラCだべ。へへ、あっちは身が軽いんだ。
「芸は見せてもらった。まあいい。射撃を教えてやろうな」
オスカルがものすごい笑顔で言った。
「やめとけ。この子には向かない」
とーちゃんに、オスカルは平然と笑顔を向けた。
「・・・筋はいいはずだ」
おまえとわたしの子だぞって、目がそう言っていた。とーちゃんはこの目に会うと引き下がっちまう。
こやつらの仲のいいことは、毎日のよーに見せつけられてごちそーさまだ。ジャンヌとニコラスも仲良かったけど、
こげに全くふたりだけの世界に入り込んでモエモエなこたなかった。汗が出るね、あっちは。
その晩もとーちゃんとオスカルがひしと抱きあってキスなんぞしとった。
くっそーと思うような、胸がどきどきするような、熱烈なくちづけ。
ムカついて、あっちは大声で言った。
「アンドレ!あっちにもそげなキスしてほしいっ」
オスカルは怒ると思いきや、まっかになって夜着の前をかきあわせたりなんかしとる。
おー、こげなオスカルは初めて見っと。じゃましたったわい、ざまーみろ!
ニタついとると、おとんにひっ抱えられて尻をぺんぺんされた。
「マセガキ!さっさと寝てこいっ!」
「やだっ!おめーらふたりで寝るんじゃろに、あっちはなんでひとりだ!」
「大ばあちゃんのとこででも寝ろ!」
「やだやだ、とーちゃんと寝っだ!」
駄々をこねとると、オスカルがぐいっとあっちを抱きとった。うっ、こやつ素早く立ち直ったな。
「母と寝よう、アニルール」
恐怖にさーっと血が引いていく音がした。
「どうした。ジャンヌには添い寝してもらっていたのだろう。5歳になってもおっぱいを欲しがったと聞いている。
遠慮はいらんぞ。さあ、母のベッドでやすもう」
た、たすけてくんないのか、とーちゃん!ニコニコしてっ場合かよ!?ああっ、あっちを置いてかねーでくれ!
アンドレがばいばいと手を振って無情にもドアは閉まった。
オスカルはふっふっと不気味に(もしかすると優しく笑ってるつもりだか?)笑いながらあっちをぎゅうと抱きしめた。
「子供くさいな。おまえにも香水を選んでやろうな・・・」
いらんわい。ばらの香りはおめーだけでたくさんじゃ。
「なあ、おまえはわたしを恨んでいるのか」
ニブイ。訊かねーとわからんか。
「村へけーりたい。父さん母さんに会いたい。ヤギやウシの世話して、いいチーズを作って、みんなと食べたい。
あんたは勝手だ。あっちの気持ちなんぞなんも考えんと顔も知らん男のヨメにするのか。
王妃になりたきゃ、じぶんがなれ。あんたなんかキライじゃ」
地獄を覚悟で言った。
オスカルはびくともせんかった。
「そうはっきり言うな。王妃に、とは考えないでもなかったのだ。しかしおまえを王太子に娶わせた方が
100倍も簡単で軋轢が少ない」
「とーちゃんとイチャつけなくなるのがイヤなんだろ」
急所を突いたぞ。オスカルの白い片頬がヒクッと動いた。
飛んで来る鉄拳に備え、あっちはすばやく枕をかまえたが。
「口のへらんやつだな」
おめーがうんだんだべ。顔がこんだけ似てなきゃー、信じたくねえがな。
「まあいい。寝ろ」
ローソクを吹き消した。うむを言わさずおでこにキスされた。
やーらかい唇。目が慣れてくっと、雪みたいに白い顔と金髪が見えた。
性格は破綻しとるけんど、ほんにきれいなひとだ。
すーこすーこと寝ている。悪いやつほどよく眠る。
「ん・・・・・・アンド・・・レ・・・」
やってられんわ!
あっちはあほらしゅーなってベッドを降りた。
「・・・トイレか?」
どっきーん!
「ちゃうわい。村さ帰るんだ!おめーとつき合ってられっか。あっちにゃ村に大事な男もおっと」
「ほっほー」
オスカルは楽しそーに起き直った。
行きかけてつんのめった。おおっ!い、いつのまにあっちの足に細紐を!しかも鈴を!
ネコの子なみの扱いでねーか!
「母にもその“大事な男”の話を聞かせてくれぬか。王太子殿下というものがありながら、捨て置けぬ
ゆえな。さあ、身体が冷える、子供というのは体温が高くて、なかなか抱きごこちがいいものだな」
「はなせっ!王太子なんて知っかよ、宮殿のオタク部屋に入り浸って出てこんとか言うでねえか!
そげな辛気臭い野郎のヨメになんぞならんわい!」
「いや殿下はあれでなかなか聡明・・・極度のテレ屋であらせらせるのだ・・・母とて男を見る目くらいあるぞ」
「目があんじゃなくて、おめーは男なんだべ」
「なんと、おまえは初乳をこの胸から吸ったのだぞ、忘れたか」
おぼえとるわけなかろっ。
あっちは抵抗の末、オスカルの腕力に敗れ去った。
「・・・で、村にいるおまえの男とやらは殿下より魅力的だと」
はっ、迂闊にこのおなごの耳に入れたらジルの身がキケンかも知れん。
あっちは黙秘権の行使に出た。
オスカルはあっちをくすぐったり宥めたりすかしたりしてたが、疲れたのかあっちを抱いてまた
すこすこと寝てしもーた。
まあ生まれてすぐ乳を含ましてくれたちうのはほんまらしい。寝てると聖母さまみてーなんだがなー。
どこでどーしてトラになったんだかよ。
ジルは村の水車小屋の息子で。ひとつ年下じゃけんど、あっちと将来を誓ったコだ。
なんせあやつが7つんときに8つのあっちにぷろぽーずしただ。
アホかと思うてたが、むこうは本気で。あっちもだんだん憎からず・・・こっぱずかしー!
「アニルール!待ってるから!オラんこと忘れんでくれ!ぜったい、ぜったい帰ってきてくれ!」
ジルはあっちの馬車に向かって必死にわめいとった。オスカルが低い声で言った。
「坊や、文句があったらいつでもベルサイユへ来い」
くすん。
あやつと所帯をもって、農家のおかみさんになるんがあっちの夢とよ。
チーズつくって、糸車をまわして、ジルの挽いた粉でパンを焼く。うめーぞー・・・
こうしてはおられん。ジルのやつ、あっちのミサオを疑うかもしれん。
オスカルの長い腕から出ようともがいとると、ふいに耳元で囁かれた。
「で?・・・やや(赤児)はまだかな?」
ばら色のくちびるがニタリと笑っとるのが暗闇でもわかった。
健全なる青少年になったらこと言うだこの母親はっ!
その頃ネンネコ村では・・・。
粉挽きの息子ジルがアニルール奪回のため家出を企てとった。
続く。