人形たちの午後2



 それはこの時代の富裕な、しかも趣味のいい女性の部屋だった。家具は重厚でどことなくアンティーク・・・花器にはあふれるほどのホンモノの花。ただひとつ、現代女性が持たないだろうものはマントルピースの上にある。一振りの本物の剣。
 機械のメイドがうれしそうに言った。なにもかもマダムの気に入るようにしていくから、好みを教えてくれと。
 浴室は古代ローマ貴族のものを思わせ、サウナという優れ物やエステルームまで備えていた。
 クレメンスはオスカルを廃棄する気がない。
 『こう考えてみないですか?長い夢からさめた。夢では18世紀に生きていたけれど、それは本当に昔のこと。もう一度、別の人生をやることができる・・・。あなたには既にその権利がある。ぼくはそう思う。どこが人間と違うというのです。命令に従わないなど、ぼくにはむしろ望むところです』
 ジャグジーとかいうらしい、泡風呂のしかけを動かしてみた。
 むかしのオスカルも同じように長い手足を気持ちよく伸ばしただろう。
 (ここと、そこと、・・・あと何発くらったっけ・・・。傷跡はない。もちろん。あのからだは土にかえった。記憶だけがこの新品の怪物のからだに宿っている。わたしはオスカルの亡霊か。魂はあるんだろうか)
 砲声、硝煙と血の匂い。やわらかい内臓を引き裂く銃弾の記憶。薔薇の香る浴室でふと気が遠くなり、オスカルは目を閉じた。
 (叫んで飛び出してきたのは・・・アラン。・・・泣いていたロザリー・・・ばあやはかわいそうに、泣いたろうな)
 頭痛がする。飛び出してきたアラン。ベルナールとロザリー。別れを告げたフェルゼン、美しい王妃・・・
 (薔薇の花びらを食べるのか、だと?ちょっとズレた思考をするのは血筋か?おまえの子孫は人形あそびに夢中だ。ドーナツだの綿菓子だのって知ってるか?平和じゃないか。王も物乞いもいないそうだよ。乗り物は空を飛ぶし、痛っ・・・)
 「マダム、どこかご不快でございますか」
 メイドが心配そうに覗いた。女主人がしつこい頭痛に苛立つのを感じるらしい。
 「もうお上がりになりますか。飲み物をお持ちいたします。旦那さまが、今夜は仕事で遅くなるから夕食は失礼するとのことでございます。あ、おぐしをお拭きしましょう」
 まったくよく働くな。疲れないんだから当然なのか。よくこれだけしつけ・・・プログラム、出来るものだ。まるで感情があるように見える。女主人が満足するとうれしそうだ。ちょっと・・・体型がばあやに似てる。
 誰かが低い気持ちのいい声で笑ったような気がして、オスカルは誰もいない空間を振り向いた。
 (体型が丸っこくてばあやに・・・メガネをかけて声をしゃがれさせればもっと・・・ば・あ・や・に)
 頭がしびれる。ある意味では母よりもなつかしい乳母のことを考えるとなぜ。畜生め。
 「よくおやすみになれますように、お好きな香りや音楽を“ルーム”にお命じくださいませ。終日マダムのご用に反応いたします」
 メイドはぺこんとおじぎらしいしぐさをして出ていった。
 オスカルは明かりをすべておとし、とほうもなく清潔な砂色のシーツにからだを埋めて眠ろうとした。レプリカントは夢をみる。
 (ルームコンピュータ・・・お前はきっと知らないよ・・・18世紀の・・・貴族の豪奢と、生肉と薪と井戸水の不潔を含んだ・・・夏の濃い大気の匂い・・・)


 翌朝、クレメンスはまだ帰っていなかった。
 「おたいくつではございませんか。お庭で風にあたられては」
 メイドがあどけない小動物の目に似たセンサーアイをまたたかせて言った。
 庭は広大なというわけにはいかないが、立地を考えれば傲慢なほど広い。目隠しの小さな林さえある。
 「うん・・・庭へ・・・出る」
 手に何か持って。そう、剣を。
 マントルピースに飾られた年代物のそれは稽古用ではないが、鞘をはらうとからだが自然にアンガルドの型をとる。
 (なまってる・・・最近ほとんどやってないし。いや、初めてか。だがまさかこのメイドに相手は無理だろうな)
 小柄なロボットは女主人の舞のような動きをうっとりと見上げている。繊細な操作肢に武器は似合わない。
 剣の相手は・・・どこへ。
 とたんに目がくらんだ。頭の中がきしみ、冷や汗が出た。
 父親ゆずりのすさまじい悪態がばら色のくちびるから飛び出した。

 オスカルは食事もそこそこに調べものをしたいと言い、メイドが小さな小さな“書斎”を手渡し、涼やかなテーブルに導いた。
 古風な白いローブに華麗な金髪が映える。裾のスリットがいやだったが、これがあると確かに歩きやすい。木漏れ日を浴びてぬけるように白い肌の、黄金の髪のイズー・・・というには人差し指で眉間をつつくしぐさが少し気むずかしい。
 白百合の手が楽器をあやつるようにせわしく操作する読書ビューアは午後になってもめまぐるしく働きつづけている。
 「マダム、あまり根をお詰めになっては。それにこのお飲物はほどほどになさいませんと」
 ついに執事が左手にどんと置かれていた密輸品のロミュラン・ブランデーを遠ざけようとした。
 人間の百万倍の自己再生力は、異星の激烈な酒に胃粘膜を焼かれてもすぐに回復する。
 「いいんだ。おまえのご主人が帰られたら知らせてくれ」
 「かしこまりました」
 おいたわしい、王妃さま。これが飲まずにいられるか。オスカルは自分が退場したあとのフランス史をさらい、幾度も沈みこみ、憤って祈り、涙を流し、ごくたまに片頬に笑みを浮かべていた。数百年の膨大な情報量がかえって幸いする。もはやフランスという国家はなくなっており、惑星規模の歴史が語られはじめて何世代かが過ぎている。神はいずれかへ雲隠れし、大地からあふれた人間たちは機械の頭脳を支えに、太陽からも離れていく。愛もまた姿を変えたのか。
 (頭の中にいる・・・近づくと頭痛の起きるやつ。おまえは、誰・・・だ・・・)