人形たちの午後3



 クレメンスからは短い“手紙”が届いた。通話器を使わない、金持ちの遊びだが、オフィスから伝書トンボを飛ばしたのだ。
 『・・・あなたが歴史書を紐解かれることは容易に想像できます。私としては、あまりむかしを振り返られるより、現代の楽しみごとにも少しずつ慣れて下さるよう希望します。居間の天井は疑似体験スクリーンです。あらゆる珍しい、美しい映像を見られますから、退屈しのぎにはなるでしょう。帰りは夜になりますが、お土産があります。とんで帰りたい、あなたのシモベより』

 帰宅した23世紀のピグマリオンはまさに彫刻が動き出したようなオスカルの美しさにしばし見ほれた。この作品は出来がよすぎて仏頂面をしていたが。
 「ごきげん、よくないか?これ揃えるに手間して、遅なりましたのです」
 作文に比べると会話はあいかわらずだ。
 「身分証明キー。盗聴防止つき、ピアス型コミュニケ。エアカーの免許書。クレジットカードと銀行口座・・・ID登録ずみ。ケーキとお花、結婚ゆびわ」
 「待て。おまえ・・・レプリカントにそんなもの持たせるのは違法だろう」
 「花とゆびわ?」
 「とぼけるな」
 「ふっ。あなたの時代、法律かんぺき守られてましたか?・・・いつもどこでもヌケミチはあるよ。ここは地球して地球あらず。住所はユーロ州なれど、パリ直南の赤道上3万8千キロに浮いてる、巨大同期衛星がそっくり社の生産施設ゆえ。社員とその家族、それにサービス業が人口9割ね。わたしに文句言うもの、だれいますか。・・・連邦戸籍管理局に偽造経歴つっこむのアブナかたですが、なに、先祖は王命に背いてあなたこと案じたですよ。これでどこでも身分証明できます。オスカル。結婚しましょう・・・はじめの契約3年でもよろしよ」
 プロポーズだけひどく気弱だった。
 この時代、みんな期限つきで結婚し、期間の終わりに更新の相談をするのだ。
 「・・・ジェローデル」
 「わたしクレメンス」
 「・・・クレメンス。おま・・・あなたの気持ちはうれしいが・・・」
 「ぼくと結婚、きっと後悔させません。オリオンの歌水晶、イオの火山、深海めぐりの船・・・みなあなたに見せたい。ぼく3年契約足りない。一生あなただけ愛します」
 前にもこんなことがあった。青年の上品な手にそっと引かれながらオスカルはまばたきした。背の高い、やわらかい髪をした青年貴族が月明かりの下でささやくように・・・。端正な唇を拒む理由は、なにもない、はず・・・
 「クレメンス。頭の中に誰かいるんだ」
 「忘れるよろし。それ幸せ」
 青年は耳元で妙に静かに言った。予期していたにちがいなかった。
 「むりだ。あなたが何をしたかは聞かないが、その誰かはわたしの記憶のいたるところにいて、事あるごとにすれ違う。両親、姉たち・・・?なつかしい人たちの間に、更に近くその影が動くので、わたしは落ち着かない。・・・いずれ避けきれはしない。動脈瘤のように破裂して、わたしの記憶を血まみれにする。そのときあなたの妻でいるのはよいことなのか?」
 「オスカル。・・・大きな不幸の傷、ないがよい、思って、わたし苦労して封じました。やはり無理でしたか・・・忘れてほしい、思いました。いっそ消してしまわなかたは、深すぎてキケンから。あなたあれみたいに(クレメンスは目線でものうげに本を読むオスカルのホログラムを指した)キレイな抜け殻なるの可能性高いです。ひ、ヒキョウ?そゆコトです。でもぼくあなたの心の隙間、いつか自分がうめられる思たのです・・・。とてもとても悲し記憶です・・・。よろしか」
 ドクター・クレメンス・Gの記した無意味な音節のつらなりは、オスカルが千年生きたとしても決して耳に入るおそれのないように組まれたパスワードだった。
 請われるままにそれを教えたことを、クレメンスはあとあとまで後悔した。
 オスカルの死後、ほろ苦い想いをかみしめた先祖のように。
 オスカルは与えられた部屋で、ルームコンピュータにそのシラブルを読み上げさせた。記憶のプロテクトは解け、片翼をもぎとられた鳥の悲嘆がまる一日部屋をみたした。
 やがて悲しみに耐えかねたレプリカントの頭が上がり、牝獅子のようにタイラギの副社長に迫った。「自分を安らかな墓場へつれ戻せ。さもなくば・・・アンドレを墓から呼び出せ」。
 脅し文句は「暴露するぞ」だった。
 死人に断りもなく(断れはしないが)記憶を盗みとり、あろうことか殺人マシンになりかねない欠陥品を人間といつわって愛人にしようとした。レプリカントの主要輸出先である植民星だけでなく、火星・地球連邦のマスコミが飛びつくぞ。こんな刺激的なネタにもみ消しが効くものか。そうなれば司法も黙ってはいない。・・・ちょっと事実をゆがめてるが、すまんな、クレメンス。

 完全に予想に反し、クレメンスは途方もなく困難な方の要求を認めた。
 アンドレはすなおに万能型の仕様におさまってすくすくと育った。
 (こんどはわたしがアンドレを護るのだ。銃弾など手づかみしてやる。なによりそんな危ない所へ行かせるもんか。疲れたらこの胸で・・・うふ。元気なときはいつも腕枕をしてもらう・・・も、もう妻なんだし)
 培養タンクにはりついて少女のように赤くなる、いつまでもうぶなオスカルだった。
 (忘れはしないな・・・。おまえはわたしを憶えていてくれる・・・な・・・)
 「そないにうれしですか・・・悪さしませんからそうべったり警戒しなくてよろしよ。覚醒はあさてね」
 「ありがとう、クレメンス・・・あ、服は着せといてやってくれ。アンドレだって恥ずかしいだろうから」

 完成したレプリカントはリクエストどおり服をつけた姿で横たわっていた。
 血に染まり、石畳の上で眠るように息絶えたその身体に何度、むなしく呼びかけたことか。
 「起きて・・・目をあけて」
 深く眠っていたものが朝の光に身じろぐような短い間があった。
 まぶしげに、長い睫毛が、左右とも・・・ゆっくりと上がる。左目はかすかに色がちがったが、すぐ右目と協力して恋人の白い顔に焦点をむすんだ。なつかしい穏やかなほほえみ。
 「目が見える」
 オスカルの瞳が洪水をおこした。子どものように身を投げかけた。
 恨み言を、詫びを、いまだ慣れぬ愛の言葉を。その耳に届かなかったおもいのたけを。
 「見えなかったのか・・・わたしが・・・なんにも見えないのに隠してたのか・・・この馬鹿!わたしがどんなに・・・おまえをなくして、どんなに・・・ああ、アンドレ・・・」
 「ごめん・・・ごめん。戦闘モードにならないでくれな。おれ、つぶれちまうから」
 長い指がいとしげに金髪を梳き、ふるえる背中を撫で、もっとよく見ようと泣きじゃくる恋人の顔を上向かせた。
 サファイアの中でも最高の色。矢車草の青にまさる瞳が濡れて美しい。
 この目があでやかにすがるように自分に向けられたのを見おさめに、世界は濃い影に閉ざされたのだったが。
 「ここは・・・天国か地獄か、おまえのいるどこかだと思えばまあ、いいか・・・」
 「戦闘は・・・アンドレ、とっくのむかしに、終わったぞ・・・」
 紅などささなくてもみずみずしい薔薇色のくちびるに最後にふれたのは、えらく昔のことらしい。
 やわらかな甘さは少しも変わってはいない。
 白い手が黒髪のかかるうなじにからみついた。原子レベルで融合せんばかり。
 火のくちづけが宇宙の終焉までつづきそうなので、邪魔もののクレメンスはそっとラボを出た。
 「アホくさい。道化だ。ありったけの技術と巨費を投じて理想のひとをほかの男にくれてやる、空前絶後の茶番の主役か、ぼくは。これじゃまるきり昔の二の舞だ。笑ってるか、ヴィクトール!ええかっこしの超弩級マヌケのぼくの原型!ぼくはあんたの遺伝情報は貰ったけど、記憶まではもらってないんだぞ。なのになんでこんな思いをするんだ。ええ、このバカヤロウ」
 私室の孔雀石のテーブルを叩いた拍子に尖ったオブジェでしたたか指を切った。クレメンスが作動を始めて82年目の、最も衝動的な行動だった。
 人間と同じ赤い血がこぼれ、自己再生機能が働いて、傷口はみるみる閉じていく。
 「・・・あと百年はふたりで過ごせると思ったのに・・・オスカル・・・」
 ラボでは五百年ぶりの抱擁が、まだ当分はつづきそうだった。