人形たちの午後5

 

ともあれ空白は500年・・・


 『新婚さん向き、カーポートつき、家賃そこそこおすすめ物件』
 安っぽいのかしゃれているのかよくわからない小さな家。自動化された設備に、ふたりはまったく感心した。
 予備知識は刷り込みされている。しかし実際に使うのは驚異だ。
 正直言って「気味が悪い」。
 ドアがしゃべる。「ようこそ、グランディエさま。ハウスです」「あ、どうも。おじゃまします・・・って、おれたちの家だっけ」
 火がないのに湯が沸く。「なぜだ!」
 どこからともなく音楽が流れる。「楽士がいない!」
 壁の一部は立体テレヴィジョンになっていて「わっ!曲者!」、初めはふたりして3時間もぽかんと眺めてしまった。「(ありとあらゆる感嘆詞)」
 モーツァルトの「新作!」が火星のコンサートホールで録像されたものに見とれていたオスカルは、アンドレがそっと外出して戻ってもまだ同じ姿勢でオペラを聴いていた。そもそもパリとモーツァルトは相性がイマイチで、かれのオペラを聴くのは初めてである。
 「女王のアリアはすごかったな」
 「うん・・・音楽は生き残るんだな。1791年の作だそうだ・・・ほんとなら聴けない」
 「妙な気分だ。考えずに、軽く飲んでやすめ」
 「おまえ、買い物に行ってたのか」
 日用品は何でも手に入る「これはまた没個性的だね」とりあえず便利な店をアンドレは目敏く見つけていた。支払いはもちろん、ありがたみのない小さなカードを通すだけ。
 「家具つきだからって、食べ物までついてないさ」
 「わたしがオペラを見て、おまえは・・・」
 食前酒で始まる晩餐。椅子が引かれ、当然のように運ばれる飲み物。食器は静かに下げられ、シーツはきちんと整えられ、脱いだ衣類は消え、洗われてまたどこからか戻ってくる。
 みんな、他人の手がやってくれていたのだ。じぶんが最後まで見たオペラを、アンドレは半分見逃して、ワインの用意なんかしていたのだ。
 「買い物は・・・次はわたしが行く」
 「うーん・・・ま、のんびりいこう、オスカル」
 グラスをちょっと上げて、黒い瞳がほほえんだ。
 「あせりは禁物。なにしろ23世紀・・・クレメンスがおれたちをヒヨコって言ったろ?そのとおりだ。羽根がそろうまで飛び回るのはあぶないよ・・・。夜寝て朝起きて、3度の食事ってのは変わってない。慣れてることから実行さ。おれはちょっと“シャワー”ってのを体験してくる」
 1時間後、まっさらのねまきを着たふたりは上気して横になり、シャワーとたっぷりの湯の気持ちよさを讃えていた。
 「どこかで盛大に火を焚いてるのかな?」
 「おひさまの熱をもらってるらしいぞ?」
 「今、夜なのにか???」
 洗い髪の香り。相手の腕のぬくもりが、疲れた心身を安らぎで包んでくれる。
 明日は、街を一周しようか。“鳥さしの歌”でもハミングしながら。
 タイラギの街は地上はるかに浮いているのだ。母星の赤道上をその自転と同じ速度で廻っているのだ。展望台へ行けば“地球”を眺めることができるという。丸いというのはほんとうに本当だろうか。うまし国フランス・・・ふるさとはどんなだろうか。手を振れば下から見えるのかな。
 「おまけの人生」
 アンドレはおだやかに苦笑した。そうとでも言うしかない、唐突に開いた未来の扉。
 「グランディエ夫人」
 口ごもりながらオスカルがつぶやく。さっき、“ハウス”がそう呼んだのだ。なんとお呼びいたしますか、グランディエのおくさま?
 本庁は月にある戸籍管理局の端末で出された婚姻届。人間の係員が画面に出たことからして、ふたりの申請は相当めずらしく、取り下げるよう説得を要したのだ。たまーにいるのだ、恋にのぼせすぎた愚か者のカップルが。
 「一生婚なんて、やめときなさい!別れるとき大変なんですよ!」
 人のよさそうな公務員だった。この時代なりに親身になってくれているが、知らないのだ・・・同棲歴25年です、死がふたりを分かったけど、また会えたんです。
 アンドレはただこう言った。「ご迷惑はかけませんから」
 ともあれクレメンスの身分偽造の技術は完璧だといえよう。
 「お墓の中で、わたしたちは一緒だったんだろうな・・・。おまえとわたしは仲良く眠っていたんだ。わたしだけ叩き起こされて、さびしくて・・・呼び出してしまったけれど。・・・おまえはそれでよかったか・・・?」
 「おまえがどこかに行ってしまって、おれは泣いてたと思うよ・・・。離れられない。おれのオスカル」
 それともまことのオスカルとアンドレは、ここにいるじぶんたちなどあずかり知らぬ処で、永遠に安らかに眠っているのだろうか。
 青と黒の瞳の上にまぶたが次第に重くなり・・・生まれたてのふたりは眠りにおちた。

 夢の中で歴史の断片が木の葉のように舞った。
 19から20世紀にかけて、西欧文明は科学の力とやらで人類発祥以来戦ってきた荒ぶる大自然をついにねじ伏せたかに見えた。そうして殖えよとおっしゃった神のもと。西洋人の平均寿命は2倍をゆうに越え、体格もみなよくなった。
 国王さえ斃した天然痘は世界から消えた。戦争の世紀。イカルスの夢の実現から音速の壁の突破、月着陸まではあっという間だった。軍事目的で考案された電子計算機と通信技術がおそろしい勢いで発達した。世界中の情報が洪水のように入ってくる生活。器用でおおむね温和な極東の小さな島国の女性はなぜだかふたりの祖国フランスが大、大好きで、あるものはパリでカバンを買って興奮し、あるものはヴェルサイユに詣でて涙を流すのだった。ヘンな国だとバカにしてはいけない。英仏海峡トンネルをフランス側から掘りぬいたのはこの国の勤勉な技術者が指揮する巨大掘削機である(by NHK)。すぐ休みたがるフランス人だけで果たしてイギリスに遅れをとらずにすんだかどうか。んにゃ、にゃ。
 2002年元日、欧州の十数カ国が“ユーロ”という通貨に統一された。噂では街中大混乱したという。リーブルどころかフランももう使えないのである。(そして2287年現在、世界通貨はクレジットから派生した“クレジー”に統一されている。ついでに、パリ−ニューヨーク・・・すなわち北米大陸・・・間はコンコルド・Vに乗れば20分で飛べる・・・20分、だ。速すぎて情緒も何もありはしない。嗚呼、独立戦争は遠くなりにけり。ちなみにコンコルドはたまに落っこちたが、旧フランス共和国の自慢のひとつ。血塗られた広場につけられたのと同じ名だ。)
 2009年、全人類が「ウチにだけは来るな!」と願った隕石の衝突でコルシカ島とサルディーニャ島は半分がた吹き飛んだ。バチカンは津波をかぶったし、周辺の被害は甚大だったが、避難が早く死者はわずかだった。歴史上の有名人の故郷でもあり、復元も検討されたが隕石衝突の記念とする方の意見に負けた。ま、費用の点もあって。
 少なからぬ人々が感じた。小さな惑星上でいつまでもモメている場合だろうか。明日にでも新手のがやって来るかも知れない。今度は地球そのものを欠けさせる大きさではないと、誰にも断言できないのに?
 世界事業の一つとして気象管制とジブラルタル海峡大橋とともに、居住可能な宇宙船(通称“ノアの箱舟”)の研究が検討されだした。
 21世紀半ば、中華連邦の片田舎で光速の壁を回避する技術がひょんなことから発見された。
 火星のテラフォーミングが始まった。今や、漸減してゆく地球人口と競うまでになった。蜘蛛の子を散らすように人類は太陽系から飛び出した。

☆☆☆

 アンドレは職安ですんなりと仕事を見つけた。
 「わりと何でも出来ますねえ。好きな仕事、しぼりこめない?」
 「とくにありません。まあまあ給料がよくて、つ、妻・・・家庭を大事に出来るなら」
 アンドレは自覚しないが、こんな答は非常に珍しい。若者はあーだこーだと職えらびに逡巡するものだ。
 「じゃ、急募してるここは?試用期間すぎて合格すれば、まあまあの待遇ですよ」
 老人クラブの世話係。若いうちにやりたがる者はあまりいない。ロボットの方が正確で仕事が早く気を使わないという声がある一方、たまには人間のこまかい気配りがほしいという声もあるのだ。つまりロボット以上に気のつく人間でないと勤まらないのであるが。
 希望するメンバーの送迎に同乗したり、介護ロボットの報告をきいてプログラミングの調整をしたり、隣接している幼年学校の子供たちとメンバーが交流するのを手助けしたり。
 一日、話し好きなメンバーの身の上話につきあっているだけの日もある。楽すぎて、つい薪割りだのありもしない厩舎の手伝いだの台所の力仕事だのを探してしまう。みんな機械がやっているのに。
 週に4日しか働かない時代。自由になる日が3日もあった。
 とはいえ、オスカルを首からぶら提げて行くわけにはいかなかった。

 アンドレの初出勤の日、今生の別れのような長いくちづけで送り出す。置いていかれる子犬のように後を追いそうになる自分をオスカルは抑えつけた。気をつけて。早く帰って。わたしのアンドレ。
 ピアス型のコミュニケータはほとんど全ての人がつけている。ONにすると持ち主の声帯と口腔の動きを感知し、明瞭な声に変換して相手に伝える。手紙の時代から一足飛びにこんな装置を知ったふたりにはあまり信用できるシロモノではない。目の前にいない相手に向かってぺらぺらしゃべるなんて、ヘンではないか。
 生家とは比べるべくもないが、玩具めいてちんまりと明るい家。
 一家に一台はあるハウスキーパーがコトコトと掃除をはじめている。眠っている間にやらせることも出来るのだが、夜は小さな物音も気になる。クレメンスの家にいたメイドのように高性能ではないので、動きは緩慢、気の利いた会話もできない。
 なにをしたらいいのだろう。オスカルは心もとなくロボットを眺めていた。

 万能型のデータを幸いにして持っているアンドレはオスカルがいきなり働きはじめるのに慎重だった。レプリカントだと怪しまれる危険は、わずかながら常につきまとうのだ。目立ってはいけない。ゆっくり、この時代に順応してから、よい仕事を見つければいい。
 タイラギの街は治安がよい。逃げる所がないのだから。物価は安く住みやすい。多くの優秀な社員を惹きつけておくために、クレメンスは福利厚生に力を注いでいるとみえる。可能な限り自然に近い空の色、空気、水、娯楽施設の充実・・・
 そして当然・・・レプリカント排斥運動のデモが練り歩くことはない。ここに限っては。

 「そうだ、おまえ勉強したいだろう。“大学受講プログラム”でも“ものがたり宇宙のれきし”でも、自宅学習サービスが迷うほどたくさんあるから、受講するといい。そしておれにも教えてくれ」
 一週間で、ふたりは叫んだ「からだがなまるっ!!」
 アンドレはさっさとエアカー通勤をやめ、フェンシング用のサーベルを調達してきた。ふたりは庭でそれを振り回して近所の人をおもしろがらせた。
 「型がヘンテコだ」と言った学生がオスカルと手合わせし、オスカルにとってはがっかりしたことに、その剣に触れられもしないのに目を白黒させた。
 18世紀の剣術はクラブ活動ではなかった。