人形たちの午後7 

南の渚にて


 奴隷船だ。アンドレ。
 レプリカントを積んだ宇宙船が、植民星へ旅立っていく。
 ソルの光もしみになり、点になり、ぱっとしないただの星。宙軍の護衛艦が途中からぴたりと航路を共にする。
 深宇宙用の重巡洋艦。比べるものがないその姿は小鳩のようだが、300人の乗員。巡航速度・ウォープ3。
優美な曲線の多いデザインは、とても軍船とは思えない。トリタニウムの天の鳥船。
 目立たない、位相光線砲。光子魚雷発射孔。わたしには見える。誰を威嚇している。伝説の宙賊リーアとやらか。
 そもそも、そんなものが役に立つのか?

 夏のヴァカンスに、クレメンスの小言を山ほど聞かされながら、ふたりは迷わず地球へ降りた。産業スパイを・・・
稀に商品の脱走を・・・防ぐためにタイラギの出入ゲートはスマートで厳しいチェック体制を敷いている。
しかしクレメンス自身が完璧な偽造身分証を与えているふたりにとっては・・・。
 「あなたがた精密ですゆえ、いとめんどくさい骨髄検査しなければ人間と区別はつきません。
人間なりきる、かんたん。瞳孔拡張に不随意筋の反射時間・・・そないなものあなたがたの問題とちゃうのです
(うんぬんかんぬん)。ちょいと猟奇的な事件おきるとすぐ『逃亡レプリカントがやった』いう噂たつことお忘れなく。
バカヤロ。わが社は製品の安全性、自信あります。顧客の教育もせんなあかんと私はいつも・・・(くどくど)・・・
まったく、外へ遊びに行きたがるなんて・・・」
 無理に止めればオスカルが・・・イスを蹴飛ばすくらいではすむまい。何ともクレメンスには頭が痛いが、
ふたりはそんなこと知らぬ顔でウキウキと連絡回廊に進んだ。
 ふるさとの大地。
 太陽光。循環装置を通していないみどりの風。やさしい雨。21世紀に壊滅しかけた森林や汚れ切った海、
オゾンホールを回復させるため、観光客の立ち入りを禁じている地域を除いても、ふたりの18世紀人には
まだまだ広大な領域が残っている。
 名もない南国のリゾート島。思い出の多すぎる旧ヨーロッパ地区を避けて、ふたりはまず未知のミクロネシアを
選んだ。初めて見る強烈な色彩、花の香り、豪快な開放感。
 海辺のコテージをひとつ借り、新鮮なくだものや肉、めずらしい飲み物も買いこんで・・・
 飲み物は瞬時に冷える。まるで魔法、とアンドレは涼しげに露を吹くドライシェリーのグラスを干した。
 南国ふうの色ながら暑苦しくないシーツは乱れ、大きなベッドに白い人魚がうちあげられていた。
 きょうは外へ出ず、一日中・・・と、勇気を奮いおこし、口ごもりながらオスカルがささやいた。アンドレが
いつか言ったことをおぼえていたらしい。
 「敏感なからだだな・・・」
 その夜、ささやかれてオスカルは耳まで真っ赤になった。
 「おれは、うれしいんだよ」
 「わたし、ど、どうしていいのかわからないんだ」
 「?」
 「・・なんにもしないで、みんなおまえ任せで・・・」
 「まかせとけばいいのさ」
 「普通の・・・うまれた時からの女なら・・・ちがうんじゃないのか・・・?」
 アンドレは金髪にほおずりした。生まれつきの女じゃないとでも?
 「ほかの女なんかどうでもいい。・・・おまえに嫌われると思って、朝から晩まで抱いてたいのを我慢してる・・・。
この髪も肌も、触れてもいいって、おれはまだ信じられないんだよ」
 「あさから晩・・・?まだ、信じられない・・・?」
 鼓動が一際はやくなる。それは決して拒絶ではない。
 「三日三晩でも。おまえとなら・・・って、うそだよ」
 からかって、恋人はそっと抱きしめた。・・・というようないきさつがある。

 「おまえの納得がいくまで」
 目が真剣だ。
 「いや、まあ、あらたまってそう言われると・・・照れるけど・・・、では、いただきます」
 オスカルは初夜とかわらずぎこちない。
 「マジメにとるな。想像するな。おまえはまったくかわいい・・・」
 朝から晩まで抱かれるとはどういうことかと緊張したからだが少しゆるむ。
 ねまきの合わせめから入った手が、乳房をそっと撫でた、それだけで甘い快感が走るのを、抑えることが出来ない。
胸をかばって、背を丸めた。その背に恋人がよりそい、肩から腰のあたりに手をすべらせた。
 「かまわないか」
 桜色の耳朶を甘く噛まれた。
 「オスカル・・・。おれのすべて。愛してる・・・おまえがほしい」
 あ・・・なんて答えたらいいのか?どうぞおあがりください?
 迷っている間に、強引なくちづけが降ってきた。食べるぞ、と言わんばかり。大波のように抱きしめられ、舌をからめとられた。お手やわらかにも何ももう遅いとばかり、着ているものを引きむしられた。
 あたたかいなめらかな肌をした波にゆりあげられ、翻弄され、底ふかく引き込まれておぼつかなく愛を返した。
波の渦巻く下でここちよく窒息し・・・意識の遠のいてゆくなか、体中の細胞が叫び声をあげた。
この腕の中でからだごとはじけて、まっかな罌粟の花みたいに、飛び散ってしまいたい。

 おろしたスクリーンカーテンの向こうに白い砂浜と波頭が見える。
 波の遠い声が子守唄のようだった。目ざめて恥ずかしくない程度に魅惑的な肌を覆い、黄金の髪は華やかに
散らして横たわる生きた宝物。くちびるはかすかにほどけて、無垢な幼児を思わせる。

レトロな扇風機に似せたエアコンが
天井ではらはらと回り、
オスカルの肌に陰翳を投げる。
アンドレは籐椅子の背を前にかかえ、
眠れる美神を飽かずながめた。
 あのはかない夏の短夜には、
見ることができなかった。
ほかの貴婦人とちがい、
太陽さえ知らない白い肩や腕。
 長い長い、気の遠くなる片恋の年月、
その指に瞳に、かれは焦がれた。
 抱きしめたい。
この世のくびきも神の戒めも引きちぎって、
遠くさらっていきたい。
愛していると叫びたい。
かなわぬ想い。
消せない嫉妬の炎。
その白い手でいっそ胸を引き裂いてくれと、
のたうつように願った日々。
それは永遠に続くかと思われた。

 夢想からさめると、深い藍色の瞳が夢の花のようにひらいてこちらを見ていた。
 「平気か・・・?ひるの用意をしたが、食べられるか?」
 たおやかな腕が夫の肩をもとめて宙をおよいだ。
 「むかしみたいな目をしていた・・・」
 「え」
 胸元からすべりそうな布を、世にも女らしいしぐさで押さえる。
 「ときおりおまえが・・・ほんの一瞬、そんな・・・せつなげな目をするのを、わたしは知っていた。
それはすぐに穏やかなやさしさに変わるから・・・気のせいにして、わたしは逃げた。
アンドレ・・・今わたしは同じ目をしていないか。おまえのように隠すこともできない、恋しさに狂った目をしていないか。
おまえを奪われたら、わたしは・・・」
 「おれはおまえの影だよ・・・だれにも奪えない」
 死神のほかは。
 アンドレはシーツでくるんだ胸にそっと顔をうずめていった。
 「こがれて、苦しくて・・・オスカル。それでもおれは逃げられなかった。ばかだと自分を嘲りながら・・・
おまえに囚われていたかった・・・」
 鼓動に耳をよせ、長い指が遠慮がちに愛撫とはすこし違うしぐさをした。
 無言の問いかけをオスカルは理解した。
 かつて巣くった死の病を知っている。それが今は跡形なく消えていることを確認したがっている手であり、まなざしだった。
 気をつければその左目の色がわずかに違う。クローニングの段階で問題があったのか、
クレメンスに尋ねてはいないが、むかしは右目と同じ色だったことを知るオスカルにははっきりわかる。
 じぶんの左目をかさねていった。小蝶がくすぐるような、長い睫毛のキスをした。
 その目が見えるのなら・・・わたしの胸も。
 アンドレは了解し、安堵した。そして食事のことを思い出した。

 つめたいポタージュと冷肉のサラダ。熱いお茶。できるだけなつかしい味のパンとフロマージュに、あふれるほどの果物。
 「シェリーでいい?」
 オスカルは鷹揚に頷く。この時代の女なら半裸で立ち食いでもしそうだが、オスカルはガウンをまとい、背筋をのばしてきちんと座る。
 「夕食はディナークルーズといくか?波止場から遊覧船が出てるそうだし。予約はまだいけるぞ」
 「・・・着ていくもの・・・持ってこなかった」
 「これから買いに行っても間に合うさ」
 「・・・それは・・・あしたにしよう。わたし・・・ふたりきりでいたい」
 そういえば、これが新婚旅行になるのかな、とアンドレはぼんやり気がついた。
 25年も一つ屋根の下で育った。だが時代はうねり、殺気だっていて、互いの腕に抱きしめあったのはほんの束の間。
平和な恋人たちのような時間は一度も・・・持てなかったっけ。
 オスカル。ここでおれたちはどんなふうに生きよう。この世界が夢で、目が覚めるとなつかしいジャルジェ家の朝じゃないかと、
まだ毎日が不安定な日々。平和すぎておれなんかにはいいが、おまえにはどうだろう。
 おまえでも少しは・・・のんびりしたいのかい。
 「食べないのか?」
 「あ、ちょっとおまえに見とれて。新婚旅行ってやつなのかな、と」
 「そうだ。蜜月っていうんだ。男と女がこれからの人生、ながーくつきあっていけるように、相手の腹をさぐり合ったりくすぐったり
ケンカしたりしてシンミツになるのだ。わたしたちもお互いをよく知らないから、せっせと相手の攻略にはげまねばならない」
 ぷっ・・・
 言いながらオスカルがキウイを投げてきたので、ふたりはくだものを投げ合いながら笑いころげた。
 「つまり、なにをやっても蜜のようにあまいということだ」
 「おまえの好きな桃、甘いぞ」
 皮をスーッとむいて、食べやすくきれいに切り分けて、皿を渡すと同時にフォークを握らせる。いたれりつくせりである。
 「ありがとう・・・」
 「どういたしまして。おれは別の桃をいただきますから」
 「別のがあるのか」
 きょとんと問う、ガウンの胸元からすこしばかりのぞいている白い胸の魅惑的な影。
 「ふふ、やわらかくてすべすべで・・・あ、はやくほしいな。食べたら来いよ、おれが枕を噛んで泣き出さないうちに」
 ひょいと身を翻して行ってしまった。
 オスカルは赤くなった。どうやらじぶんがその桃であるらしい。
 すわって食べている場合だろうか。でも、せっかく切ってくれたのだし・・・。食事をほうり出してあとを追うようなまねは
できない育ちである。
 「あの・・・アンドレ。来た」
 タヌキ寝入りなのはわかったが、あとからベッドへ入ったことのないオスカルはつっ立ったまま呼びかけた。
 「桃は・・・?」
 いたずらっぽく腕を引かれた。
 「お、おいしかった」
 「そりゃよかった」
 引かれてのめり、胸の上に倒れこんだ。
 「こっちの方がおれは好き」
 まだくだものの香るくちびるをうっとりと吸われ、乳房を押し上げるようにしてやわらかくつかまれた。
 じぶんが上になっている姿勢に、オスカルは落ちつけなかった。なんだかよけいに丸見えのようで。
 「重くはないか・・・」
 「ぜんぜん」
 しどけなく、ガウンが半分肩をすべる。
 長い指先がやさしくまねき、からだを沈めようとして・・・アンドレの左目のかすかな光の反射に凍りつき・・・
一瞬、額と口元が血に濡れた苦しげな顔が脳裡を走る。
 どうかしたか、とおだやかな両目が見上げる。
 「なんでもない・・・アンドレ」
 おまえが恋しい。くるしいほど。この気持ち・・・どうして伝えよう。
 黒葡萄の房に似たゆたかな黒髪に指をからませた。ひとはブロンドをほめてくれるが、アンドレのような黒い髪と瞳を
じぶんも持ちたかった。この藍いろの目でどんなに見つめても、黒い目の情熱的な炎の色はうつせまい。
 それでも・・・こんなに愛している。
 ぎこちない、たどたどしい、せつない白い指とくちびるの愛撫を受けてアンドレはうっとりと目を閉じた。
せいいっぱい、オスカルが愛撫をくれている。頬に、ひたいに、瞼に・・・おれのオスカルが。
 ・・・長い夢ではない、ほんとうに?
 もとよりいくら眺めても飽きない美貌が、最近は内側からほのかな光をにじませるようにあでやかになった。
 すんなり引き締まった手足は変わらず、気のせいか胸がほんの少し豊かさを増したような。
 「わたし、自分の胸を・・・意識したこともなかった。姉たちのようにはちきれそうに大きくなったら軍服の下で
さぞ邪魔だろうとぼんやり感じるくらいで・・・」
 意識を呼び覚ましたのはアンドレだった。はずみで寝台に押し倒され、初めて異性として求愛されたとき・・・
契りの夜の、こわれものにふれるようなやさしい愛撫。じぶんの躰に女のあかしがあり、愛する男がふれると甘く溶けてゆくことを、オスカルは知った。
 「胸が・・・変わったとすれば、おまえのせいだ・・・」
 「きれいだよ・・・夢みたいだ」
 ほほを染めてうつむいた。こんなまっ昼間に服をぬいで戯れるのに、違和感があるなとアンドレは察しをつける。
 まだどこかにいます神さま、オスカルは信心深く抵抗を感じています。夜も昼も愛に変わりはありません、ゆるしたまえ。