人形たちの午後 8


 「あ、ハナコ、あれ・・・」
 しゃれたブティックに入ってゆく背の高いカップルを見つけて、ふたごのマリコとハナコは目を輝かせた。
 二日ほど前に浜で見かけた、びっくりするほど美しい女性とそのつれあいらしい男性。
 「天然だね、あれは」
 整形美人があふれている昨今ではあるが、マリコは絵を描くし、ハナコはずばりエステサロンに勤める以上、
美人を見分ける目は肥えている。
 まず、黄金そのものを紡ぎだしたようなみごとな金髪がまばゆかった。肢体はモデル顔負け・・・
水着はワンショルダーのワンピースという、非常に保守的なデザインながら、ぬけるほど白い肌と
髪の金にボルドー色が上品だ。ごていねいにパレオを巻いていたが、海からの出入りにはすばらしい脚を
周囲に披露してためいきを誘ったのである。
 「きれいなヒトだねえ・・・」
 「目もすごいよ。コーキな美貌、ていうか・・・ちょっといないよあんなの」
 「こっち向いた・・・こわいよ、キレイすぎて」
 美人は所在なげにパラソルの下にすわっていた。無表情な女神の像みたいに。どっちを向いても
ハダカ、裸で目のやり場に困っているなどと、23世紀の若人は想像もしなかった。
やがて宝石の瞳がパッと輝いた。待ち人が戻ってきたらしい。
 長身の美女とちょうどつり合う、黒髪の青年は飲み物やらウチワやらといっしょに日焼けどめを買ってきた。
浜と遊歩道には紫外線遮断スクリーンが張られているが、人によっては焼けてしまうのだ。そんなものいい、と
言う妻だか恋人だかを説得して、白い肌を守らせた。ついでだ、という感じでうしろにまわり、器用に金色の髪を
編んでまとめ、白い花なんか飾っている。
 声までは聞こえないが、何を言っているか表情でだいたいはわかる。
 「きれいだよ、オスカル」
 「あ、ありがとうアンドレ」
 んー・・・・
 「熱い。グラサンはずしてキスした」
 「え、絵になる・・・」
 恥ずかしいほど二人の世界に入っているが、不思議に清々しい、きらめくような空気をまといつかせたカップルに、
マリコとハナコは魅了されてしまった。
 きょう、ふたりはまったくありふれたバカンスウェアにありふれた帽子など持って、大きめのサングラスで陽射しを
カバーしていた。
 ブティックは数日前に水着を買った店で、翻訳機を喉と耳につけた店員もふたりをよく憶えていた。
はじめゴージャスな最新流行のシースルーをすすめて、この女性なら浜辺に君臨するだろうと心から思ったが、
ふたりとも赤くなってうつむいてしまい、路線変更を余儀なくされたのである。
 結局、レトロなデザインブックから選んでソーイングマシンに再現させたのが深いボルドーのワンピース型で、
それでもまだ脚が恥ずかしいと言うのでシフォンのパレオをつけてやっと首を縦に振らせた。
 男の方は深みのあるいい声をしている。非常にうつくしいとも、妙ななまりがあるともとれるフランス語。
どこかの植民星から来たのだろうか。標準語(リンガテラ)がもうひとつ苦手らしい。翻訳機が珍しく変換に苦労している。
 「ディナークルーズに・着られる・ドレスありますか」
 「まあ、お安いご用で。こちらの奥さまでしたらほんとに何でもお似合いになるから・・・
あんまり露出度の高くないもの、でしたわね」
 「締めつけず・暑くない・らくに着られて・歩行が容易なのを所望だ」
 「おまえ・それ・男物じゃないか?」
 「さようか?では・おまえにどうか」
 水着のときと同じだった。妻の方はほとんど服飾に無頓着というか・・・
ほっておくとその美しい脚も腕も首筋も隠してしまうデザインを選ぶ。
 結局、月光色といわれる涼しい色に夜光虫をまねた発光刺繍をあしらったドレスと万能ショールにサンダル、
男の方はそつなく色を合わせたよそゆき風、と決めて。
 (おぐしを上げて、お化粧とマニキュアをなさいませんか。隣の美容室で使えるクーポンをさしあげますから)
 喉まで出かかった言葉を店員はのみこんだ。よけいな飾りはいらないかも知れない。
動きにつれて黄金の髪が波打ち、瞳をめぐらしてほほえめば大輪の花が咲いたようだし、
くちびるはほのかに薔薇色・・・身のこなしは鍛えられたダンサー、というより武術でもやっていたようなスキのなさ。
 「これは・いくらかな」
 男の方が真珠の腕輪を指さした。この時代、みごとな照りの珠が手軽に買える。
 「アンドレ・・・」
 「大丈夫。おまえ・真珠がにあうと思うんだ」
 「それはもう。サービスいたしますよ。奥さま。ドレスはどこでと訊ねる人にウチの店でとお応えくだされば」
 「よろしいとも」

 髪に白い月下香、左手首に真珠の腕輪。大きすぎず、オスカルの白鳥の首を思わせる腕をすんなりと引き立てる。
 まるでモダンな月の女神が夜の髪の若者を伴っているようなカップルは、マリコとハナコが追っかけよろしく
見ているのにも気づかず、ちょっと照れながら腕を組んで乗船した。
 大型遊覧船は夕焼けを見ながら波止場を離れ、波の静かな湾をのんびりと廻って月を仰ぎ、
夜中近くまで南国の夜を楽しむコースをとる。
 言葉を奪うほど赤い南海の夕焼けを、名も知れないカクテルを飲みながら味わい・・・
 一番星と、波間を帰ってゆくイルカを見にデッキへ出て、そのままやはり言葉はいらず・・・
 ひかえめなディナーの合図があるまでふたりは潮風にあたっていた。
 テーブルへ向かいながらアンドレは苦笑した。
 「喰らいつきそうにおまえを見ている奴が何人もいる・・・むかしならおれは決闘に忙しくて、のんびり食べてるヒマもない」
 「おかしなまねをする奴は」
 オードブルをつまみ、オスカルは婉然とほほえんだ。隣席の若い男が3秒ばかり動きを止めてしまう。
言葉がわかれば耳をうたがっただろうが。
 「目にワサビをつっこんでイケヅクリにしてやる」
 ここへ来てふたりはルイ十四世も好んだソイ・ソースで食べるサシミとスシに魅了されていた。
 「ふつうの野郎ならおれも遠慮しない」
 「なに」
 アンドレがさりげなく会釈した特別席には、深海色のスーツに髪も淡い金緑色に染め直し、
育ちと金回りのよさを全身にまとった青年が会釈をかえしていた。
 「あいつ、こんなところで何してるんだ!」
 「すわれ、オスカル。目立つんだおまえは。そら・・・ウニでも」
 クレメンスのテーブルには上品な白髪の婦人がにこにこ笑っていた。
 アンドレは意外に平然として、デザートを終えるとさっさとオスカルをダンスに誘った。
 ミランダ・タンゴだか自由落下ブルースだか、ステップはどうとでも。ヨーロッパ一のヴェルサイユの舞踏会で
王妃を相手に、数百の着飾った貴族に顔色なからしめたオスカルが息を合わせようというのだ。
 ふたりが動いていく場所だけが、華燭の照らす影の多い空間に変わっていく。まとっているすっきりしたドレスより、
もっと豪奢な裾を引くローブの幻がちらつく。
 「おまえと踊るの、初めてだな」
 「そうか?そういえば・・・うそみたいだが・・・ずっと一緒にいるのに」
 「おまえに贈り物をするのも、舟遊びにさそうのも、夕陽を見てよりそうのも・・・」
 「ほんとだ」
 大勢の美女の中でも貴婦人の名に価すると船長がひそかに賞賛していた女性が、若者のようにおおらかに笑った。
冷艶な顔立ちが夫らしい青年の前では別人のように明るい。
 「いいさ・・・きれいな服をえらんだり、花をもらったり・・・おまえには出来なかったんだし。これからしたいことをすればいい」
 服も人形も宝石も、姉たちに与えられるそれらをうらやましいと思ったことは一度もないが。
 「おまえがきれいだと言ってくれるなら」
 「きれい。オスカル」
 なんでここにこいつがいるのかっ。
 曲のあいまに、オスカルと踊りたそうな何人もの男性をすりぬけてやってきた、ひときわ優雅なライム色の目の貴公子。
 「ボンソワ、ムシュー。お元気そうでなにより。オールボワ」
 下の方から晴れやかな爆笑が響いた。クレメンスと同席の小柄な婦人。
 「まあ、美しいかた。すてきなナイトをつれてらっしゃるので無理もないけれど・・・うちのクレメンスが夢中になるかただけあるわ。
いっそ豪快な振り方ね」
 「・・・あ、私の祖母です、オスカル。アデライデ・ド・ジェローデル。おばあさま、こちらオスカル嬢と現在の夫君のグランディエさん」
 「現在も過去も未来も・・・我が夫はアンドレだけです」
 老婦人は肩をふるわせてまたコロコロと笑った。
 「あれ、アデーレさんじゃないですか!」
 「そうよ、ほほ、内緒よ」
 アンドレの勤める老人クラブで、特に目立つわけではないアデーレおばあちゃんである。
 クラブにはタイラギの退職者や関係者が多いから、会長夫人だとおおっぴらに名乗らないの、とケロケロして言う。
 「おどろいたな。まあ立ち話も何ですから・・・マダム、あちらでショコラ、いえアイス・チョコレートでも」
 老人にやさしいのはアンドレの本能と言っていい。また老婦人から見るとちょっとこんな孫がいたらと思わせる雰囲気があるのだ。
 「まああ、ショコラ・・・あたくしは大好きですけどね、あなたの苦手ね、クレメンス」
 え、とアンドレはかすかに眉をあげた。
 「この人はね、むかしからどうもショコラをいやがるのよ。苦手なものなど何もない優等生さんなのにね。ほほほ」
 「飲めばおいしいと思いますよ。なまぬるいのがイヤなだけです。つまらないことを」
 「へえ・・・副社長がそんなたわいもないものを気になさるとはね」
 アンドレに改めてまじまじ、しげしげと見つめられて、クレメンスは表情で問い返した。顔に何かついてるか?
 「いえドクター、むかしのことです・・・」


 「クレメンス・ジェローデルは・・・じぶんがなぜ・・・ショコラを嫌いかわからない・・・か。・・・なまぬるいショコラを・・・」
 アンドレはぶつぶつ言いながらレンタルしてきたイメージスキャナ・レコをセットしていた。
 「なんだそれ」
 「人の記憶したものを画像にして出力できる機械だよ。なつかしい思い出なんかを形にして残すとかで・・・
これがおれの記憶してるジェローデル少佐・・・」
 アンドレが小さな帽子型の装置を頭につけて作動させると、テーブルの上に人影のホログラムが映写された。
はじめはぼやけ、ブレて、かろうじて男だとわかるくらい。集中して細部を思い出すほどに、髪がうまれ色がつき、
手足などは消えているものの豪華なレースや卵形の顔の輪郭ができ、オスカルが見ても誰だかすぐわかる立体肖像になった。
 「おまえの記憶も貸してくれないか」
 オスカルのイメージが加わると、服装が軍服と二重写しになり、姿勢が少しよくなった。
 最後に見た頃、と年齢をあわせたが、ふたりの受けたイメージが少々違っているため表情にさまざまな微調整が現れては消えた。
もとがあまり表情豊かな人物ではないので、その微妙な変化はなかなかの見物だった。
 「肩から上に集中して」
 かなり時間をかけてようやく顔に性格が感じられるまでになり、今にも話をしそうなジェローデル少佐の頭部が復元されてテーブルに浮いた。
 「よし、確定。実寸に拡大・・・それからこちらはご存知ドクター・クレメンスのホロ・・・表情をなくして、おすましして・・・
髪をちょっくらお隣とそろえてみましょう・・・」
 「ほんとによく似てるな」
 アンドレの操作する通りトリミングされたクレメンスの顔は、もはや先祖の顔と見分けがつかないほどだった。
 「この顔から頭蓋骨のかたちを割り出して・・・二人分を重ねてみても・・・ほとんどぴったりだ」
 「五百年前の先祖にここまで似るものなのかな」
 「人間の記憶はあてにならないから、おれとおまえで造ったご先祖の顔が最近見たクレメンスに似ているとしても不思議じゃない。
でもオスカル、おれは調べたんだが、ヴィクトール・クレマン・ド・ジェローデルに少なくとも嫡出子はいない。結婚の記録はないんだ」
 「何を言いたいのかわかってきたつもりだが・・・昔のことだし。兄弟の子が家を継いだんだろう」
 「もちろん。・・・クレメンスがショコラをきらいだと言わなければ問題にしなかったさ」
 「ショコラがどうした?」
 「きらいなのは、クレメンスじゃない。先祖のヴィクトールだとおれは思う。きらいな理由を知ってるのはあの伯爵とおれ、
世界でふたりだけなんだな。で、そんな些細な嗜好が子孫に伝わるか・・・特定の飲み物の温度に対する嫌なイメージが
遺伝するものか・・・?骨格までおそろしく似ている五百年後の子孫に?それは、生まれ変わりか?」
 「わたしたちの時代ならそう言っただろう」
 「そう、オリジナルのおれたちの時代ならな」
 陽気な雨まじりの風が波を怒らせはじめていた。