人形たちの午後 9

 ☆ ストーム ☆


浜には監視員ロボットがヒマそうに配置されているだけだった。救命ハーネスをつけたネオ・ドルフィンの救助員もきょうは休んでいる。
 大型のタイフーンが接近中、上陸の見込みです。高波の恐れがありますので遊泳を禁止します。
 気象管制をわざとやらないのも地球らしいところだ。
 「タイフーンってなんだ、アンドレ?」
 「Typhon。嵐の親玉、中心に目があって、どこへ行こうかな・・・と迷いながら移動する。この島をチョクゲキするらしい」
 「おー・・・」
 ついてない、と普通なら思うだろうが、なんでも珍しいふたりはちょっとワクワクしながら南国の嵐の風景を見物した。空を走る墨を流したような雲、白波をたてて豪快にうねる海、新鮮な潮の香り、大粒のたたきつける雨、引きちぎられるヤシの葉・・・
 わざわざ水たまりへ入ってはしゃぐ子供と大差ない。ただオスカルはそっと脳の一部を臨戦待機モードにしておいた。五感がクリアになるし、アンドレの身に危険がおよべばすぐに動ける。悪魔のように丈夫なこの躰が役に立つとすればこんな時くらいだ。
 アンドレは戦闘用レプリカントのデータを持っていて、気味悪くないのだろうか、と思う。万に一つ、オスカルが発狂でもすれば、魔風のように目の前の恋人をも殺戮するかもしれない。データはデータであって、実際に戦闘モードに入ったところを見たことはないにしても・・・。

 『・・・ええ、コテージは台風の備えをすべてしております。ゴツィラが踏んでも毀れません。本館にお部屋もございますから、お好みで・・・非常の場合は緊急回線でご一報ください。レスキューが駆けつけますから・・・』
 台風は毎年いくつも来るという。管理人はのんびりしたものだった。
 「ゴツィラってなんだろう」
 「ジャポンうまれの怪物で、リビヤタンみたいに大きい」
 「見に行く」
 「ホロムービーのスターだよ。こんど行こうな」
 アンドレは食糧を点検し、非常時マニュアルをさっと読んで危険はないと判断した。浜へ出たり、真っ最中に外をうろうろしたりしなければまず、大丈夫だ。
 気象情報で白い影が近づくにつれて風雨が強くなってくる。画面でこの影を動かせばあっちへ行くんじゃないか、と奇妙な気がする。
 「アンドレ、ロウソクをつけようか」
 18世紀の夜。明るすぎる夜をきらい、ふたりは自宅でもよくランプや蝋燭をともしてすごす。
 やさしい灯火にワインにおいしいつまみ。風が唸ろうが雨が逆さに降ろうが、ふたりでいればあたたかい。
 「子どものころ、嵐の夜はふたりでベッドにもぐりこんで風の音をきいたな」
 「明かりが消えたりするとおまえはちょっとこわがった」
 「嘘だ。こわがったのはおまえだろう」
 「おれは護衛だから、明かりをともしに出ていったさ」
 「オバケがこわくて、万聖節の夜は泣いたくせに」
 「そうだった」
 あのころ、闇はもっとおそろしかった。嵐の到来は正確に予測できず、作物の実りは天候まかせ、疫病はどこからともなくやって来て、人々はあっけなく死んだ。
 無念な死者たちの霊が暗がりを歩いていると、子どもはみんな信じていた。
 この時代の人々は、ふたりのように海鳴りと風の咆哮に本能的なおそれは感じないのだろうか。
 オスカルはアンドレのうしろにまわり、広い背中にそっと身を寄せた。
 子どものころはほっそりして・・・そんなに大柄でもなかったのに。アンドレはいつのまにかすっぽりとオスカルを抱えこめるようになっていた。
 「はにかみやのネコみたいだぞ」
 ゆっくり身をひねって豪華な金髪のネコを膝にすべりこませた。大きなネコはしなやかに身をゆだね、小さく吐息する。
 「いずれかにおわす神よ。感謝します・・・わたしにこの黒髪の伴侶をお与えくださったことを。かれとわたしを幼いころ出会わせてくださったことを・・・」
 はにかんだネコは、恋人に直接愛を告げるのが照れくさかった。
 「いつくしみ深い聖母よ、たとえいつわりのものでありましょうとも、この命が果てるまでわたしはかれを愛します。心やさしく誠実なるかれを、海の深みよりなお深く、星の生まれ消える時よりなお長く、永遠にこの身をささげ愛します。かれの身に起きるわざわいのすべてをわが身にふりむけたまえ。わがよろこびと幸せのすべてをかれに与えたまえ」
 この時代に覚醒してから、祈りの言葉に“わが魂”という言葉を使っていない。
 母の胎内でつくられたのではないこの肉体にも命はあるだろう。複製とはいえ感情があり心もたぶんあるだろう。だが魂は。
 「おまえにわざわいなんか起きたら、おれは正気でいられない」
 「わたしも・・・アンドレ。おまえに何かあったら、わたし・・・」
 だめだ。パニックを起こしては。アンドレはここにいる・・・ケガもしていないし、目ははっきり見えているし、どこにも行かないと言ってくれて・・・
 オスカルはけんめいにあの夏の日を思うまいとした。身にまとうものもなく吹き荒れる嵐の中にほうり出されたような、血しぶくほどのさびしさを、慟哭の声を吸いこんで反響さえしない底なしの空虚を。
 生まれたときから聞かされた。おまえは軍人の跡を継ぐ男の子だから・・・なにものも恐れず、雄々しく昂然と頭を上げ、女々しいまねをしてはいけない。嵐の夜も父母にすがってはいけない・・・
 「むりをしなくていいんだ・・・オスカル。おれがそばにいるから。いやだと言ってもおまえをはなさない。おまえは澄んだ目でまっすぐに物事を見る。たたきつける風から身を避けようとしない。おれたちはこの世界で今は根無し草だが、おれは薔薇を支える添木になっておまえを護る。好きなだけ、おれによりかかって・・・さびしければ泣いていいんだ」


 真夜中、不吉な声を聞いた。
 あたたかいアンドレの腕から出たくない。愛してる。耳をふさいで丸くなりたい。風の声、空耳だ。
 細い悲鳴が浜の方角で上がった。
 異変を、はっきりと聞き取った。手早く身じまいをすませた。
 台風はそろそろ遠ざかっていくらしい。無意識に眼の光覚細胞の感度が上がり、浜に数人の影をとらえた。波のとどかない一角で、この夜中になぜか少年が折檻を受けていた。
 「なにをしている」
 落ち着いた女の声に一旦驚き、男たちは下卑た笑いでこたえた。
 三人組に少年は半裸に剥かれ、吹きつける風雨の中でまさか、何をされているのかオスカルには初め理解できなかった。
 歩をすすめるとほの白い端麗な顔と輝く金髪が幻のように闇に浮かぶ。
 「よ!上玉じゃないか、ねえさん」
 「夜中にお散歩かい。遊んでやらあ。来な」
 ヤミ医者に筋肉増強処置を受けたらしい。重い金属棒で殴りつけられた監視員ロボットの残骸が砂の上に拡がっている。
 レスラー数人分の力をつけた腕や脚がオスカルを取り囲んだ。
 「その子に何をしているかと訊いている」
 「これかい。おもしろいぜ。オモチャのくせに一人前に泣いたり叫んだりしやがる。怠けて逃げやがったのをとっ捕まえただけさね」
 弱いものを複数で。ただ辱め、傷つけ、踏みつけるのを楽しむのか。逃げ惑うものをいたぶり殺すのか。野獣にも劣る私刑・・・それをよろこぶ心が人間にはあるのか。
 「それよかあんたの方が色っぽいなあ・・・やっぱホンモノの女はいい・・・ダンナはいないの、お嬢さん?」
 アンドレを起こさなかったのは危険の予兆があったからか。
 約束した・・・化け物じみた力を使うのは、身を護るときだけ。黙って一つ追加している。そしておまえを護るときだけ。今の場合第1項に当たるだろうか。
 少年の腹部に重いブーツの先がめりこんだ。もう吐き出すものもなく、細い体は苦悶によじれた。
 「その子を・・・殺すつもりか」
 「殺すんじゃない、壊すんだ。あんたの後でな」
 レーザーナイフとおぼしい刃がシャツの胸元を切り裂いた。オスカルが避けなければ肌まで深く切られていた。白い胸に糸のような朱色の線が引かれたが、指がつとなぞるとかき消えた。目に暗視スコープをはめこんだらしい男が首をかしげる。異常な治癒力に気づかれたか。
 劣情に狂った腕が触れるまえに、死神の鎌に等しい白い手が薙ぎ払った。
 わけがわからないまま、うしろにいた男が吼えながら放った痛覚鞭に巻かれて、オスカルはぐいと身をひねった。男はつんのめって自分の鞭に接触し見苦しくのたうちまわった。
 オスカルに激痛がないわけではない。痛みの激流に悲鳴をあげる脳の脇で、戦闘用の改造脳が冷静を保ったのだ。力を入れると汚らわしい紐は切れて落ちた。
 剣が恋しい。砂を蹴りながらオスカルはちらりと思った。
 (ゆるしてくれアンドレ。おとなしくしていられない、よけいな事に首をつっこむわたしを)

『マスカレード様よりいただきもの 

眠る前にはこういうシーンもあったかも。 

スリンク』