鏡よ、鏡 若葉編 3

 ★ らいばるよ還れ ★


 王太后マリー・アントワネットさまのご葬儀はつつがなく終わった。サン・ドニから戻ったあっちらは今しずかに喪に服している。
 かぐわしい秋の金色の日ざしにほほえみながら、おだやかな臨終だった。マリア・テレジアさまの慎重さにもご姉妹の放埓にも縁のないほがらかなお人柄で、あっちもずいぶん可愛がっていただいた。ご夫君に早く先立たれたことをのぞけば、大フランスの王妃としてまずおしあわせな人生だったと思う。
 
 あっちはジルの背中をなで、ひざまづいて一緒に祈った。
 これで、ジルのおっかさまはひとりきりになった。ネンネコ村の育てのおっかさん。義理や名目をひっくるめて何人もいたあっちの母親も、育ててくれたジャンヌかあさんだけになった。
 いまわのほんの一時、意識が過去へ飛んだのか、アントワネットさまはあっちの手を取って「オスカル」と無邪気に呼ばれた。
 豊麗な美貌が光をふりこぼすばかり盛りだったころ、咲き誇る紅薔薇と白孔雀のようにたわむれ、金銀の鈴のごとく笑いさざめき、誰よりも優雅に軽やかに舞踏にさそった男装の貴婦人。このお方の寵愛を徹底的に利用して栄華をつくしたあっちの母の名。この方にはただなつかしい若い日の友だったのだろうか。

 オスカルはもう先のある年の夏、忽然とこの世から消えた。
 あっちの大切な父親を当然のように道連れにして。
 別荘へ避暑に出るとふたりが挨拶に来た日、外はやさしい雨がしっとりと緑をぬらしていた。
 秋までには戻るよ。
 そっとキスをくれたとーちゃんの黒髪の香りを忘れない。
 それは小さな不運がいくつも重なった末のできごとだった。
 身重だったあっちの元に残ったディアンヌ。身辺を常に固めていたアランたちには久しぶりの休暇が出されていた。
 かわりを勤めた護衛の一隊は地理に疎かった。
 オスカルはとーちゃんとわずかな供回りだけをつれて山荘に入り、狩猟をかねて遠乗りに出た。
 じぶんにどれだけ敵が多いか、ほんの一瞬忘れたんだろうか。アンドレの細心の用心深さが、このときばかりは不慣れな護衛たちの連絡のあやまりという、小さなほころびを見落としたのだろうか。
 真相はわからない。生存者があまりにも少なくて。
 オスカルたちを襲ったのは、山賊夜盗のたぐいではなかった。これだけは事実だ。
 宮廷を追われたオルレアンの残党。恨みに凝り固まった貴族たちの死に物狂いの復讐。組織を根絶やしにされた秘密結社の生き残り。・・・もしくはそれらの寄せ集め。遠乗りに出るのをどうして知ったのか、裏切り者は誰だったのかも今となってはわからない。遺体のひとつが女で、ポリニャックのシャルロット嬢に似ていたともいう。実際には損傷がひどく、デマの粋を出ない。
 小さな森の空き地が最初の襲撃の場だったらしい。
 そこからジャルジェの堅牢な城館まで、累々と転がった死体と血痕をたどればオスカルたちの抵抗の激しさと移動の速さが読み取れた。

 「長い金髪のほっそりした貴族が馬を降り、じぶんより大柄な男を肩に負って引きずりながらお館へ入って行った」
 付近の木こりがおっかなびっくりこれだけを目撃していた。
 オスカルが渾身の力で運んでゆく相手といえば、ひとりだけだ。
 とーちゃんはそのとき既に事切れていたのか、気を失っていただけなのか、それはわからない。オスカルを守ろうと・・・逃がそうと、いずれ無茶をしたんだろう。
 仰天して出迎えた召使いたちの前に、全身に返り血をあびたオスカルの顔だけが凄いばかりに白かった。その目は手負いの虎の憤怒に燃えていたが、声はしんと涼しかった。
 「逃げろ。地獄まで供をしたくはなかろう」
 オスカルは城の隠し部屋におそろしい量の爆薬を仕掛けていたらしい。いつかこの事あるを予期していたように。
 アンドレの重い身体をやさしく横たえ、美酒をふくんでくちづけた。とーちゃんは意識があったろうか。何か、言っただろうか・・・
 
 城の窓から白布でつくった旗があがり、血に狂って追ってきた敵の大半がオスカルを仕留めようとなだれ込んだ。怨みに衝き動かされたものの浅慮。
 できるだけ多くの敵どもをおびき寄せようと、オスカルは白旗を上げて見せたにちがいない。飛んで火にいる夏の虫、と笑ったかどうか。

 この身にきさまらの指一本ふれさせるものか。愛しい夫の身体を誰にも渡すものか。
 よく来た。これがわたしの返礼だ。

 このくらいの見得は切ったかもしれない。
 直後、館は爆砕し炎上した。
 百門の大砲がいっせいに轟いたようだったという。


 命びろいした召使いたち。脱落して後に捕らえられた敵の生き残り。このものたちの乏しい証言から、あっちとジルが知りえたのはこれだけだった。

 館のあったところは黒こげの穴になってくすぶっていた。地下の魔物が大口をあけて吸い込み噛み砕いたように。
 アランたちが狂気のように痕跡を探したが、襲撃者のむざんな遺体がいくつか見つかったほかには何もなかった。
 燃えた骨の一片、指輪ひとつ、髪の毛ひとすじも。
 ふたり一緒にいくのだから、あとに何を残す必要もないってことかな。

 オスカルの娘が気絶したと笑われるわけにいかなかった。ジルの腕をつかんで立ちつづけた。ジル・・・ルイ17世は小声で矢継ぎ早に命令を下して、騒動が拡がるのを防いでくれた。


 背の高い黒っぽい髪の男を見るとはっとする癖は、今も治らない。
 公式には、事故死とされた。
 その後しばらくして、新大陸行きの船に隻眼の男と美しい女が乗っていたという噂がたった。館には秘密の地下道があったからとまことしやかに言うものもいた。その種の噂は下火になっても完全に絶えることがない。ああいう形でこの世とおさらばされると、残されたものに未練が残るくらい考えてくれてもよさそなもんだ。ジルのおふくろさまとはえらい違いだ。
 ジェローデルなぞは無常を感じたとかで退役し、あちこち旅に出てばかりいる。たまにあっちの顔を見ると泣きおる。

 「ぶどうも小麦もいい出来なのに。おふくろさまに味見をしてほしかった」
 ジルがぽつんと言った。

 アントワネットさま。うちの両親はお迎えに出ましたろうか。
 あなたさまとは行った先がちがうかもしらんから、無理でしょうか。
 見えるもんなら捜してみて下さりませ。どこででもふたりくっついて好き放題やっておりましょうから、きっとわかりやすいと存じます・・・。


  おわり



 この話はあるアドバイスがなければ書けませんでした。マスカレードさま、おかげで出来上がりました。
改めて感謝!です。
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