鏡・・・? じごくへん のっとり版 ★ あるいは若葉編3のおまけ・冗談版 ★ 帝王トートは、惚れっぽかった。 ある日ハデな轟音と共に現れた美しい人影を、仲の悪い大天使ミカエルがなわばり荒らしに来たのかと早とちりし、剣を抜いた。 しかし相手のほうが速かった。 ついさっきまで血染めの剣を振り回していた新入りと、めったに実戦に及ぶことのない黄泉の帝王。勝負あった。 優美な細身の剣がトートの心臓を正確に一突きしていた。 蒼い、冷たい血が剣を伝ってしたたり、ミカエルに似ているが翼のない人影は不敵な笑みを浮かべた。 「おまえがここの王か。やっかいになるぞ。見知りおけ」 な、なんとゆータカビーな言葉づかい。 トートは雷に打たれたようにあっけにとられた。 そもそも死の王であるから死ぬことはなく、滅多に脈打つことのない心臓を刺されてもどうということはない。いや、生き返ってしまうのか?ややこしい。 痛みより屈辱より、トートはその男とも女ともつかない美しさに陶然とした。 オスカルは剣を引くと、あわてふためく黒天使たちをしっしっと追いやりながら遠慮なくトートの宮殿に入っていった。 「もっとむさくるしい所かと思っていたが、なんとか暮らせるではないか」 黒ビロード張りの豪奢な長いすにどっかと腰をすえ、転がるドクロに顰蹙して蹴飛ばした。次のセリフはあいかわらず 「アンドレ!」だった。 ふたりぶんの転入手続きをしていたアンドレの返事も生前のままだった。 「なにか?」 死者はトートにひれ伏し、これからお世話になりますと挨拶するべきだ。このふたりはそういう地獄の常識を完全に無視する気でいるらしい。そのあまりの大胆不敵な態度はトートにさらなる新鮮な感動を与えてしまった。 他人の血にまみれたブラウス、華やかな黄金の髪、蒼ざめた薔薇のような肌の色・・・いたずらっぽく邪悪なサファイアの瞳、死んでいるのに生き生きと輝くくちびる。 「美しい・・・」 (トート閣下、いまなんとおおせられましたか) 声のない黒天使が身振りでたずねた。 「俺は・・・俺はこんな気持ちは初めてだ」 (そうですか??また一目ぼれですか?) 「この傷口はあのひとにしか癒せない」 (いえもうふさがりかかってます) 別の悪魔がアンドレにまとわりついている。 (ここは畏れおおくもトート閣下のお住まい。おまえたちの家ではない!) 「悪いけどオスカルが気に入ったと言うんだから」 トートの衣裳箪笥から着替えをみつくろって持って来た。血まみれのブラウスや焦げた上着をさっぱり取り替えたオスカルは悠々とくつろぎ、三つ首の猛犬の頭をひとつずつ撫でた。 「酒があったぞ、オスカル・・・。ドクトル・パラケルススより献上」 (そ、それは閣下ご秘蔵の寝酒に女性法王の骨の杯) 「うるさいなあ。下級生はダンスのお稽古でもしてなさい」 (は、申し訳ございません) 「アンドレ・・・おまえのうしろに今、『初演・昭和49年』という字が見えたぞ。それに、カキュウセイと言われたとたんにあいつらが低姿勢になった」 「・・・なんだろうな。おれにも何でそんな言葉が出たのかさっぱりわからん」 『初演・平成8年』を背負ったトートはわけのわからん世界の混入を感じたが、その言葉の呪縛を解くのは難しかった。 自分たちのほうが、絶対に大人の鑑賞に耐える!脚本も衣裳も音楽も演出もずっとずーーっとセンスがいい!しかし、しかし、『カキュウセイ』の一言はいかんともしがたいのか・・・。 「ああ、それにしても俺の胸を無造作に一突きするとは・・・エロースの矢で射られたよりも甘いときめき・・・」 (いつもはエロースなんかバカにしてらっしゃるのに) その黒天使はトートの指でひょいと弾かれ、地獄から人間界に飛ばされてしまった。かわいそうに。 別のがおそるおそる忠告した。 (あの、閣下。つれあいと一緒のようですが) 「そんなものいつものことだ!亭主がいるくらいで俺が引き下がると思うか」 (思いませんが宮殿を乗っ取られました) 「隣に新築しろ。ケチケチしおって」 こうして地獄にはふたつの王宮が並び立つこととなった。 オスカルとアンドレは通りがかりの魔女たちを篭絡して働かせ、乗っ取った城の内部を模様替えしはじめた。 ホーキで掃き出される数百年分の埃、ドクロ、蜘蛛の巣、コウモリの翼・・・ 窓から投げ落とされる盆提灯、逆さ十字、経帷子、しきみなど辛気臭いインテリアや衣類・・・ それを拾って新しいトートの宮殿に運び込む黒天使たちの姿が哀れを誘う。 アンドレの指示で特大の天蓋つき寝台、緞子のカーテン、みごとなロココ調の鏡台などが次々に現れ、たちまちベルサイユをはるかに凌ぐ城が地獄の住人たちの前に出現した。 「庭はとりどりの薔薇で彩り、ぶどう酒の噴水も枯れることのないように。音楽を奏でる木や料理の絶えない食卓もふんだんにあつらえて」 トートがおしかけ女房に本宅を追い出されたって? ちがう。惚れた弱みで城ごとくれてやったってさ。心臓を一突きされてまいったらしい。ざまーない。 これから地獄を支配するのはその女?さぞ美しいのだろうな。 トートはかまってもらおうとうわの空で贈り物を物色して歩いてるさ。でも人間の女が何をよろこぶかさっぱりわからん。 死人草とベラドンナと曼珠沙華の花束に、香油づけのミイラの心臓なんか差し出して大笑いされたらしいよ。 ぷっ!すごいセンス! じゅんじょー! 地獄スズメの井戸端会議はこの手の噂で持ちきりだった。 自分は何一つせず千年ものの美酒に舌鼓をうっていたオスカルがころあいを見て宣言した。 「宴会だ!無礼講だ!」 たちまち、大広間の床が薔薇の花びらで埋め尽くされた。 シャンデリアにともった鬼火は少々陰気だったが、やむをえまい。 バンシーやシレーヌも心機一転、モーツァルト調の歌を仕入れてきた。 招待された閻魔大王やペルセフォネも目をむく山海の珍味がテーブルにあふれた。もちろん飲み放題、食べ放題である。 ルシフェル、織田信長、チェーザレ・ボルジア、則天武后、メフィストフェレスなど名士たちが白い衣裳のオスカルと談笑するすばらしい光景も見られる。 「おお墓に咲く白き薔薇よ。闇夜に燃える妖しの一つ星よ。寂しき狼の凍れる月にこがれるごときわが思いを聞きたまえ。えーと」 一張羅の葬式ルックをぴたっとキメて蒼い顔をますます蒼ざめさせたトートが隠し持ったカンペを見ている間に、オスカルはスッと離れてしまう。 アンドレはほほえましく思ってこの不器用な帝王のオスカルへの横恋慕を大目に見てやることにした。冬のオリオンを浮かべる瞳、とかセピア色の化石・・・という文句がスラスラと出るかれとはどうやら勝負にならない。 終わりなき地獄の夜はにぎやかに更けていった。 やがてエリザベートと出会う日まで、トートの切ないオスカル追っかけは続いたという。涙。幕。 ============================ 麻里子さまに前半「〜ケチケチしおって」までの部分をお送りし、「続きを書いてください」などと言ったくせに、自分でもぽつぽつと最後まで書いてしまいました。 同じネタで麻里子さまのと話がふたつあるのはそのためです。結末が違うので、それもいいかなと思いまして。 若葉編3のあと、「地獄の王宮のっとって暮らしてたりして」というある方のメールからひらめいた冗談話です。 スリンク |