水の心 1


「ねえ、オスカル、本当に今年はあなたの番なのよ・・・・・」
「何度おっしゃられてもいやでございます、母上!」
「でも、あなたがいつまでもここにいると、人間たちは死んでしまうわ」
「ふん、あんなつまらない者たちなど、勝手に死ねばいい!」
「オスカル!」

ここは、水の精の国。
水は、水の精によって生み出され、降り注ぎ、すべての命を育くんでいる。
世界の中央に、水の精の住む深い霧に覆われた「生命の森」があり、その森を取り囲むように
六つの王国が栄えている。
そのため、水の精は必ず六姉妹で誕生する。
そして、その国で一番清らかな魂をもった男性が選ばれ、水の精を花嫁として迎える。
水の精はその国に嫁ぐことで、人間界に恵みの雨をもたらし、人々は豊かな実りを
得ることができるのだ。
しかし・・・・・、いったん、水の精を不幸に陥れたら・・・・・
水の精が流す悲しみの涙は、またたくまに地上を覆い、すべてを押し流す。
怒りは雷鳴となって轟き、そのすさまじさは伝説にさえ語られているほどだ。
夫である男性は、溢れ出る水に囲まれながら、なんと砂漠で死ぬ人のように、からからに
乾ききった屍で発見されるという・・・・・


さて、先代の水の精たちは老い、世代交代の時がやってきていた。
オスカルは水の精の末娘。
5人の姉たちは、それぞれ五つの国に嫁いでいき、それぞれに幸せな家庭を築いていた。
国は潤い、人々は水の恩恵を全身で受け止めている。
ただひとつ、いまだ水の精を娶れないブルボン国だけが、続く日照りで収穫が減り、
国民は貧困と飢餓に喘いでいた。
王様は、人はよいのだが決断力、実行力に欠け、誰を水の精の花婿にするのかさえ決めかねていた。
それというのも、水の精の花婿となれば、一生の間、国中の尊敬を集め、富も栄華も
思うままになるのである。
そして、花嫁となる水の精は、文字通り人間離れした美しさと知性と優しさを兼ね備えた、
最高の妻なのだ。
だが・・・・・
花婿となる男性は、湧き出たばかりの清水のように清らかな魂を持った男性でなければならない。
もし、邪心を持った男だと、水の精はその汚れで自らを汚し、泣き、怒り、やがては
死んでしまうのである。
もし、水の精を死なせでもすれば、その国は永遠に雨も降らず、河は涸れ、人が住めない
廃墟と化してしまうのだった。


「う〜〜ん、困った・・・」
「王様、いかがなされました?」
「おお、メルシー伯、余は水の精を花嫁として迎えられる男をさがしているのじゃ」
「ふ〜む・・・・・しかし、もう、ご結婚なさっている陛下はともかく、弟君のアルトア伯が
 立候補なさっていたのでは?」
「ああ、だが彼は、水の精を娶れば余を追いやって王位につけると思い、そのために花婿候補に
 立候補しているのだ」
「それは困りましたな。そのような邪心、水の精殿はすぐに察してしまわれるだろうし・・・」
「そうなのだ。それに、先代の水に精にお聞きしたところ、今回我が国に来てくれるはずの
 末娘殿は、一風変わった性格だとか」
「はて? どのように変わってらっしゃるのですか?」
国王は、大きなため息をついて言った。
「たいそう美しいが、男勝りで、しかも男嫌いだそうだ・・・・」



「オスカル、どうしてそうわがままを言うのですか」
「しかし、母上、どうしてわたしが婿をとらなければならないのです?」
「婿をとるのではなく、あなたが嫁いでいくのです」
「あんな人間の元に? わたしはいやです」
「なぜですか?」
「母上、考えてもご覧なさい。私たち水がなければ生きていけないくせに、そのことを
 忘れているかのような振る舞いの数々。泉に土足で入り込んだり、石を投げ込んだりする
 のは日常茶飯事。河をせき止めたりゴミを捨てたり。そのくせ、ちょっと日照りが続くと
 わけのわからない祈りを捧げて機嫌を取り結ぼうとするのです!」
「オスカル・・・・」
「そのようなつまらない者のために、なぜわたしが犠牲にならなくてはいけないのですか!」
言い切ったオスカルはその場を去ろうとしたのだが、母親の次の言葉に足を止めた。
「・・・・・オスカル、あなた、どうしてそんなことを知っているのです?」
地を這うような低い声・・・・・
「え? あ、いや、新聞やテレビで・・・ははは・・・」
しどろもどろに言い逃れようとしたが、そうは問屋が卸さない。
「嘘おっしゃい! また、だまって命の森を抜け出したのね! 今日という今日は許しません!
 罰として、城中をお掃除しなさい!!」
「母上〜〜〜〜」


ぶつぶつ言いながらも、お掃除中のオスカルを助けたのは、幼いときから育ててくれた
ばあやだった。
「お嬢様、こちらはわたしがいたしますから」
「ああ、ばあや、ありがとう」
心底ほっとした声が出た。
一生懸命掃除したおかげで、思っていたよりも早く片づいた。
「ねえ、ばあや。姉上たちは幸せなのだろうか?」
「そうでございますねえ。嫁がれた国々が栄えているのをみますと、お幸せなのだと思い
 ますよ」
「・・・・・・・」
「お嬢様、どうされたのですか?」
「ばあや、わたしは一生、この命の森で暮らしていたい・・・」
「お嬢様・・・」
「醜い争いや、汚いものを見ないで、すくすく伸びる緑の中で暮らしたいのだ」
「・・・・・でも、お嬢様。お嬢様がこの森を出て嫁いで行かなければ、もうひとつ
 残った国にはいつまでも雨が降らず、民たちは苦しんで死んでいくことになるのですよ」
「でも・・・・・」
「大丈夫でございます。きっと、お嬢様のお心を変えさせるような男性が現れますよ」



その頃。
ブルボン国では、国をあげての花婿探しが始められようとしていた。