水の心 2


「おう、アンドレ、知ってるか?」
「なにをだ、アラン」
アンドレが馬の世話をしているところにやってきたのは、友達のアランだった。
「さっき村長のところに、お城からの遣いってぇヤツが来ててさ。なんでも、この村からも
 水の精の婿候補を出せということらしいぜ」
「そういえば、ここ何年か雨量が少なくなってるな。うちも、牧草が茂らなくて困ってるんだ」
「俺んとこも、畑の水撒きがたいへんだと、毎日のようにおフクロがこぼしてやがる」
「まあ、この村は命の森に近いから、ほかの村よりはよっぽどいいようだぞ」
慰めるように言うと、アンドレは馬にブラシをかけ始めた。
「でもよぉ、この村で花婿候補っていやあ、俺様とおまえと、あと、ベルナールくらいじゃあ
 ないか?」
「うん? そうなるか?」
「おまえ、気にならないのか?」
「なにが?」
ブラシの手を休めようとしないアンドレにアランはため息をついた。
「なにがじゃないだろ? 花婿候補ってことは、おまえ、天国か地獄か、どちらかにイケと
 言われてるようなもんじゃないか・・・・」
「はっはっは・・・究極の選択だな」
「こらぁ、俺様がまじめに話しているのに笑いやがって!」
「すまん、しかし、その天国か地獄かってなんのことだ?」
「アンドレ、おまえ、無知だな・・・・・」
「何とでも言え。知らないことは知らない。教えろ」
「だからさ、たとえば、俺様が花婿候補に選ばれたとするだろ? そしたら、命の森に
 連れて行かれる。たった一人で森の中へ入っていく。みごと、水の精さまのおめがねに
 かなえば、絶世の美女を花嫁にして意気揚々と帰ってくる。これが天国だ」
「ふむ・・・・。では、地獄は?」
「・・・・・・ミイラになる」
「へ?」
「水の精に気に入られなければ、命の森から突然、黒く濁った河が流れ出す。
 その流れに、からからに乾いた花婿候補の死体が浮いていると言うわけだ」
「・・・・・・・・」
「なにしろ、あの命の森は、人間が入り込もうとするだけで嵐が起こるんだからな。
 いつもうっとおしい霧がかかってるし、昼間でも暗くてじめじめしているし。
 なんであんな所で、人間が干物みたいになっちまうんだ?」
何も答えないアンドレの顔が真っ青になっているのを見て、アランはびっくりした。
「アンドレ? どうかしたのか?」
「・・・・・アラン・・・一つ聞いてもいいか・・・・」
「ああ、なんだ?」
「水の精は、顔で男を選ぶのか?」
「・・・・・・・・おまえ、ひょっとして、脳みそがミイラになってる?」



王様からの使者が帰った後、村長と村の主立った何人かは頭を抱えていた。
「水の精の花婿候補か・・・」
「うまく花婿に選ばれれば、この村も豊かになるのじゃが。もし、しくじった場合、
 村ごと大水に流されてしまうかもしれん・・・」
「村長、どうしましょう? 誰を花婿候補に出しますか?」
「ふむ。とにかく、心根の綺麗な者をということでしたな」
「う〜ん、年頃の男性というとアンドレ、アラン、それにベルナールか・・・・・」
「だが、ベルナールには、もうロザリーという恋人がいますしねえ・・・」
「理屈ばかり言っておるしな」
「アランも体の弱い母親と幼い妹がいますよ」
「それにヤツは喧嘩っ早い・・・・・」
「アンドレは?」
「父親も母親も亡くなっていて、その点ではいいのですが・・・・」
「気だても優しいですし、働き者ですぞ」
「それに、裏表のない男です。でも・・・・・」
「ならば、花婿にぴったりではないか?」
「ですが・・・・・」
何人かが顔を見合わせる。
「なにか問題があるのかね?」
「はあ・・・・じつは・・・・・ひどい女嫌いでして・・・」
村長はじめ、全員が頭を抱えてしまった。
だが、王様の命令では仕方ない。まだ、候補の段階なのだからと、相談の結果、
アンドレを村の候補にあげることとした。
きっと、他の町や村からすばらしい候補が出てくるに違いないと思って。



そんなこととは知らないアンドレ。
今日も、畑仕事を終えて夕飯の支度に取りかかっていた。
一人暮らしが長いので、てきぱきと料理をしてしまう。
たいして時間もかけずに食べ終わると、さっと片づけ、コーヒーをいれた。
「あすも天気は変わりそうにないか・・・・」
窓から空を見上げると、満天の星が輝いている。
「そろそろ一雨来ないと、作物がやられてしまう」
ふと、視線を命の森に向けた。
星明かりの下、鬱蒼とした森が地平線を覆うように広がっている。
そこにだけは、水はあふれるほどに涌いているのだ。
水の精、水の女神たち・・・・
「この国にも、早く水の精を迎えないとな」
一人呟くと、窓を閉めて寝室へと向かった。



水の精の城。
「オスカル、オスカル!」
「はい、母上」
いつにない母の興奮したような呼び声に、オスカルは何事かと部屋を出た。
「ここだったのね、オスカル、いよいよあなたの花嫁姿が見られるわ」
「え!?」
「さあ、こちらへ来てご覧なさい」
母はそう言って、庭の泉を指さした。
そこには、人間の城の一部屋が映し出されていた。
水の精は、水が繋がってさえいれば、なんでも見えるし、どこへでも行くことが
できる。声さえ、その場にいるように聞き取れるのだ。
また、命の森の泉で涌いた命の水なら、離れていても同じ役目が果たせた。
その部屋には、命の水が大きなガラス瓶にたっぷりと置いてあった。
「まったく、母上もお人が悪い。こんな力があると知ったら、人間は誰も命の水を
 ほしがりませんよ、きっと」
「ま、そんなことはありませんよ。いつまでたっても腐らないし、病人が飲むと
 元気になるし。ありがたがりさえすれ、いやがる者などいません」
「ほんとうによいご性格で・・・」
「・・・何か言いましたか?」
「いえ」
オスカルは注意を映し出された人々に向けた。気持ちを集中すれば、話し声も聞こえる。
「・・・それで、花婿候補は決まったのですかな?」
「いやいや、大臣殿、それがなかなか」
「何しろ、心の美しさがもっとも重要だというのですから、困ってしまいます」
「ほんとうに・・・・姿形とか財産でと言うのなら、すぐに決められるのですが」
顔を見合わせ、ため息をついているようだ。
「それに、今度の水の精はかなり気むずかしい方だとか」
オスカルのこめかみがピクリと反応する。
「ほお、どのように?」
「なんでも、際だって美しいが、男嫌いとか・・・」
「では、ひょっとしてお相手は女の方がいいのだろうか?」
「なにぃ!!このオスカル様がレズだとでもいうのかっ!?」
思わずキレて泉に向かって怒鳴ってしまった。
すると、怒りの波動を受け、ガラスの大瓶に入った命の水が噴水のように溢れかえり、
部屋にいる者たちはみんな水浸しになってしまった。
「まあ、オスカル、せっかくの現場生中継だったのに・・・・・」
「母上! もう、このようなのぞき趣味はおやめください! 
 わたしは絶対に嫁になど行きませんから!!」
そう言い捨てると、足音も高く去ってしまった。
そんな末娘の姿を見て、
「まったくあの子は誰に似たんでしょ? 美しさはわたしに似たのでしょうけど、
 性格がねぇ・・・・・」
と嘆く母であった。



「ええっ!? お、俺がデスか??」
「ああ、アンドレ、おまえが水の精の花婿候補だ」
あまりのことにあんぐり開けた口を閉じることができない。
「な、な、なんで俺なんかが・・・・」
じ、地獄だ・・・・・ミイラのようにひからびた自分が濁流に流されていくシーンが
頭に浮かび、くらっと目眩が襲ってきた。
「この村の中では、一番適役だということでな。まだ、決定したわけではない。
 国中から候補が集まって、最後に一人に絞られるのだから」
ちょっと安心した。
「何人くらい集まるんですか?」
「前の時は7人だったかな、長老」
「ふむ、たしかそのくらいじゃ。今回も同じくらいじゃろうて」
それなら俺は大丈夫だ。
それに、俺は絶対に水の精の花婿などにはならない。
いや、なれないのだ。
なぜなら俺には心に決めた女性がいるのだから。