水の心 4


開いた口がふさがらないという状態を、アンドレは心の底から味わっていた・・・・・
「どこをどう押したらそういう結論になるんだ?」
ついさっき、国王直々という使者たちが来て、おごそかに「水の精の花婿として命の森へ行くように」と
告げられたのだった。
あまりのことに酒瓶を抱えて、ついでに頭も抱えてボ〜〜〜ッとするばかりである。
そこに、明らかにおもしろがっている男の声がした
「いよぉ!! この色男! ついに天国へ出発か!?」
「アラン・・・・・おまえ、いっぺん死んでみるか?」
じろりと睨み、地を這うような声で応えると、
「おお、いいぞ! ただし、剣か銃でひと思いにやってくれ! ミイラはいやだぜ」
そう言って、笑いながら背中をバシバシ叩かれた。
・・・・・・脱力感にぐったりとなる・・・・・
「いい酒飲んでるなぁ?」
「・・・・・・国王様からのくださりものだ・・・」
「あっちにいっぱい積んである荷物もそうか?」
「ああ・・・・・服やらなんやら・・・・
 おまえ、俺にレースひらひらの服なんぞ似合うと思うか?」
「ふむ、確実に似合わない!」
いそいそとグラスに酒をつぎながらの即答。
「・・・・・・久しぶりに意見があったな・・・」
うまそうに酒を飲み、アランはしょせん他人事と気楽なものである。
「しかし、なんでおまえに決まったんだ?」
「雨だ」
「へ?」
「この間のにわか雨は、この村にだけしか降らなかったそうだ。
 だから、この村に住んでいる俺が水の精に選ばれた花婿というわけ・・・・」
「うむ。そう言われると、まあ、説得力が無いわけでもないな。
 まあ、これも世のため人のためだ。だめでもともとだからがんばれ! 墓は俺がつくってやる」
「アラン〜〜〜〜、頼むからおまえまで俺を見捨てないでくれ〜〜〜!!!」



「母上〜〜〜〜、お願いですからわたしを見捨てないでください〜〜〜!!!」
「なにを情けない! この母が、いつ、可愛い娘のあなたを見捨てると言いましたか?」
「けれど・・・・」
「ブルボン国では、もう花婿が決定されました。
 あとは、その男性が『水の心』の持ち主かどうかを見定めるだけです」
「でも・・・・」
「おまえもちゃんとして迎えねばなりませんよ」
「し、しかしですねぇ・・・・」
「ああ、これでやっと娘たちをみんな嫁がせることができるかもしれないわ・・・」
「あの・・・・」
「そうそう、泉をのぞいて、お城の様子を見ておかなくては! 忙しいこと!」
「は、母上・・・・」
るんるんした足取りで歩いていってしまった。
娘の言葉なんかちっとも聞いてはいない母だった。
「・・・・・わたしはもう見捨てられてるんだ・・・・」
ぐったりと脱力したオスカルは、とぼとぼと自室に向かった。
「だいたい、水の精に生まれたからと言って、どうして結婚を強制されなくてはいけないのだ?
 これは立派なセクハラではないか!」
ぶつぶつ言っても仕方ない。
オスカルも、心の中では嫁いだ姉たちの幸せな様子を羨ましいと思っているのだ。
夫と交わす温かな眼差し、満ちたりた笑顔、見ただけで意識に流れ込んでくる「愛」の感情。
だが、自分が勝手に決められた相手とそんな関係になれるなど、オスカルにはどうしても
思えなかった・・・・・・



「では、アンドレ・グランディエくん、健闘を祈る」
使者たちや村長はじめ村のほとんど全員が見守る中、アンドレはいよいよ「命の森」へと
入っていくことになった。
アンドレは憮然とした表情で軽く会釈をすると、すたすたと森の入り口に向かっていった。
王様から下賜されたきらきらの服ではなく、普段着で。
目的は一つ・・・・・・国のために水の精を花嫁として連れ帰ること。
アンドレの姿が森の中へ吸い込まれるように消えたとき、人々は森の木々がいっせいに
打ち震えるのを見た。
ある者は、森が怒ったように感じた。
ある者は、森が悦びに震えたように感じた。



昼だというのに薄暗い森の中をアンドレは歩いていた。
どこというあてもなく、ただ、奥へ奥へと足を進めていく。
みっしりとした枝や葉がつくった天上は、太陽の光を通さない。
道とも言えないほどの道には、湿り気をふくんだ落ち葉が敷き詰められていて、
木の根が絡み合いながら横たわっている。
歩きにくいこと、この上ない。
もう、かれこれ一時間以上は歩いているというのに、周りの景色は少しもかわらない。
おまけに、霧が出てきた。
「くっそお〜、なんで俺がこんな目に・・・!!
 だいたい、俺なんかが花婿に選ばれるわけないし、それに、俺にだっていちおう
 心に決めた相手がいるんだからな!
 ミイラにするんなら、こんなに疲れさせないで早いとこやってくれよ・・」
ぶつぶつ言いながら前方を見通すと、ひときわ大きな二本の木が立っているのが見えた。
「あれ? あの双子みたいな木って、さっきも見たような気が・・・・」
そのときは右の方へ行ってみたが、今度は左へと進路を取った。
そして、さらに一時間近くが立ち、そろそろ一休みと思っていたら。
「また、あの双子の木だ!!」
力が抜けて、ちょうどいい具合に張り出していた太い根っこに腰を下ろす。
大きくため息をつくと、
「俺は、いったい何をしてるんだろう・・・・」
我が身の情けなさに、つい文句が出てしまう。
「そういえば、おふくろが死んだとき、これと似たようなことがあったっけ・・・・」



母親は、自分がなにやら質の悪い病気にかかったらしいと感づいていた。
だが、まだやっと8歳になったばかりの一人息子に心配をかけまいと、必死で元気な振りを装っていた。
全身のむくみがひどくなり、ぐったりとした動作で、それでもなんとか仕事をしようとする。
村の親切な人たちがみかねて、医者を呼んでくれた。
診察を終えた医者は、村人の誰かと部屋でしゃべっていた。
「腎臓を煩っているようです。残念ながら手の施しようがありません。
 疲れないようにすること、塩分を避けること、これくらいしか命を延ばす手段はないのです」
「そんな、アンドレはまだあんなに幼いんですよ!」
開け放たれた窓から、庭で遊んでいるように言われたアンドレの耳に自分の名前が聞こえた。
「お薬はないんですか?」
「残念ながら・・・・・だが、あれが手に入れば・・・・」
「あれって・・・・ああ、命の水ですか?」
「そうです。命の水を飲めば、ひょっとして治るかもしれない」
「でも、その水は命の森の中にしか涌いていないのでしょう?」
「ええ。あと、王様は持っていらっしゃるという話ですが・・・・」
最後まで聞かずに、アンドレは駆けだしていた。
大好きな母親を救いたい!
その一念だけで後先を考えず、命の森に向かった。
「そこの水を飲ませれば、母さんは助かるんだ! 
 あんなに苦しそうな顔をしなくてすむんだ!」
命の森は、今日と同じ姿で幼いアンドレを飲み込んだのだった・・・・・