水の心 5
真っ暗だ・・・・・
アンドレは泣きながら歩いていた。
『こわい、コワイ、怖い!!』
でも、命の水をどうしても手に入れたい!
大好きな母さんのために!
しめった枯れ草の中に足が踝まで沈み込むため、疲れがひどい。
「母さんが死んじゃうなんてイヤだ!」
その一念だけで、必死になって歩き続けた。
どれくらい時間がたったのだろう?
ふと気がつくと、遠くからかすかに笑い声と話し声がする。
アンドレは、『助かった!』と思い、必死で声の聞こえてくる方に向かった。
誰か、人がいるんだ!
その人に聞けば、命の水がどこにあるか、きっと教えてくれる!
声を頼りにひときわ深い灌木の間を抜けると、いきなり視界が開けた。
「泉だ!」
木漏れ日が差し込む泉は、鬱蒼とした森の中だということがうそのように明るく平和な雰囲気だった。
そこで、5人の綺麗な少女が水浴びをしている。
大きな樹の陰に隠れて、そっと伺い見る。
薄衣をまとっただけのその姿は、アンドレが想像もしたことがないほど美しかった。
ほんとうにキラキラ輝いていたのだ。
「・・・・・水の・・・精?」
幼いながらも水の精については聞いて知っている。
「こんなに綺麗な女の人がいるなんて・・・・」
思わず一歩踏みだし、泉に足が入った。
そのとたん!
水の精たちはアンドレの存在に気がついた。
「誰?」
「人間よ」
「人間の子ども!?」
「どうしてこんなところまで・・・」
「森がこの子を通すなんて?」
泉の水がざわざわと波立つ。
アンドレは、その異様な雰囲気に立ちすくんだ。
「哀しいの?」
「不安と・・・、恐れ」
「わたしたちが綺麗だって・・」
「ああ・・・哀しいのね・・・とても」
「・・・・・・驚き」
つぎつぎと自分の気持ちを言い当てられて、あまりのことに声も出ない。
「この子は・・・・・綺麗よ」
「ええ、ほんとうに・・・・・綺麗な子・・・」
5人は水の上をすべるようにアンドレに近づいてきた。
くすくすと笑いながらのぞき込まれて、頬に血が上る。
「坊や、だめよ、こんな所に来ては・・・」
「そうよ、早くお帰りなさいな」
「あなたは綺麗だから命の森に赦されたのよ」
「さ、おいきなさい」
「帰り道は水が教えてくれるから」
すると、不思議なことに枯れ草の中から水が涌きだし、一筋の流れができた。
思わずその流れを目で追った。
「わたしたちのことは誰にも言ってはだめよ」
囁くようなその声にあわてて振り返ると、もう、誰もいなかった。
今のは、夢だったのだろうか?
しかし、泉は目の前に確かにある。
「これが・・・・・命の水なんだろうか?」
透き通ってしんと冷たい泉に手を触れて、アンドレは自分の迂闊さを呪った。
水を汲むための容器を、何も持って来なかったのだ。
「せっかく、せっかく泉を見つけたのに・・・・母さん、母さん!!」
ポロポロと頬を涙が流れた。
哀しくて・・・・・哀しくて・・・・・
ぽつん、ぽつんと泉の中に涙の滴が落ちていく。
「母さん、死んじゃあダメだ・・・・・母さん・・・」
「何を泣いてるんだ?」
突然後ろから声を掛けられた。
あわててごしごしと涙をぬぐって振り向いた。
そこには、じぶんと同じくらいの子どもが立っていた。
「おまえ、誰?」
不思議そうにまじまじと見つめられ、頬が赤くなる。
「・・・・村から来たんだ・・・命の水を探しに・・・」
「ふ〜〜ん」
「君こそだれ?」
「さあ? 知らない人にしゃべっちゃイケナイって言われてるんだ」
「僕の村の子じゃあないね。一度も見たことないもの」
「くくくっ・・・」
なにがおかしいのか、肩をふるわせて笑っている。
「な、なんだよ! 人のこと笑うなんて、失礼なヤツだな!」
声を荒げたアンドレに
「ごめん、ごめん。だって、涙でグショグショなのにいばってるから・・・」
「!!」
「さっき、すっごく哀しいって思ってなかった?」
「うっ・・・、ど、どうしてそんなこと言うんだよ・・」
「うん、なんて言うのかな・・・・・哀しいって想いが、ずんと押し寄せてくる気がしたんだ」
へんなヤツ。
アンドレは思った。
「なにがそんなに哀しいの? 元気ださなきゃ」
男の子なのか、女の子なのか、よくわからないけれど、とっても綺麗な子だ。
光るような金髪は柔らかそうで、色白の肌に頬だけがピンク色してる。
目は・・・・・ああ、目は澄みきった青空のようなブルーで・・・・・・
ぼうっと見とれていたら、
「それで、どうして命の水を探しているの?」
と聞かれ、正気に戻った。
「・・・・・だって、命の水があれば、どんな病気も治るんだろ?」
「ま、そう言われているけどね」
「ぼくの母さん、病気なんだ。だから・・・・・」
「・・・・・・そうか・・・・わかった!! 協力するよ!」
「え?」
「命の水は、水の精の城に涌いている泉の水なんだ。よし、持ってきてやる!」
「ほ、ほんとうに? 君にそんなことができるの?」
「任せておけって!」
ぶっきらぼうな物言いだったが、自分のために協力しようと言ってくれた相手に、
アンドレはじわっとこみ上げるものがあった。
「あ、ありがとう・・・」
「泣くなよ、男のくせに! さあ、行こうか・・・あ、でも、今はちょっとやばいかな?」
「やばいって、何が?」
「う〜〜〜ん、じつは、ナイショで家を出て来ててさ。見つかるとたいへんな目に遭う」
「たいへんな目って?」
「監禁」
「ええっ!?」
「うちの親、厳しくってさ。ちっとも自由に出歩かせてくれないんだ。
この森の中を歩くのが精一杯。でも、もっといろんなことが知りたいんだ!」
「うん、なんとなくわかるよ。でも、どうしてそんなにキビシイの?」
「あのね、ゆくゆくは、決められた人の花嫁にならなきゃいけないんだって。
だからさ」
「・・・・・・・・・女の子だったんだ・・・・」
思わず漏れたつぶやきに、ギロっと睨まれる。
「もしかして・・・・・男だと思ってたとか?」
「い、いや・・・・・はははは・・・」
「笑ってごまかすんじゃあない!!」
胸ぐら掴んで迫る迫力は、はっきり言って男並・・・・・
「こんなに女らしいわたしを、よくも、男だと思ってくれたな!」
どこが女らしいんだと思いつつ、逆らわないことにした。
「とっても綺麗だなあとは、思ったよ。でも、もうお婿さんが決まってるの?」
そのとたん、がっくりと力が抜けたようだ。
「・・・・・・まだ、誰とはわからないんだけど・・・・
でも、いつかは誰かが迎えに来るんだって・・・」
「よく、わかんないんだけど・・・・・」
「そうだよね。
わたしの家は、ちょっとかわってるんだ。
生まれた娘がお嫁に行かないと、たくさんの人が困るんだって・・・・・
だから、いつも女らしくしなさいとか、そんなことはしていけませんとか、すっごく厳しいんだ。
ちゃんと、立派な花嫁になれるようにって・・・・・」
そのしょんぼりとした表情が、ずきんと胸に来た。
「じゃあ、僕が迎えにきてあげるよ!」
思わず口にしていた。
「え?」
「僕が君を花嫁にする!!」
「はあ??」
「僕は、どんな君でもいいよ。だから、無理して女らしくしなくてもいいんだ」
「な、なに言ってるんだ! いきなりそんなこと言われても・・・・・」
「だって、君、僕にやさしくしてくれたじゃないか」
「それは、君があんまり哀しそうだったから、思わず・・・」
アンドレはにっこり笑って言った。
「心がやさしいんだよ、君って。だから、僕のお嫁さんになってほしいんだ」
言われた方は、あんぐり口を開けたまま硬直・・・・・・
「それに、君って、さっき見かけた水の精と同じくらい、ううん、それよりきっと美人になるよ」
「あ、あんなのと一緒にしないでくれ!」
「そんなこと言ったら、罰が当たるよ。水の精は、僕たちの国にたいせつな水をくれるんだから」
「ふん! だから水の精を敬えって? そんなのへんだ」
「そうかなあ?」
アンドレの周りにいる大人たちは、みんなそう教えてくれたのに。
この子は違う国の子なんだろうか?
「そうだよ。だって水の精本人がえらいわけじゃないんだ・・・」
と、そのとき、いきなり雷が鳴り、バケツをひっくり返したような雨が降ってきた。
「うわーーーっ!!」
「きゃぁ!!」
あわてて二人で樹の下に走り込んだ。
「うーーー、これは本格的に怒ってるな・・・」
呟きを耳にしたアンドレは訊いた。
「誰が怒ってるの?」
「それはもちろん、はは・・・じゃない、命の森だよ」
「この森が?」
「う、うん。この森は水の精を守っているから、悪口を言われて怒ったのかも」
「へえ〜〜〜、君って物知りなんだね」
尊敬するようにじっと眺めると、頬が赤く染まった。
その様子が可愛くて、思わず頬に口づけをしてしまった。
「な、なにを!!」
「未来の花嫁さんに、約束のキス」
顔中が赤くなった。
「ば、ばか! わたしは、まだ、そんな約束していないんだからな!」
そう叫ぶと、止める間もなく雨の中に駆けだしていって・・・・・あっという間に姿が消えていた。
結局、母は助からなかった。
大雨の中、戻らない息子を心配して、村人の止めるのもきかずにアンドレを探し回り、
それがもとで風邪をひいた。
弱っている体はひとたまりもなく・・・・・息を引き取った。
アンドレは泣いた。
涙が涸れるほど泣いた。
自分が無茶をしなければ、母親はもっと生きられたのに・・・・・
命の森なんかに行かず、母の側にいればよかった・・・・・
自分がたまらなく嫌いになった。
しばらくは親戚の家に世話になったが、一人で暮らせるようになると、すぐに家に戻ってきた。
アンドレはつらかった日々を思い出して、ほうっとため息をついた。
少女と出会ったことだけが、唯一、温もりを感じさせてくれるあの頃。
「あれは、いったい現実にあったことなのか、夢だったのか・・・・・・」
自分がこんなに思い詰める性格だとは思わなかった。
そのとき一度会っただけの、名も知らない少女に恋してしまったのだから。
どんな女性とつきあってみても、心はいつも彼女の面影を追っている。
そんな不誠実な気持ちではだめだと思うため、ついつい女性を遠ざけてしまうのだ。
「だから、きっと水の精にもいやがられるはずさ」