水の心 6
「オスカル、ほら、彼があなたの花婿らしいわよ・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「ちゃんとご覧なさい」
「見ました」
「それで?」
「べつに・・・・・」
「まったくもう、この子ったら・・・」
泉に映ったアンドレの姿を眺めながら、オスカルは不機嫌を隠せなかった。
母親だけは、無責任に喜んでいるらしい。なにしろ、ロマンチック大好きという人なのだ。
「あなたの姉たちは、みんな頬を染めたり、胸をときめかしたりしたのにねぇ・・・」
わざとらしくため息をついて自分を見上げる母親に、
「わたしはどうせ、女らしくありません! 」
ふてくされたように言うと、ふんっとばかりに余所を向いた。
そのとき、頭の中で
『どんな君でもいいよ・・・』
という声がした。
いつの頃からか、時折、聞こえてくる声。
胸がちくんとする。
誰に、いつ、言われたのかもわからないのだけれど・・・・・
「そう言われたいと願っているから、空耳が聞こえるだけなのかも・・・」
考え込んでいる娘に、母は
「どうしたの?」
とやさしくきいた。
「あ、いえ、なんでもありません」
「まあ、ともかく森が彼を排除していないだけでも花婿になる可能性は高いわ。
あなたがイヤでなければ、彼がどんな心の持ち主か、水に確かめてもらいますよ?」
「ご勝手にどうぞ!」
「水が赦せば、あなたは彼の花嫁になるのですよ」
「・・・・・・ご勝手に!」
と、そこにばたばたと盛大に足音を響かせてやってきたのは・・・・
「おかあさま〜、オスカルの花婿がやってきたんですって?」
「見せて見せて〜!!」
「あ、姉上!?」
5人の姉たちであった。
「ど、どうなさったのです?」
「まあ、何を言ってるの、みずくさい!」
水の精にみずくさいというのも何かへんなのだが・・・・・
「そうよ、かわいい妹のあなたが心配で来たのに」
「ね〜〜〜ぇ」
「わたしたちのかわいいオスカルが、どんな人の花嫁になるのか、気が気でないのよ」
「姉上・・・・顔がにやけています・・・」
「あ、あら・・・そんなことないわよ」
母はうれしそうに泉を指さしていった。
「さあさあ、お前たち見てやって。この男性よ、オスカルを迎えに来たのは」
「きゃ〜〜〜! なかなかいい男じゃない!」
「ほんと! 好みよ、わたし!」
「そうでしょう?」
「もう、お母さまったら面食いなんだから〜〜〜」
「ほほほ、アナタほどではありませんよ」
「それにやさしそうよね」
「胸なんかも広くて、抱きしめられたいってカンジ?」
「うん、腕もたくましいし、ステキ!」
目眩がしてきたオスカルは、諭すように言った。
「母上、姉上・・・・・、水の精としての品位はどうなさったのです?
とくに姉上たちは、夫のある身ではありませんか!?
国を守る水の精として、国中の尊敬を集めておられるんでしょう!?」
「まあ、オスカル、だからじゃないの!」
「は?」
「人間の元に嫁いでからは、周りの人間たちが望む姿でいようと、いつも気を張っていなければ
ならないのよ」
「そうそう、わたしたちがどこかに行くとニュースになるし、ちょっと夫と口げんかをしただけで
ワイドショーのレポーターがやってくるし」
「はあ・・・」
「この間なんか、子どもがおいたをしたので叱ったら、どうなったと思う? 明くる日の新聞に
水の精怒る! この国の終わりは近い?なーんて三段ブチ抜きで一面トップの記事にされちゃったわ」
「ほんとほんと、あるわよね〜、そういうこと!」
きゃあきゃあ騒ぐ姉たちに、オスカルはますます目眩がひどくなってきた。
「だからね、オスカル、わたしたちが本当にくつろげるのは、この命の森と城の中だけなの」
「お母さまがわたしたちを厳しく躾けられたのは、そういう人間の目に耐えるためなのよ」
「それなら、わたしは人間の花嫁なんかになりません!」
「あら〜〜、あなたったら、わたしたちの誰よりも早くプロポーズされたくせに・・」
「これっ!!」
母があわてて姉の言葉を止めたが、もう遅かった。
「なんのことです?」
「オスカル・・・・・おまえ、目が据わっていますよ」
「目つきの悪いのは生まれつきです! 母上、ごまかさずにおっしゃってください!
わたしがプロポーズされたとは??」
「え、まあ、その・・・・・あ、おまえの花婿殿が立ち上がって歩き始めましたよ」
「母上〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!!」
「・・・・・・・・・・話します。部屋に入りましょう」
幼い頃から利発で好奇心旺盛だったオスカルは、姉たちの子ども扱いに反発して、ことさら
ぶっきらぼうな物言いをしていた。
そして、母の言いつけをきかず、しょっちゅう城を抜け出しては、森の中で遊んでいたのだった。
さずがに人間の住むところまで行く勇気はなかったが、木々の間から村の方を伺ったり、
命の森の側を通りかかる村人の様子を見ては楽しんでいた。
そんなある日、森の奥深く、人間を見かけたことのない場所で一人の男の子と会ったのだった。
「あなたは、わたしが怒りの雨を降らせたので、あわてて城に戻ってきました。真っ赤な顔をして」
姉たちも口々に言った。
「あのときのあなたは、いつものオスカルらしくなかったわね」
「ほんと、すごく可愛くって、女の子らしかったわ」
「何にも言わずに部屋にこもっちゃうし・・・・・」
そして、母親は隠れるようにして命の水を汲んでいるオスカルを見つけ、どうしたのか尋ねたのだった。
命の水は、めったなことでは森の外に持ち出してはいけないのだ。唯一、娘を嫁がせるときに、その国の王に
国を守る約束の印として授けるだけである。
いつもは、はきはきと返答する娘が口ごもるのを見て、母親は特別なことがあったらしいと気がついた。
黙ってオスカルの手を握ると、そのまま泉に浸す。
すると、泉はオスカルが森で会った男の子と交わした話や動作をその水面に映しだした。
「なるほど・・・・・・」
「は、母上」
顔を真っ赤にして恥ずかしがる娘に、母親は困った。
どうやらこの子は、あの約束をいやがっているのではないらしい。
そうすると、いつか人間の元に嫁ぐときそれが枷になって、夫となるべき男性を心から愛せなく
なるのではないか?
もし、あの男の子が運命の決めた相手なら、きっといつか結ばれるべくして結ばれるだろう・・・・・
この辺は、根っからのロマンティストである母の願望と言えなくもないのだが。
というわけで、母は娘の記憶に封をし、男の子の住むブルボン国にはオスカルを花嫁に出そうと決心したのだった。
話を聞き終わったオスカルは、がっくり肩を落とした・・・・・
「何回きいても、なんて、ロマンティックなんでしょう・・・」
姉たちは瞳をキラキラ輝かせている。
「でもね、オスカル、あの子はほんとうに綺麗だったのよ」
「そうよ、あの男の子は水の心の持ち主だったわ」
「あのまま成長していれば、文句なしの花婿よね〜〜〜」
「そうそう、黒い髪に黒い瞳、きっといい男になってるわよ!」
「あ、ちょっと、待って。今森にいる花婿候補も、黒髪ではなかった?」
思わずみんな顔を見合わせる。
オスカルもぎくっとして顔を上げた。
「きゃ〜〜〜〜〜!! すごいわ! これぞロマンスよ!! ね、お母さま!」
オスカルを除く全員が盛り上がっていた。
「もう、けっこうです!!」
バシイーーーーーーーーィン!!
扉を叩きつけるように閉めると、足音も高く庭に出た。
もう、こんな茶番はこりごりだ!
たとえ母親といえど人の思い出を奪っていいはずがない。
第一、よく知りもしない男性に嫁ぐ気などさらさらなかった。
森に来ている花婿候補とやらにも、はっきり自分の口から断ってやる!!
それが、自分を捜してもう何時間も森の中を歩き回っている相手へかける、ただ一つの情けだ。
アンドレは、ふいに雨が降ってきたことに気がついた。
「やあ、降ってきたな・・・・」
その雨は、どこか遠慮がちにしとしとと彼の全身に降り注いでいた。