水の心 7


「どこかで雨宿りをしないと、身体が冷えてしまう」
疲れ切った身体は、それでなくとも体力が落ちている。
アンドレは、大樹のぽっかり空いたうろの中に身体を潜り込ませて座り込んだ。
もっていた水筒から、一口ブランデーを喉に流し込む。
アランが持たせてくれたものだ。
「いったいぜんたい、俺は何をしてるんだろうな・・・・・」
思わず大きなため息をついてしまった。
「水の精なんて、ほんとうにいるんだろうか?」
独り言を呟く。
大の男がうろうろと、顔も知らない花嫁を捜して薄暗い森の中を歩き回っているなんて、
冷静に考えれば馬鹿馬鹿しいだけの話だ。
しかも、相手は人間じゃないと来ている。
目を瞑って樹にもたれかかる。
じっとしていると、樹の鼓動が聞こえるような錯覚に陥る。
しとしと降り続く雨は、森に吸い込まれているようだ。
いや、森が雨に吸い込まれているのか・・・?
葉が喜びの歌を歌っているのが聞こえる。
枝も歌いながら踊る。
命の水だ、命の元だと・・・・・
水は木々をかすめ、大地に降り注ぐ。
敷き詰められた落ち葉の間をかいくぐり、地面に忍び込む。
そして、根を潤すのだ。
さあ、わたしを中に入れて・・・・・わたしをつかまえて・・・・・
わたしがあなたの命の元となるように・・・・・
それが水の喜び、水の心・・・・・



「えっ?」
はじかれたように目を開けて起きあがった。
「・・・・・俺は今、何を考えてたんだ?」
みると、しばらく眠っていたものか、樹のうろから出ている膝から下はぐっしょりと
濡れすぼみ、つま先は水たまりの中に浸かっていた。
「うわ、冷たい!」
あわてて立ち上がったはずみで、うろの端に思いっきり頭をぶつけてしまった。
「痛っ!!」
目から火花が散った。
う〜〜〜っとうなりながら頭を抱えていたら、なにやら笑い声がする。
気のせいかと涙のにじむ目をあげると、一人の女性が立っていた。
透き通るような白い顔に黄金の髪が豊かに揺れている。
鼻筋の通った、意志の強そうな顔立ちは、ふっくらとした唇でその印象を柔らげていた。
頬は絵の具をにじませたような薔薇色、そして、微笑むように細められた瞳は青空のブルー。
ほっそりとした肢体を、アンドレが見たこともない薄衣の衣装に包んでいる。
この世のものと思えないその美しさに、息をするのも忘れてしまう。
「きみは?」
「・・・・・・わたしがお捜しの水の精だ」
「きみが・・・!!」
驚きと喜びで身体が震えた。
大人たちが言っていた。
水の精こそ、全ての男性の理想の女性であると。
一点の非もない美貌、心の優しさ、そして女らしい仕草・・・・・
「まったく、わが花婿候補どのとやらは、あまり冷静な質ではないらしいと見える」
腕組みをして、からかうように高飛車に言うその態度。
『こ、これのどこが優しくて女らしいんだぁっ!?』
恥ずかしいところを見られたくやしさも手伝って、思わずムカッとしてしまう。
「怒ったのか? それは失礼」
ちっとも失礼なんて思ってない口調で謝られても、素直に頷けない。
アンドレも、不機嫌な表情のままぶっきらぼうな口をきいてしまう。
「ほんとうにおまえが水の精なのか?」
おまえ呼ばわりをされて、オスカルもかちんときた。
いちおう、水の精としてのプライドがある。
オスカルの予定では、自分を見たとたんに感激した花婿候補が、
「あなたが水の精さまなんですね! なんて美しいんだ!(まあ、このへんの誉め言葉はなんでもいいのだが・・・)
 ぜひ、わたしの花嫁になってください!」
と涙を流し、跪き、祈るようにして頼むのを、
「わたしにはその気はありません。さあ、お国にお帰りなさい」
と、優雅に断って帰してやる・・・・・・はずだったのである。
それが、目の前にいるこの男はなんだ!?
自分を見てもうっとりともしないばかりか、いきなり「おまえ」ときた!
花嫁になる気は全然ないが、わたしの女性としての魅力に気づかないなんて腹が立つ!・・・・と、ちょっと
矛盾した怒りが涌いてくる。
なにしろ、アンドレが息の止まるほどうとっりしたのには気がつかなかったんだから、仕方ない・・・・・
「ああ、そうだ。おまえはわたしを捜していたのだろう?」
売り言葉に買い言葉的な会話が始まってしまった。
「まあな。王様の命令だったから・・・・・」
「なにぃ! おまえは、自分から望んできたのではなく、いやいや来たというのか!?」
「ああ、悪いけれど、俺は水の精とやらの花婿にはなりたくなかったんだ」
ガーーーーーーーーン!!!!!
オスカル、水の精と生まれてこの方、初めて味わう大ショック!!!
5人の姉たちは、望まれて、恋されて、溢れるような愛に包まれた花嫁としてこの森を出ていった。
だから、当然自分も・・・・・と考えていたのだ。
「だ、だったら、なぜこんな所にいるんだ!?」
「言っただろう? 王様の命令には逆らえないんだ」
「って、おまえ、なんて優柔不断なヤツなんだ!」
「仕方ないさ、人間なんだから・・・」
「どうして人間ってのは、仕方ないなんて言うんだ!? 自分のことくらい、自分で決めたらいいじゃないか!」
「悪かったな! 人間はお互いに助け合わなきゃ生きていけないし、社会のルールの中で暮らしてるんだ!
 おまえみたいに霞かなにか食って、森に囲まれてのんびり暮らしていられる水の精にわかるわけないだろう」
「なんだとぉ! それはわたしたちに対する侮辱だ!」
「ほんとうのこと言われたからそんなに怒るんじゃないのか?」
バチバチバチッ!!
見つめ合う・・・じゃない、睨み合う二人には、ロマンチックなんて言葉は少しも似合わない。



二人の様子を、泉の水鏡で見ていた母と姉たちは、思わぬ展開に大慌てどころか、大喜び。
「きゃ〜〜〜っ、おもしろい〜」
「やれやれ、オスカル、もっと言ってやんなさい!」
「水の精代表として、負けたら承知しないわよ!」
すっかり妹の応援団と化している。
「ふ〜〜、こんな風変わりな出会いは初めてですよ」
さすが強者の母もあきれ顔を隠せない。
「でも、お母様。オスカルがあんなにムキになるところ、わたし初めてみましたわ」
「ほんと! わたしたちがオスカルをからかっても、冷めた目で見ていたものね」
「これからどうなるのかしら?」
「ちゃんと、可愛い妹のことを見てあげなくては」
ワクワク気分で水鏡をのぞいているのだった・・・・・



「だいたい、人間なんてものは、自分勝手でわがままで傍若無人で・・・」
「人間として暮らしたわけでもないのに、勝手に決めつける方がよっぽど傍若無人だ」
「な、なんだとぉ!!」
まだ、言い合っている。
オスカルは、ふいににやりと笑うと、最後のとどめとばかりに言い放った。
「では、人間として暮らしてやる!」
「え?」
「さ、早く行こう!」
「・・・・・・」
アンドレ、硬直したように動けない。
「どうした? 一緒に行ってやると言うんだ、なにを固まっている?」
「おまえ、それどういう意味かわかっているのか」
「あたりまえだ、一緒におまえの国に行って人間として暮らす・・・・・あっ!!」
やっとその意味に気づいたとたん、オスカルは真っ赤になった。
「ば・・・ばかっ! そんなつもりで言ったんじゃないからな!」


ピキン・・・・・
アンドレの頭の中で、一瞬フラッシュバックする面影。
頬を赤く染めて怒鳴る少女。
金髪で、青い目をして・・・・・


「なあ・・・・・」
「な、なんだ!?」
「俺たち、前にも会っていないか?」
「!?」
「なんだか、今、おまえが俺の捜している人に見えたんだ・・・」
「なにをバカなこと言ってるんだ? わたしはおまえが捜している水の精なんだから・・・」
「いや、そうじゃなくって、俺が言ったのは、花嫁にしたい人のことで・・・」
「だから、おまえは水の精のわたしを花嫁にしたいんだろう?」
「あーー!! 違うったら!!」
いきなり大声で怒鳴ったので、さっきうろの端にぶつけた頭の傷にびくんと響いた。
「あ、痛いっ!」
頭を押さえて蹲ってしまった。
「どうした? 大丈夫か?」
オスカルもさすがに心配になって駆け寄る。
上から見ると、黒い髪に隠れてよくわからないが、どうやら出血しているようだ。
「ばかだな、こんな怪我をしてるのに。歩けるか?」
「ああ・・・・・大丈夫だ」
「じゃあ、こっちに来い。すぐ先に泉があるから、そこで手当をしよう」
「うん・・・」
後についていくと、ひときわ深い茂みの向こうにきれいな泉があった。
オスカルはアンドレを座らせると、袖口を破って泉に浸し、アンドレの傷をぬぐった。
みるみる赤く染まる布に、
「ほら、おもったより出血しているぞ」
心配そうに言うと、しゃがんでアンドレの顔をのぞき込む。
「・・・・・おまえ、優しいな」
「なんだ、さっきは人のことを男相手のように怒鳴りとばしたくせに」
「・・・怒鳴ったりしてすまなかった」
「そんなに素直に謝られると気味が悪いぞ!」
じっと黒い瞳に見つめられて、また頬が赤くなるのがわかった。
思わず顔を背けると、ふいに大きな手で顎をつかまれ、頬に口づけされた。
あわてて手を払いのけ、立ち上がった。
が、逃げようとしたオスカルの腕を掴んでアンドレはなおもじっと見つめている。
「な、何をする!?」
「俺の花嫁に、約束のキス」
「・・・・・なんだって?」
「迎えに来たよ。やっぱりおまえが俺の花嫁だ」