月世界より 1


ここは衛星都市B−R16。
月と同じ軌道上に地球を挟んで浮かんでいる、巨大な人工衛星である。
人類はその科学力により、地球以外の惑星にも移住を可能としていた。
最初の移住地である月には、すでに8世代目の子孫が誕生しているほどだ。
次が火星。そして金星、やや遅れて木星の衛星であるガリレオと入植が続く。
今では太陽系以外にまで入植に適した惑星を探し、光速で航行できる辺境宇宙捜索船が
数え切れないほど各地の基地から出発している。
それらの中で、ここ120年ほどの間に成果をあげて帰還した船数は両手の指で足りるのだが・・・


さて、B−R16は地球連邦内で最高学府とされている衛星大学を擁しており、
その権威は連邦内各地で活躍する卒業生の優秀さによって裏付けされている。
人種、出身地等は入学になんら影響を及ぼさず、当人の能力、適正にのみ重きを置くという公平さは、
入学希望者の多さ、試験の難易度とともによく知られていた。
ありとあらゆる学部・学科をそろえ、設備や教授陣の人材も充実しており、各研究室ごとに行われる
研究発表会の様子は、毎回地球連邦の隅々までもれなく配信される。
この大学を卒業した者は、ありとあらゆる場で望みのポストを得られる特権を手にできるのだった。


「おい、あのラボ(研究室)かわってるな」
入学して二ヶ月、そろそろ衛星大学に慣れてきて、いろいろ見て回ろうかという余裕も出てくる頃だ。
アラン・ド・ソワソン・ラ・マルス、彼は火星出身者で衛星大学のパイロット養成コースに通っている。
正式な学生ではなく、二年という短期間での実技中心コース研修生である。
「うん? どれだ」
こたえるのはジャン・ラサール・ラ・ヴィヌス、金星出身者の彼もアランと同様の研修生。
衛星都市の空はいつも星空である。
青空の広がる地球(テラ)、ピンクがかった空の火星(マルス)、厚い雲の覆いをかぶった金星(ヴィヌス)
などさまざまな空を抱く各惑星から来た者は、まず、人工的に決められる昼と夜に慣れることから
B−R16での生活を始めるのだった。
衛星都市のほとんどは、その構造上いわゆる地下都市となっている。
したがって、星空の見える表面上にあるだけでもそのラボの特殊性が伺えるのだ。

「ほら、あそこだ。ドーム型をしたヤツ」
「ああ、あれか? めずらしいな、強化アクリルで作ってある。図鑑ソフトで見た温室のようだ」
二人はふらふらと歩み寄っていった。
どうやらほんとうに温室のようだ、と気づいた。
アクリル越しに見える中には、植物らしきものが所狭しと茂っている。
「へえ〜〜、初めて見るな、こんないっぱいの植物」
「俺も初めてだ。本物かね、これは?」
「衛星大学のラボだぜ? 偽物な訳ないだろう」
「中に入ってみたいな」
「ああ」
二人がそんなことを話しながら中を覗き込んでいると、さわさわと枝葉が揺れて人影が現れた。
「あいつがこのラボの主か?」
「さあ・・・・・見たところ、俺たちとそう違わない年格好のようだぜ」
黒っぽい髪で背の高いその男は、アラン達に気づかず、また植物の中に溶け込むように入り込んで
しまった。
その髪が、人工太陽の光を受けて碧色に輝くのを見た二人は、思わず顔を見合わせた。
「今の髪の色は、まさか!?」
「あいつ、月生まれか?」


人類最初の地球外入植地、月。
取り立てて鉱物資源等を持たないその衛星は、増えすぎた人口の減少と、
本格的な惑星入植のための試金石とされた。
初期の入植者は、一部の特権階級を別として、過酷な環境と労働に耐えねばならなかった。
そして・・・・・
世代交代を繰り返すうち、月で生まれたルナンたちは、大きな特徴を持つようになる。
外見的には、碧の髪と瞳。
内面的には、非常にメンタルでデリケートな神経。
そして、ルナンを最も端的に特徴づけているのは、テレパス能力であった。
月のなにが人類をそう変えたのか。
地球の科学者達は、競って原因究明に乗り出した。
そこに月世界の、そしてルナンたちの、悲劇の歴史が幕を開けたのである・・・・・


「もう、純粋なルナンはいないって聞いたことがあるが」
「俺もだ。純粋なテラナン(地球人)より、ずっと少ないそうだ」
では、ラボの彼は?
アランとジャンは、もう一度姿が見られないかと中を伺ったが、誰の人影もあらわれなかった。