月世界より  10


衛星大学の中央に位置する広々としたカフェテリア。
円形のゆったりしたスペースは透明アクリルの壁に囲まれ、
吹き抜けになっている頭上には、いつも広大な宇宙空間が広がっている。
本格的な食事のできるダイニングスペース、軽いティーラウンジスペース、
そしてショップスペースに大きく分かれており、
各学部の教室やラボにデリバリーも行っている。
学生や教授達だけでなく、来訪者にとっても憩いの場であった。


オスカルはティーラウンジでショコラを飲みながらレポートを打っていた。
端末がテーブルごとにセットしてあるので、携帯用のPCさえあれば
いつでも自分の必要なデータの取り出しや作成が可能なのだ。
なかには、自分の部屋よりも大勢の人がいるところの方がよいアイデアが浮かぶと言って、
いつもここでレポートを書いている強者もいるらしい。
オスカルも、ふと思いついた考えをメモしようと軽い気持ちではじめたのだが、
いつのまにかずいぶんな時間が経っていたらしい。
「あの、こちら相席いいでしょうか?」
おそるおそるといったように話しかけられて、はっと気づく。
トレイにサンドイッチとコーヒーを乗せた若い女性が伺うように自分を見ていた。
空いていたはずのラウンジが、いつのまにかずいぶん込んできたようだ。
テーブルはすべて埋まっており、一人で座っているのは自分だけだった。
「もちろん。どうぞ」
女性は、ほっとしたようににっこり笑うと向かいのイスに腰を下ろした。
「すみません。
 ぶしつけかと思ったのですが、次の講義が始まるまでに
 食事をすませてしまわないといけなくて・・・」
「いえ、こちらこそ、こんなに込んできたと思わずにいたものだから」
長い金髪を軽く後ろで一つに束ねた彼女は、コーヒーにミルクを入れながら言った。
「だけど、ラッキーでした」
「え?」
「うふふ」
いたずらっぽく笑った。
「はじめまして。
 わたしは、栄養学を学んでいるロザリー・ラ・モリエール・ル・ジュピター。
 木星から来ています」
「あ、はじめまして、わたしは星間航空科の・・・」
「知っています!オスカルさまでしょ?」
「え?」
オスカルがびっくりして、どうして私の名を?とつぶやくと、ロザリーは
またにっこりと笑った。
「ごめんなさい。有名なんです、オスカルさまって。
 パイロットスーツに身を包んだ麗人って・・・・・
 ともだちみんな、あ、もちろんわたしも憧れているんです!」
そういうと、ちょっと恥ずかしそうに顔を赤くして、サンドイッチを食べ始めた。
オスカルは一瞬あっけにとられたが、真っ赤になって食事をしているロザリーの姿に、
妹を見ているような気持ちになってきた。
二人は初対面だったが、思いがけずに話がはずみ、
別れ際には、ときどき一緒にお茶を飲もうという約束もできた。
「うわ〜〜〜!夢みたいです!
 憧れのオスカルさまとお話できたばかりか、またお茶をご一緒できるなんて!」
友達にはナイショにしなきゃ!と力むロザリーをほほえましく思いながら、
オスカルはアンドレからのメールを思い出していた。
それは、ジェローデルとの、どことなく気まずい訪問からまもなくして届いた。

『研究が佳境に入りました。
 他分野からのアシストも頼んでいるので、しばらく来訪はご遠慮ください。
 落ち着きましたら、またお茶を飲みに来ていただけると思います。
                               アンドレ 』
 
ひどくそっけないそのメールは、アラン達のところにも届いたようだった。
「あ〜〜あ、アンドレのいれてくれるお茶は最高にうまいのにな」
「仕方ないさ。あいつだって研究者なんだから。
 本業を優先させないと、ここに居る意味ないだろう」
「そうだよな〜。
 あの若さであのラボを与えられてるんだもんな。
 重力設定のできるラボなんて、アンドレのところくらいじゃないか?」
研修生達が交わす会話に、自分だけが拒否されたわけではないと知り
オスカルはほっと安堵のため息をもらしたのだった。
2度目の訪問の時、二人の間に流れたあの穏やかな空気。
そして、思ってもみなかった口吻。
それが、今ではほんとうにあったことなのかどうか・・・・
あのひとときを、どうとらえていいのかわからない。
オスカルは、自分の気持ちを持て余していた。


その後も、航空科の多忙なスケジュールをこなしているうち、
時間はあっという間に過ぎていった。
たまに遠くからラボを見かけると、アンドレの研究はうまく進んでいるのか、
メールでも送ろうかと思うのだった。
ジェローデルとは、このごろ一緒に出かけていない。
それというのも、ロザリーから噂を聞かされたからだ。
「ええっ、オスカルさま、すごい噂なんですよ?
 ほんとうにご存じなかったんですか?」
「・・・・・・ジェローデルとわたしが恋人だって?
 本人のわたしが初耳なんだから、そんなわけないだろう」
憮然とした表情のオスカルに、ロザリーは笑うべきか、すまながるべきか
迷っていた。
「だって・・・よくお二人でお食事とかされてるし・・・・
 とってもお似合いのカップルだって・・・・」
「同じ学生同士、食事くらいするだろう」
「それはまあ、そうなんですけど・・・・」
でも、年頃で美男美女の組み合わせなら【恋人】と思われるのが自然なのに、と
ロザリーは声に出さずに反論した。
「わたしとしても寝耳に水と言った心境だし、ジェローデルも誤解されるのは
 不本意だろう。これから気をつけることにする。
 教えてくれてありがとう」
にっこり笑うオスカルに、ロザリーは
『ひょっとしてオスカルさまって、とんでもなく”うとい”ヒトなの!?』
と気がつき、頭を抱えたくなってしまったのだった。

その一週間後、衛星大学の創立記念日に行われる編隊飛行のメンバーが発表された。
衛星BーR16は、まるごと衛星大学となっており、その創立記念日は、
衛星あげての祝祭となる。
3日にわたり記念講演、各学部が競っての研究発表会、懇親会、最終日の創立記念パーティと
ありとあらゆる行事が続き、講演や発表会を目的に地球連邦全域から著名人が訪れる。
その様子は星間ネットにのり、全星間に発信される。
したがって、直接参加できるのは設備の都合で現役の学生達と研究者、
招待を受けた著名人・マスコミに限られるのだ。
その2日目に行われる編隊飛行は、航空学部のメインセレモニーである。
15機の先鋭パイロット機により、広大な宇宙空間をありとあらゆる隊形で
自由に飛び回るその様は、さすが星間一のテクニックと評判が高い。
航空学部に在籍するパイロット志願の学生にとっても、そのメンバーに選ばれることは
たいへんな名誉であった。
オスカル、ジェローデルの在籍する星間航空科からは
毎年メンバー15人のうち、半数以上の学生が選出されている。
今年も、オスカル、ジェローデルを含め、11人がメンバーに入った。
4人が航空科から、そして、極めて異例なことだが、研修生の中からアランが選ばれていた。

「アラン、やったな!」
「すごいじゃないか!」
ジャンやニコラス、ロベール達、研修生仲間は大喜びだ。
「俺達の代表だから、かっこよく頼むぜ!」
と、すでにお祭り気分である。
「まかせとけって!」
アランも上機嫌だ。
「おめでとう、アラン。よろしく頼むよ」
隊長機に搭乗するオスカルが手を差し出し、二人はしっかり握手した。
「ありがとよ。こっちこそ、よろしく」
照れ隠しからか、ややぶっきらぼうに返事をするアランに、オスカルも強く頷いた。
「ひさしぶりにアンドレのところへ行ってみるかな」
アンドレの名前を聞いて、どきっとする。
「だが、研究が佳境に入って忙しいのではないか?」
「ああ。メールだと、あいつも研究集会で発表する一人みたいでさ、
 その準備もあってたいへんらしい」
「だったら・・・」
「いいって、いいって。
 ちょっと寄って、顔見て、これの報告するだけだよ」
「では、わたしからもよろしくと伝えてくれ」
「OK」