月世界より 15
『相思相愛』
オスカルの頭の中を、その一言がぐるぐる回り続けていた。
あのラボでの口づけのあと、アンドレはわたしに言った。
「俺も・・・・一生を添い遂げる女性とでなければ、そういう関係にはならない・・・・」
ああ、そうだった・・・・
彼が一生をともにしたい女性はわたしではなかったのだ。
無責任に体を繋ごうとしなかった彼に、感謝しなくては・・・・
でも、アンドレはこうも言ったではないか・・・
「もっと、おまえのことが知りたい。そして、俺のことも知って欲しい・・・」
『どうしてそんなことを言ったのだ? どういう意味だったのだ? 』
だが、オスカルのその問いに応えるものは何もなかった。
「な、なんだって?」
アンドレは思わず落としそうになったファイルの束をかき抱いた。
「そんなに驚かなくても・・・・」
ロザリーはディスプレイを見ながら軽く答えた。
いつものように、アンドレのラボに講演準備の手伝いに来ているのだ。
「オスカルさまは、アンドレのことをとても優しくて立派な研究をして純粋で思いやりのあるヒトだと
思ってらっしゃる、って言ったのよ」
くるりとイスを回して真っ赤になっているアンドレを見ると、にっこり笑った。
「よかったわね〜♪」
ばさばさと派手な音を立ててアンドレの手から落ちたファイルが床に散らばった。
「あらら・・・アンドレったら、だめじゃない! だいじなファイルを落っことしちゃって!
あ〜あ、発表原稿と資料がごちゃごちゃ!」
「ロザリー、おまえ・・・」
困惑しているアンドレをよそに、ロザリーはうきうきした様子でてきぱきとファイルを拾い集める。
「わたしね、わかってしまったの」
「なにを?」
「アンドレが好きなのはオスカルさまでしょ?」
「べ、べつにオレは・・・」
「だ〜め! 私の目はごまかせないの!」
はい、と順序よくそろえられたファイルを受け取りながら、アンドレは
「そ、それから?」
つぶやくように尋ねる。
ロザリーは、にっこりと笑って言った。
「創立記念パーティのパートナーになって欲しいのなら、早く申し込んだ方がいいわよ?
ジェローデルさんという素敵な方も、オスカルさまにご執心だという噂だから」
時計を見た。
「あ、もうすぐ木星からのシップが到着する時間だわ!
わたし、エアポートに行かなくてはならないので、これで失礼します!」
弾むような足取りで飛び出していったロザリーの後ろ姿を見送りながら、アンドレは立ちつくしてい
た。
『オスカル・・・・!』
アンドレに近づいたクーは、彼の掌を励ますようにやさしく舐めた。
「クー、心配してくれてありがとう・・・・」
クーの瞳が雄弁に語りかける。なぜ、のぞむままに行動しないのか、と・・・・
「オレは、ルナンだ。テラナンであるオスカルを幸せにする自信がない」
クーは首をかしげる。
それは、わからないとも、答えが間違っているとも言っているようだ。
「オレには、まだ、オスカルに話していないことがある。
そして、すべてを知った後、オスカルがオレのことを受け入れてくれるかどうか・・・・」
アンドレはつらそうに眉をしかめた。
「きっぱり否定されるくらいなら、今のまま、友達づきあいをしていくほうがいい」
クーは、つぶらな瞳でアンドレをじっと見つめていた。
「そう・・・オスカルのそばにいられるだけで・・・・いいんだ」
衛星大学にある唯一のエアポート。
近づいた創立記念祭のせいか、ここもいつもより心なしか落ちつきなくざわめいている。
オスカルはいつものように訓練を終え、フラットに向かって歩き始めた。
エアシャトルもあるのだが、よほどのことがない限り歩いて帰るようにしている。
人工的に造られたものではあるが、街路樹の緑を見たり、空気の流れを肌に感じたりするのはスト
レスを和らげてくれるからだ。
この衛星大学にはさまざまな星から学生がやってくる。
テラナンを祖先に持つ彼らだが、その惑星に適した進化を手に入れたため、少しずつその外見や
能力が違っていた。
慣れてくると、ちらりと見ただけでも、どの惑星出身かわかる。
言語については、テラのある言語が公用語として定められており、すべての惑星で教育・習得され
るので不自由しない。
オスカルは、すれ違う学生達の出身地を思い浮かべながらのんびりとした歩調で歩いていた。
その凛とした美しい姿に、学生達が目を奪われ、憧れの眼差しで見つめている。
だが、オスカルはそんな視線には無頓着なままだった。
「隊長!」
後ろからかけられた声に振り向く。
「ああ、ジャン」
丸っこい顔いっぱいに笑みを浮かべてジャンが駆け寄ってきた。
「やっぱり隊長だった! おひさしぶりです!」
「編隊飛行メンバーだけの訓練が続いているから、なかなかジャン達とも逢えなかったね。
みんな元気にしているかい?」
「はい! もちろんです! 俺たち企業派遣の研修生の中からアランがメンバーに選ばれたので、
鼻が高いんですよ」
オスカルはその言葉を聞いて、苦笑を浮かべた。
正規の大学生メンバーと、企業から短期で研修に参加するメンバーとは、あまりうまくいかないこと
が多かった。
ジャンは、大学生メンバーからの心ない陰口を気にして、引きこもってしまったこともある。
「今日の練習はもう終わったのか?」
「はい、最近は編隊飛行のトレーニング優先だから、理論とか講習が多くてたいへんで・・・」
シャンのほとほとまいっているという表情に、オスカルはくすくすと笑いをもらした。
「腕に覚えがあるのはけっこうだが、やはり、知識も身につけないと研修の意味はないだろう?」
「はぁ・・・・わかってるんですけど・・・やっぱり、操縦桿を握って宇宙を飛んでる方が気が楽です」
「創立記念祭まであと少しだ。それが終われば、トレーニングも飛行訓練中心にもどるから、もう少
しがまんしてくれ」
「そうですね。じゃ、隊長、がんばってくださいね! 一番いい場所から編隊飛行を見ますから!」
「ありがとう。ジャンの期待を裏切らないようにするよ」
ジャンは大きく手を振りながら、来たとき同様、あっという間に去っていった。
『創立記念祭まで、あと少し・・・』
ジェローデルに、パーティのパートナーとなってほしいと申し込まれていた。
ただ、なぜか、頷くことができないでいる。
いっそのこと、パーティの間はフラットの中で一人のんびりしていようか、などと考えているオスカル
だった。