月世界より 3


アランとジャンは、毎日のように温室らしきドームのあるラボの横を通っていた。
ラボの場所が実技研修の場所である宇宙エアポートから、学生寮への近道にあたるということもあった。
各学部は基本的に該当学生以外立入禁止なのだが、全学部共通の研修生専用寮に抜けるのには、
エアポートからいったん共通のラウンジフロア(レストランやショッピングモールなどの施設がある)に降り
て、DNA工学部内を突っ切るのが一番近いのだった。


「今日の演習コースはたいへんだったな」
「ああ、制限時間内に戻って来られたのは、10チーム中4チームだけだったはずだ」
「その中でも、アイス・ローズのチームはダントツに早かったそうだぜ。
 2位のチームを2標準時間以上引き離してたって」
「コース取りがうまいんだよな。
 へたに最短距離を行こうとしたチームは、隕石群の中に突っ込んじまって、
 そのうちの1チームは、エンジンやられた機が救助信号を出していたし」
「ジェローデルのチームだろ?
 たしか、ミッシェルが一緒だったんだが、正規生の一人が隕石をよけきれずに
 事故ったっていってたぞ」
「ジェローデルは、アイス・ローズを必要以上に意識してるから。
 ここんとこ立て続けに負けてるモンで、チームメンバーの力量を考えずに
 コース取りしちまったんだろ」
「まあ、あいつにもいい薬になったんじゃあないか? 
 艦長候補なら、自分のことだけでなくチーム全体のことを考えないと」
「まったくだ」


話しながら足を進めていると、人口太陽に照らされたラボの温室ドームが見えてきた。
と、突然入り口の扉が開き、中から馬に似た生き物が飛び出してきた。
そして、それを追って人間も・・・・・・
「おい! 待て! 待てったら!!」
大人の腕一抱えほどの大きさをした生き物は、まっすぐアラン達の方に走ってきた。
「頼む! 捕まえてくれ!!」
ラボから走り出てきた男が叫んだ。
「おっと、任せときな!」
捕まえようと身構えたジャンの気配に思わず足を止めた生き物を、アランが横からさっと抱え上げた。
この辺りの連携はお手の物である。
「どう、どうっ! こら、あばれるなよ!」
アランは、逃げようともがく生き物をしっかり抱えながら、歩み寄ってくる男を見た。
「ありがとう、助かったよ」
にっこり笑った彼は若々しい青年で、おそらく自分と同じくらいの年頃だろう。
その瞳が、髪の色と同じく黒と見まごうほどの深い碧色なのを見て取って、思わずごくりと咽が鳴った。
『やっぱり、こいつはルナンだ』
その青年はやさしい微笑みを浮かべながら、アランの腕の中から生き物を抱き取った。
「こら、イタズラものめ!」
「クゥ、クゥゥゥ」
甘えたように啼く生き物の目も鮮やかな碧色なのに気づき、アランとジャンは声を揃えて叫んだ。
「ルナ・ホース!!」
「その通り」
青年は、にっこり笑った。
「捕まえてくれてありがとう。
 この衛星は地球重力に設定されているから、うまく動けなくて・・・・・」


ルナ・ホース。
地球原産の馬を、実験的に月で飼育・交配させて生み出された亜種である。
DNA操作ももちろん行われた。
少ない酸素を無駄に消費しないよう、体格は小さく、呼吸を最低限に抑えることができる。
生殖能力が低く、誕生一年以内の死亡率が高いため、月以外ではめったに見ることができない。
賢く、人間にもよくなれるため、地球連邦内では遠距離宇宙船や宇宙ステーションでのペットとして
珍重されていた。


アランとジャンは青年からラボへの招待を受けた。
一も二もなく付いていく。
二重になっている内扉の中に入ったとたん、二人はびっくりした。
ラボの中は地球の約6分の1しかない月重力に設定されていたのだ。
身が軽くなりすぎて、バランスが取りにくい。普通に歩こうとしても、身体がはずんでしまうためだ。
さすがに青年やルナ・ホースは慣れたものでさっさと居住スペースに入っていった。
ようやくお茶の席に落ち着き、お互いに簡単な自己紹介をする。
「俺は、アンドレ・グランディエ・ラ・ルナ。
 このラボでは、主に植物についての研究をしてるんだ」
「このあたりはDNA工学部なのにか?」
問い返したアランに、アンドレはにっこり笑った。
「ああ。それぞれの惑星に適応した植物のDNAを研究することで、
 地球環境との違いや、人類進出のお供にできる植物を見つけることができるからね」
アンドレは、二人にいくつか植物絡みの愉快なエピソードを話した。
アラン達も、自分の故郷のこと、衛星大学での研修のことを面白おかしくしゃべった。


「そういやあ、月で発見されたか開発されたかした、すっごい植物があっただろ?
 えっと・・・・なんていったっけ? あれは・・・・・」
ジャンが考え込んでいると、アンドレが応えた。
「ルナ・モスのこと?」
「そうそう、ルナ・モス!
 すごいよね、3pの厚みのルナ・モスを敷けば、そこで15メートルの樹が育つってんだから!
 おかげで、コンクリートジャングルが森や林になっちまって。
 ヴィナスのライブラリでビデオを見たときは、ほんとうにびっくりしたよ!」
「そういやあ、マルスでもルナ・モスが使われているな。
 ただし、重力や空気成分をほぼ地球環境に整えた場所だけだが」
アンドレは、にこにこと話を聞いていたが何も言わなかった。
アランは、ふと、その碧の瞳がどこか寂しそうな色を湛えているなと思った。
「なあ、アンドレは一人暮らしなのか?」
「・・・・・そうだが・・・」
「家族は?」
そう聞いたとたん、あきらかにアンドレの表情がこわばった。
「あ、すまない! 立ち入ったことを聞いちまって・・・・・」
「いや、いいんだ」
ルナ・ホースがそんな主人の手を慰めるように舐める。
「ここでの俺の家族は、こいつだけだ。
 ええと・・・・・悪いけれど、やることがあるからそろそろ帰ってくれないかな・・・」
「おっ、そういやあ、つい長居しちまって・・・」
「お茶、ごちそうさま!」
「じゃあ・・・・・」
扉のところまで送ってきたアンドレに、アランはおずおずと切り出した。
「なあ・・・・また来てもいいか?」
一瞬、躊躇したように瞳が伏せられたが、返ってきた答えは
「ああ、いいよ」
だった。


その後、何回か、間をおいて二人はアンドレのラボを訪ねた。
居住スペースには本格的なキッチンもあり、ほとんど外へは出ないらしい。
本人に言わせると、
「地球重力では歩くのも一苦労だからね」
だそうだが、ルナンと言うことで向けられる好奇の目がいやなのだろうことは二人にもわかった。
ある日、二人は航空科のメンバーと撮った写真を持参してラボに出向いた。
「・・・・・で、こいつがガリレオ出身のユラン」
「その隣が、われらが航空学部自慢のテラ出身アイス・ローズだ」
「アイス・ローズ?」
アンドレは、写真を一目見たときから気になって仕方なかった人物に目を凝らした。
波打つ金髪、ほっそりとした身体を銀のパイロットスーツに包んだ美しい人・・・・・・
「それはニックネームだけどね。本名より通りがイイモンで」
「美人だろ?」
「ああ・・・・・ほんとうに綺麗だ・・・」
「惚れてもだめだぜ?」
「え? なにを・・・」
思わず赤くなってしまったアンドレに、アランはちっちっちっと指をふると
「ニックネーム通りの氷の美女だからな。
 男なんて目に入らない。
 彼女の頭の中は、各種マニュアルと星間図で埋まってると言う噂だ」
「ふうん・・・・・」
「会いたいんだったら、今度、連れてこようか?」
アンドレは、しばしの逡巡の後、かすかに頷いた。



植物の観察と標本採集をしながら、いつのまにかぼうっとしている自分に気づいた。
アンドレは、なぜか写真で見た女性のことが頭から離れなかった。
「なんて美しい人だろう・・・・・」
気がつくと、彼女のことを考えている。
その面影が浮かぶと、つい、電子顕微鏡を覗くことも疎かになってしまう。
キーボードに向かっていても、指一本アンドレは研究室の机の前でぼうっとしていた。
「この俺が一目惚れ?」
そんな言葉を思いつき、そっと口の端に笑みを浮かべる。
ルナ・ホースが、いつもと違うご主人の様子に首をかしげながら近づいてきた。
「クゥゥゥゥ?」
なんだか、自分のとまどいを見抜かれているようで照れてしまう。
「さ、今日やらなきゃいけないことをすませないと!」
自分自身に活を入れて、接眼レンズに碧の瞳をあてた。