月世界より 6



ゆったりと流れ込んでくる温かな感情。
それは、オスカルのすべてを包んでゆらゆらと優しく揺らすようだった。
啄むような口づけが、ためらうように、許しを請うように何度も唇に落ちてくる。

『もっとこうしていたい・・・・・』

オスカルがそう願ったとたんだった。
いきなりオスカルの周りを包んでいた温かさは、沸騰するかのような熱さに取って代わった。
驚きで、思わず相手の胸を強く押しやる。
身体が離れると、あの温かさも、今感じていたはずの恐いくらいの熱さも、かき消えた。
呆然とした表情で見つめ合う二人。
先に我を取り戻したのはどちらだったのだろう。
「わ・・たしは・・・・もう・・帰らないと・・・・」
「あ、す、すまない・・・・・」
いったん目をそらしてしまうと、二人とも相手の顔を面と向かって見られなかった。



オスカルは自室のコンピュータに向かっていた。
ルナンのことが知りたい、そう思うのが彼のせいだとは考えないようにして・・・・・
キーワードを次々に打ち込み、検索をかける。
「これだ!」

ルナンの歴史。
それは、テラにおける中世時代の歴史を思い起こさせるものだった。
新しい世界を築こうとテラから月にわたった人々。
苦しい開発時代。
やっと生活の基盤ができたものの、月の地下資源が発見されたことにより、
テラの大資本が我先にと月に進出した。
結果、一部の支配者層と一般市民といった階級が構築されたのだ。
しかし、ルナンはそういった社会を良しとせず、自治を勝ち取ろうと運動を始める。

「ほんとうに人類は同じ様な歴史を繰り返すものだ・・・・」
オスカルは、画面に現れるデータを読みとりながら、思わずため息をついた。
「まるでアメリカ合衆国やインドの独立戦争、あるいは、フランスで起こった
 市民革命じゃないか」
そして、ルナン自治闘争における救世主となったのが、一人の女性科学者だった。
「マロン・グラッセ博士。
 ルナ・モスを発見、テラ環境に適するように品種改良を成し遂げる・・・か」
さらに詳細なデータを検索する。
「博士はまだご存命で、月にラボを持っていらっしゃる。
 家族は・・・・・孫が一人だけ。
 ご子息は早くに亡くなられたらしいな」
そのあと、ルナ・モスがテラにも他の惑星の植民ドームにも多大な貢献をした事例が
延々と続く。
「博士はルナ・モスの栽培方法と引き替えに、ルナンによる月自治を認めさせたのか。
 テラの歴史に残る、ジャンヌ・ダルクを彷彿とさせる方だ」
同じ女性としてオスカルは博士に深い尊敬と共感を覚えるのだった。

そして・・・・・
夜が更け、寝室のベッドに入ったとき、ふと心を占めるのはあのひとときだった。
身体の中を流れた熱い奔流。
自分が自分でなくなるような・・・・・
不安で、でも進んで囚われてしまいたいあの衝動・・・・・
自分は男女関係に置いて、淡白な性質(たち)なのだと思っていた。
そっと指で唇に触れてみる。
そこにはまだ、彼から与えられた何かが残っているようだった。
深い碧の髪と瞳の持ち主を思い浮かべ、あわててふとんの中にもぐった。



「・・・・・うん、・・・・うん、わかっているよ、おばあちゃん」
アンドレは、ひさびさにかかってきたコスモス・コールでの通話中である。
「え? かわったことなんてないよ!・・・・うん、ほんとうだってば・・・」 
あわてて否定するところを怪しまれるのだとは気がついていない。
「・・・・ああ、また連絡するから。研究のほうはぼちぼち進めているから。
 あまり進捗が早いと、ちょっとまずそうだからね。
 ・・・・・・・うん、じゃあ・・・・」
回線をオフにして、熱く感じる頬を両手で押さえる。
「まったく・・・・いつまでたっても俺のこと、子どもあつかいなんだからな!」
しかし、実際問題として祖母には頭が上がらない。
幼くして両親を失ったアンドレは、祖母の元で育てられたのだから。
しんとする部屋の中でソファに凭れ、只一人の女性を思い浮かべる。
「オスカル・・・・・」
美しい人・・・・・
姿だけでなく、その気持ちも美しいのだとわかった。
たまらずこの腕に抱き捉え、唇を奪ってしまった。
そのときの気持ちと身体の高ぶりは、今も自分を捉えて離さない。
「オスカル・・・・!」
呟きは、闇の中にそっと溶けていった・・・・・