月世界より 7


「おーい、アラン!」
ジャンの呼ぶ声が星間航空科の通路に響いた。
「なんだ?」
「次の演習はいつだ?」
ジャンは、アランに駆け寄りながら訊ねる。
「俺は・・・・・午後の2時20分テイクオフのグループだ」
腕時計のメモリを確認して答える。
「じゃあ、俺が1時50分テイクオフだから・・・・30分違いか。
 よし! ウエイティングルームで待ってるよ。演習が終わったら飲もうぜ!」
「O・K」
アランの返事を受け取ると、ジャンは急がなくっちゃ!と衛星ポートへ走っていった。
「・・・・相変わらず落ち着きのないヤツだ」
アランは苦笑しながらつぶやいた。
今日の演習は通常の飛行訓練で、3機編成で飛ぶことになっている。
アランやジャンは正式な衛星大学の学生ではないため、一緒に組むことはない。
だが、研修生とはいえ、地球連邦内最高峰とされるこの衛星大学で学ぶことを
許可されるのは、並大抵のことではないのだ。

演習前、ポートで機体の整備状態を確かめているジャンの耳に、足音と話し声が届いた。
「・・・・ったく、いやになるな」
「ああ、研修生だろう?」
どうやら機体の影になっていて、相手にはこちらが見えないらしい。
「どんなツテでもぐりこんだか知らないが、こっちの足を引っ張らないで欲しいね」
「まったくだ」
「僕たちは素晴らしい競争率を抜けて、高い学費払って来てるのにさ」
「企業の推薦だかなんだかしらないが、経験だけが頼りの奴らに邪魔されたくないよ」
「理論もナニもしらず、操縦桿だけ操れればいいんだろ? あいつらは」
「まあ、グループ演習のときは無視してやればいいのさ」
「でも、今日組まされるあのちっこいヤツ、一番デキが悪いだろ?」
「ああ、いつもへらへらしていて調子だけいい金星のヤツか」
「まったく、なんだい、あのにやけ顔! あれ見てるだけでイライラするぜ」
「フライト中は見えないから我慢するんだな。
 クラッシュされなければいいとしないと・・・」
バカにしたような笑い声。
「で、機体チェックはどうする?」
「整備士の仕事を取っちゃいけないんじゃないか?」
「それもそうだな。かりにも衛星大学の整備士に抜かりがあるわけないしな」
ジャンは、二人が去ってしまうまで声も出せずに佇んでいた。

アランは演習後、ウエイティングルームで待っていたジャンと落ち合い、
ビールを飲みながら話していた。
だが、いつもはうるさいくらいに元気のいいジャンなのだが、
今日はなんだか様子がおかしい。
「どうした? なにかミスでもしでかしたのか?」
そう冗談交じりに訊いても、なんでもないと首をふるだけだ。
結局、最後までなにも言わないジャンをアランはどうすることもできなかった。

その日を境に、ジャンはどんどん落ち込んでいくようだった。
アランをはじめ、ニコラスやユラン、ロベールなど研修生仲間が心配して
気持ちを引き立てようとするのだが、何を言ってもだめだった。
ついに、講義や演習も欠席するにいたり、このままの状態が続けば
研修生としての資格もなくしてしまう。
思いあまったアランは、つい、アンドレに相談を持ちかけた。
「というわけで、なんにも関係ないあんたになら悩みを話すと思うんだ。
 悪いんだが、一肌脱いでくれないかなぁ・・・」
じっとアランの話を聞いていたアンドレはしずかに頷いた。
「たぶん、力になれると思う。 
 ジャンに会わせてくれ」

アンドレはジャンのフラットに入っていった。
企業がスペースを借り受けているそこは、ビジネスホテルのように機能的で、
アンドレにはひどく無機質な空間に思えた。
ベッドにもぐりこんでいるジャンに声をかける。
「やあ、ジャン。しばらく顔を見せてくれなかったじゃないか。
 病気でもしてたのか?」
その言葉に少し身じろぐが、反応がない。
アンドレは、慣れない地球設定の重力にゆっくりと歩みを進めてベッドの
端に腰をかけた。
シーツの上からそっとジャンに触れ、ジャンの感情を読みとる。
暗い負の感情が一気に流れ込んできて、思わず眉をしかめた。
中傷、蔑み、自己嫌悪、閉塞感、鬱屈、自信の喪失、逃亡・・・・・・自殺願望・・・
「・・・ジャン、なにがそんなにつらいんだい?」
「アンドレにはわかんないよ!」
いきなり顔を出したジャンは泣き顔だった。
鬱憤を晴らすように大声で怒鳴る。 
「この衛星大学で一人前にラボを持ってて、格好も良くって、認められてて!」
「俺がか?」
「ああ、そうだよっ!」
ジャンは、これまで自分の中に閉じこめていた言葉を次々と吐き出し始めた。
「お、俺なんて、チンクシャで、へらへらしていて、へたくそで、イライラさせる。
 みんなのお荷物で・・・だから、無視してくれた方がいいんだ!」
アンドレはジャンに触れたまま、じっと耳を傾けている。
「そんでもって、クラッシュを引き起こしかねなくて、そんな俺なんかとは
 金星人の研修生なんかとは、だれも組みたがってないんだ!」
いいたいことを怒鳴り尽くしたジャンは、しばらく唖然としていた。
「あ、あれ? 今、俺って、何を言ってたんだ?」
アンドレはにっこり笑うと、
「自分の心に溜まっていた毒を吐きだしただけさ」
と言った。
「毒を・・・・・吐きだした?」
ジャンは呟くと、ひとりで考え込んでいる。
「うん・・・・うん、なんか、すっげぇ、気持ちが軽くなった気がする・・・」
アンドレはゆっくりと静かに話した。
「おまえは、優秀なパイロットだ。
 その証拠に、企業内で選ばれて、この衛星大学で学んでいる。
 だれもおまえのことを蔑んでなどいない。
 腕一本でここまでやってきたおまえを、うらやましがっているんだ」
ジャンは、アンドレの言葉とともに見失っていた自信が流れ込んでくるような感覚を覚えた。
「俺は、おまえの笑顔が好きだ。
 親しみやすくて、ほっとする」
しだいに、身体も心も温かくなる。
「自分自身をほめてやれ。
 俺も、そしてアランや周りの者も、おまえを必要としている」
新しい涙がにじんできた。
でも、温かい涙だ。
「うん、うん、ありがとう、アンドレ」
えっえっと声をあげて泣き出したジャンからは、もう、暗い感情は抜け落ちていた。
これで大丈夫だ、そう感じたアンドレは、そっと手を離すのだった。


「アンドレ、感謝するぞ!」
アランが満面の笑みを浮かべてラボに来た。
「ジャンのヤツ、すっかり立ち直って、前より元気なくらいだ。
 いったいどんな魔法を使ったんだ?」
アンドレは面はゆそうに微笑むと、
「忘れたのか? 俺はエムパスだ。
 ジャンの不安の原因を読みとって、少し勇気づけただけ。
 立ち直ったのはジャン自身に前向きな気持ちがあったからだ」
「へぇ〜〜〜。
 おまえさん、研究に失敗してこのラボ追い出されたら、カウンセラーになれ。
 十分生きていけるぜ!」
「・・・・それは誉めてると受け取っていいのか?」
「あったりまえさ!」
笑いながらバンバンとアンドレの背中を叩く。
「・・・・誉めてるらしいな」
「え? これだけで感情が読めてしまうのか?」
「バカ野郎。おまえくらい単純でわかりやすいヤツなら、エムパスでなくたって
 丸わかりだ!」
単純呼ばわりされてさすがにむっとしたアランに、アンドレは鉢を手渡した。
「なんだ?」
「ジャンにもってってくれ。快気祝いだ」
「敷いてあるのはルナ・モス。植えてあるのは?」
「テラ原産の姫リンゴ。
 ヴィナス(金星)は、美の女神ヴィーナスになぞらえられているから、
 彼女にちなんだ植物を選んだ。
 ジャンの部屋には緑があったほうがいいと思って」
「そうか・・・・・きっと、よろこぶぞ、あいつ」
かわいらしい木を見つめていたアランは、急ににやりと笑うと、
「で、もう一人、患者がいるんだが」
と言葉をついだ。
「え?」
「それが、そうも恋煩いらしいんだ」
なんのことだというように首を傾げるアンドレに、アランはにやにやしながら言う。
「アイス・ローズだ。
 航空学部の噂によると、彼女がとうとう恋に落ちたらしい」