月世界 9


ジャンは研修生がたむろしているウエイティングルームで、熱弁をふるっていた。
「・・・・・でさ、そいつが話しかけてくれたおかげで、
 それまで俺を覆っていた重たい空気が、こう、さぁ〜〜っとどっかへ
 いっちまったっていうわけだ」
「へぇ・・・」
人のいいピエールが、心底感じいったように相づちをうつ。
「なんか、魔法みたいだな。
 おまえ、あんなに落ち込んじゃってたのにさ」
「そうそう、俺たちがどんなに元気づけようとしても全然だめだったくせに」
ラサールが笑いながら茶化したように言う。
「うん、おれもフシギなんだけど・・・・・
 なんていうのかな・・・・・・・そいつの声が、直接心に流れ込んでくるような、
 そんな感じだっんだ」
「ふぅん」
「真っ暗な中に蹲ってる俺の手を、しっかり掴んでひっぱりあげてくれてさ、
 今までいた場所まで連れもどしてくれたって、なんかそういう風に
 思えるんだ・・・・」
「なんか、それって出来過ぎじゃないか? 
 気持ちが落ち込んでたから、そう思いこんじゃっただけかも・・・」
言いかけたユランの声に重なるように、ドアのところからアランが怒鳴った。 
「ジャン!! やめねぇか!」
その場にいた全員がフリーズした。
「ア、アラン・・・・」
「こっちに来い!」
アランは小柄なジャンの襟首を掴んで、引きずるように部屋の外に連れ出した。
人気のない部屋を見つけ、アランはジャンを乱暴な仕草でそこに押し込んだ。
「おまえなあ、そんなことを誰彼かまわずしゃべりまくって、アンドレに迷惑がかかったら
 どうすんだよ!?」
「ご、ごめんよ〜〜。
 だって、みんなが訊くし、俺だって、なんとなく自慢したくってさ・・・」
「だぁから! それが考えなしだって、言ってんだよ!」 
びくっと身をすくませたジャンに、アランは言い聞かせるように言葉を継いだ。
「いいか、おまえだって知ってんだろぉ? ルナンがどんな目に遭ってきたか」
「あ・・・・・」
一気にジャンの顔色が蒼白になる。
「アンドレに何か力があることがわかってみろ! 
 今の時代だって、あいつがどんな扱いを受けるか、わかったもんじゃないんだぞ!
 それをおまえはペラペラと!
 恩を仇で返すつもりかよっ!!」
「わ、悪かったよ〜〜 か、勘弁してくれよ〜〜」
ついにジャンは泣き出してしまった。
「・・ったく!」
アランは泣き崩れるジャンを見下ろしながら、今回のことが当局の耳に入らないようにと祈るのだった。


「オスカル」
優しく呼ぶ声に振り返ると、パイロットスーツから制服に着替えたジェローデルが立っていた。
航空学部の機能的なピロティを通りかかったオスカルは、同じく制服に身を包んでいる。
藍色のジャケットには襟元と袖口に細い金色のラインが走り、黒いスラックスによく合っていた。
「今、帰るところですか?」
「ああ」
「では、夕食でもご一緒しませんか?」
しばし逡巡のあと、オスカルは応えた。
「いや・・・・・今日は、寄るところがあるので・・・」
オスカルは、先ほど、ジャンがカウンセリングを受けて立ち直った話を小耳に挟んだのだった。
ラサールがシミュレーション訓練の後、興奮したように教えてくれたのである。
どうも、それは聞いた限りではルナンの行うテレパスセラピーに思えたので、
アンドレに話を聞きに行こうと決心したのだった。
『そういえば、このところ、アンドレに会っていないし・・・・』
この間の一件以来、なんとなく訪ねにくい気持ちが先に立ち、アラン達に誘われても断っていたのだ。
「長くかかるのですか?」
「・・・いや、そんなことは・・・ないと思う」
「では、さしつかえなければご一緒しましょう」
オスカルはジェローデルの申し出に、ホッとした。
彼が一緒なら、そんなに緊張しないはずだ。
肝心な話は、ジェローデルが聞こえないようにして話せばいいし・・・・
そんな風に考え、彼とともにアンドレのラボに向かった。


「クゥゥゥゥ」
ルナ・ホースのクーが、そわそわと落ち着かない。
アンドレが着ている白衣の裾をくわえて引っ張る。
「クー、どうしたんだい?」
電子顕微鏡から目を離し、アンドレは困ったヤツだと言うように話しかける。
「クゥゥ、クゥゥ」
蹄をカツカツと打ち鳴らし、クーは何かを訴えるようにアンドレを見上げた。
「誰か・・・・・来るのか?」
クーの碧色した瞳がきらりと光る。
「やれやれ・・・・おまえが落ち着かないと言うことは、あまりうれしい客じゃないな」
アンドレは、白衣を脱いで今まで座っていた椅子の背に無造作にかけた。
綿でできたそれは、アンドレのお気に入りである。
機能から言えば、化学的に合成された繊維の方が上回っているのだが、
アンドレは、綿や麻で作られた衣服を好んで着ている。
じつは、この時代、そういった自然繊維の方が入手が難しく、貴重なのだ。
やっと手に入れた綿の白衣は、月にいたときから大切にしている物だった。
白衣の下も、シンプルな綿のタンガリーシャツに淡いベージュのチノパン、
ヌバック皮でできた軽いカッターシューズという出で立ちである。

研究室から居住スペースへは、温室を通り抜ける設計になっている。
クーとともに緑の中を歩いていると、訪問者を知らせるセンサーが鳴った。
端末画面で確認すると、オスカルともう一人、初めて見る男性の姿が映し出された。
アンドレはほんのわずか眉をひそめ、ドア開閉のボタンを押した。

「突然ですまない。お邪魔してもいいだろうか?」
オスカルが遠慮がちに尋ねるのに頷くと、黙って二人を温室内に置いてある
デッキチェアに案内する。
腰掛ける前に、オスカルが連れの男性を紹介した。
「アンドレ、こちらは星間航空科の同期生でヴィクトル・ド・ジェローデル・ル・テラ。
 ジェローデル、こちらはこのラボで植物を研究しているアンドレ・グランディエ・ラ・ルナ」
ジェローデルは初めてアンドレと間近で向き合い、その深い碧の瞳に驚きを感じた。
が、持ち前の礼儀正しさでそれを隠すと、右手を差しだし優雅に挨拶をする。
「はじめまして。オスカルと同じ、この大学の学生です。
 ジェローデルとお呼びください。
 今日はアポイントメントも取らず、突然お邪魔して申し訳ありませんでした」
アンドレは握手のため差し出された手をちらりと見やった。
「こちらこそ、はじめまして。
 お気づきでしょうが、わたしは生まれのため、人との直接的な接触は避けています。
 失礼ですが、握手は遠慮させてください」
「あ、こちらこそ配慮不足で・・・失礼しました」
アンドレは気にしていないと言うように笑みを浮かべた。
「お茶でも入れましょう。少しこちらでお待ちください」
居住スペースに入り、キッチンで用意にかかる。
だが、その手はふるえてキーをうまく押せなかった。
『彼が、アランの話していたジェローデルか・・・・・・
 オスカル・・・どうして二人でここに来るんだ?』
それに、アンドレはエムパス能力で感じ取っていた。
オスカルから、以前は感じられなかった女性らしい波動がでていたのを。