遙かな時の彼方から その壱



久々に訪れたその地は、凍てつくような冬だった。
身を切るような乾いた風が頬をなぶる。

(そういえば、ここには四季があったんだ)

アンドレは舌打ちするような気分で、歩を進めている。

(今までこんな季節に帰ってくることなど、なかったし・・・)

パリに来たのはほんの気まぐれだった。
短い休暇を基地(ベース)で過ごすのもあじけないとふと思い立ち、生まれ故郷の様子でも見てくるか、そんな軽い気持ちでジェットに乗り込んだのだった。
アンドレは、首にゆったりと巻いていたカシミアのマフラーを、ちょっときつく巻き直した。
ダウンのコートを着込んでいるのだが、それでも寒さを防ぎきれない。
シティであれば、天候でさえも完璧にコントロールされているのであるがシティから遠く離れた地と、あえて自然環境を選択したスペースでは、天候は自然のままだ。全てが管理されている現代の人間にとっては、ちらつく雪や凍てつく街路は風流といえなくもないが、アンドレにとってそれは、ただ単に寒さを余計に感じさせるものでしかなかった。

(こんなところまで来て、失敗だったか)

アンドレは、もうシティに帰ろうかと考えて立ち止まった。
すると、そう遠くない場所から何か音がきこえた。

(なんだろう)

耳をすましてみると、その音は繰り返し繰り返し聞こえてくる。
興味を引かれたアンドレは、音がきこえてくる方角へと歩き出した。
幼い頃に通りがかった街路、見覚えのある建物が目にはいる。

(前に見かけたままじゃないか)

懐かしい想いにとらわれながら歩き続けた。
とある屋敷の庭に、目指す音の主はいるようだった。
アンドレはそれを見つけ、思わず微笑んだ。
そこには、6,7歳くらいの男の子がひとり、寒さのせいか必死に練習してるせいか、頬をピンクに染めて、立木に向かってひたすら剣を振っていた。

カン、カン、カン!!

乾ききった立木と剣のぶつかる音が、小気味よく響いてくる。
真剣な表情で何度も何度も剣を振り下ろしているその顔は、目が離せないほど可愛らしかった。
この寒さの中でもうっすら汗ばんでいるのだろうか、金色の髪が幾筋か額に張り付いている。
口元は、意志の強さを現すようにきっと結ばれていた。
そして、なにより青い瞳の輝きがアンドレの視線を釘付けにした。
その少年は、近くに誰かいることになどまったく気づく様子もなく、ひたすら立木相手に剣の練習をしていたが、突然、動きを止めるとぽつりとつぶやいた。

「やっぱりだめだ・・・」

アンドレは思わず吹き出した。

「だれだ!?」

少年は、突然聞こえた笑い声に驚いたようで、怒鳴ってきた。
ずいぶん、気の強い子らしい。

「ああ、失敬。君があまり熱心に練習をしているから、つい、声をかけそびれてしまったんだ」

アンドレがそう言って塀に近づくと、少年はばつの悪そうな顔をしながらも言い返してきた。

「ヒトのことを黙って見ていて笑うなんて・・・」

アンドレは慌てて言葉を継いだ。

「ああ、すまない。バカにして笑ったんじゃないんだ。一生懸命なのが、可愛くて・・・」

「・・・・・」

「剣、始めたばかりなの?」

「・・・・・」

「それくらいたくさん練習したら、すぐに上手になるさ」

「・・・・・」

「それに、筋はよさそうだ。かまえたときにもう少し腰を落とせば、太刀筋も安定するはずだよ」

「ほんと?」

ぱっと、顔をあげた彼は嬉しそうな表情で聞いてきた。

「ああ。君は剣が大好きなんだね」

アンドレの問いに応えてにっこりと笑った顔は、とても晴れやかなものだった。

「頑張れ!」

その言葉に照れくさそうに横を向いた少年は、また剣を振るい始めた。
アドバイス通り、腰を低くたもとうとしている。
アンドレはしばらくそれを眺めていたが、少年が自分を気にして緊張してしまう様子なので軽く頷いてみせると、屋敷を後にした。

(可愛らしい子だったな。明日もまた来てみようか)

内心では、どうやら休暇の予定が埋ったが、我ながら閑なことだ、などと考えながら
・・・。




「また一人で剣の練習をしていたの?」

オスカルが屋敷の中に入ると、母がきいてきた。

「うん」

「毎日毎日、よく飽きないわねぇ」

呆れたように言った三番めの姉は、オスカルをからかうように見た。
四番めの姉も、

「カンカン音がするから、わたし、気が散って本が読めなかったわ」

口を尖らせて言った。
一番上の姉は、それを目でたしなめて、やさしく言った。

「オスカル、剣の練習はいいけれど、風邪をひかないようにね」

「・・・はい・・・」

母から夕食にするから手を洗って着替えてくるように言われ、オスカルは自分の部屋にもどった。
オスカルが剣を始めたのは三ヶ月ほど前。
普段、仕事で家にいないことが多い父が、友人の誘いで出かけたフェンシングの大会に連れて行ってくれたのがきっかけだった。
姉ばかり六人姉妹の末っ子のオスカルは、負けず嫌いな性格からか、姉たちと違い、馬術やアーチェリーなど、
男の子の好む稽古事をやりたがった。
父母は、そんな末娘を、その個性のままにのびやかに育てようとしてくれる。
だが、父がいないと稽古をしてくれる人が他になく、仕方ないので立木を相手にしてるのだ。
父から一本でも取ったら、パリにあるフェンシングスクールに通わせてもらう約束になっている。
だから、オスカルは一人でも一生懸命に練習をしていた。

(あのお兄さんも、誉めてくれたし。筋がいいって・・・)

オスカルは、着替えながらさっき会ったばかりの青年のことを考えていた。

(また来るかな?あのお兄さん・・・)

来るといいな・・・ オスカルは心で思っていた。