遙かな時の彼方から その弐



翌日。

アンドレは、何年ぶりかに帰った埃だらけの家の、かび臭いベッドから身を起した。
幸い、エアコンディショニング機能は働いていた。
寒さだけは凌げたのだからそれでいい事にして、シャワーを浴びた。

ポン、と電子音が響いた。

《メッセージが一件あります》

人工的な音声が、そう告げ、壁にあるモニタの電源が入る。

(こんな処まで、一体何だ?)

アンドレはいぶかしがりながら、モニタに映し出された3D映像を眺めた。
古い受信機なので、映像はぼんやりとしている。
もやもやと現れたそれは、船(シップ)の同僚であるアランだった。

 《よう。久々のパリはどうだい?たまには里帰りってのもオツなもんだよな。 
  まあ、知り合いなんざいないだろうから、どうせ部屋でごろごろしてるんだろうがな。
  こっちの進行状況は順調だ。二週間後に船(シップ)で会おうぜ》

そう言って、アランはにやりと笑って消えた。
映像の消えたモニタをぼんやりと見つめてアンドレは、呟いた。

「デリート」

《メッセージを消去します》

ポン、と電子音が完了を知らせた。



きのうの屋敷近くにやってくると、アンドレは笑みが零れるのを禁じえなかった。
あの少年はやはり、今日も立木相手に剣の練習をしていた。

「やあ、またやってるな」

「あ、こんにちは」

剣をとめると、少年はにこっと笑った。
笑うと少女のようにも見える。

(ほんとうにきれいな少年だ)

とアンドレは思った。

「今日はここで君の練習ぶりを見ていてもいいかい?」

「え、そんな、見せるようなもんじゃないんだけど・・・」

うろたえたような少年は、しばらく何事か考えていたが、アンドレの側に歩いてきて、

「お兄さん、フェンシング、できるの?」

ときいた。

「ああ、あまり上手じゃないけれど、少しならね」

アンドレがそう答えると、少年はやっぱり、という顔をした。

「じゃあ、きのうみたいにアドバイスしてくれるか、稽古の相手をしてくれませんか?」

真剣な目つきでそう切り出され、アンドレは、思わず頷いていた。
少年はぱっと顔を輝かせると、「待ってて!」と一声叫んで屋敷の中に走っていった。
立ち去ることもできずにアンドレが佇んでいると、たいして間をおかずに屋敷の玄関が開いて、
手に二振りの剣を持った少年が母親らしき女性とともに出てきた。
内心ではしまったと思ったが、もう遅い。
アンドレは覚悟を決めた。

「母上、早く、早く!」

母親の手を引っ張るようにして駆けてくる。

「まあまあ、この子ったら」

母親は、アンドレをじっと見ると、やさしい声で挨拶をした。

「はじめまして。この子の母です。オスカルがご無理申し上げたようですみません」

「いえ、とんでもありません。私の方が、先に声をかけたものですから」

「ね、いいでしょう? 剣の相手をしてもらっても!」

ドレスを引っ張りながら、オスカルがじれたように母に訴える。
ぽんぽんと肩をたたいてなだめてやりながら、母親はアンドレに話しかけた。

「こんな子どもの相手ですが、よろしいのでしょうか? お仕事がおありでしょう?」

「いえ、今は少し長い休暇中でして。
取り立てて何の予定もなく、ゆっくり骨休めをしようと思っているだけです」

「失礼ですが、お仕事は?」

初対面の男に、大切な子どもの相手をさせるのだから、当然の質問だろうとアンドレは思った。

「パイロットをしています。アンドレ・グランディエといいます」

身分証明書と同等のパイロット・ライセンスを見せながら、アンドレは答えた。
・・・・それは、正確だが、十分な答えではなかった。
だが、母親は満足したようだった。
パイロット・ライセンスを所持しているということは、経歴・身分ともに公的機関の保障があることになるからだ。

さっそく屋敷内に招かれ、庭で稽古を始めた。
寒さは厳しいものの、幸い風がなく、運動をしているとどんどん身体が温まってくる。
やはり、少年は筋がよく、少しのアドバイスでみるみるこつをつかんでしまう。

(身が軽いせいか・・・)

真剣に打ち込んでくる少年の剣をかわしながら、アンドレは、心から楽しんでいる自分を見つけた。
小一時間も経った頃。

「疲れちゃった」

やっと少年が声に出して言った。
名前を呼ぼうとして、自己紹介さえしていなかった事に気づき、苦笑をもらす。

「俺はアンドレ・グランディエ。アンドレと呼んでくれればいい」

「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェです。オスカルと呼んで下さい」

母親が興味津々姉たちを遠ざけてくれたおかげで、二人は居間でゆっくりくつろぐことができた。
香りのよいカフェを飲みながら、手作りであろうクッキーをつまむ。
アンドレは、ずいぶん久しぶりに味わう家庭的な雰囲気にとまどっていた。

「アンドレさん、明日も来る?」

「アンドレでいいよ、オスカル」

「じゃあ、アンドレ! お昼ご飯の後は、いつも庭で練習してるから」

「わかった・・・それではまた明日」

「うん、明日。絶対に来てね!」

オスカルは礼儀正しくお辞儀をすると、アンドレを玄関まで見送ってくれた。



それからの数日というもの。
アンドレはオスカルの屋敷を訪れ、剣の稽古をするのが日課となっていた。
稽古が終わると、母親の煎れるお茶とお菓子を楽しみながらしゃべる。
アンドレは、その時間が待ち遠しくてならなかった。
オスカルは好奇心旺盛で、頭の回転も速い。
誰かと他愛ない会話をするのが、こんなに楽しいものだと、アンドレは知らなかった。

「オスカルは将来、フェンシングのチャンピオンにでもなるのかい?」

からかうようなアンドレの問いに、オスカルはムキになって答えた。

「なれたらいいけど。でも今は、まず、父上から一本取って、スクールに入学したいんだ」

「そうか。オスカルみたいな練習熱心な子が入ったら、スクールの先生も喜ぶよ、きっと」

「うん!
アンドレに言われると、なんだか、すぐに父上に勝てるような気がする」

「それはよかった」

アンドレが微笑むと、オスカルはにっこりと笑う。

「がんばって、上手になって、アンドレにも勝つんだ!」

「それは楽しみだ」

この数日というもの、アンドレは、明るい気分で目覚め、幸せな気持ちで眠りにつくことができた。
それは、オスカルと過ごすひとときによるものだった。



「アンドレは、何をしているひと?」

ある日、突然、オスカルに問われ、一瞬、躊躇した。

「う〜ん・・・俺の仕事は、説明が難しいかも・・・」

「ふうん・・・母上はパイロットだって言ってたけど・・・」

オスカルの表情がくもったのを見て、アンドレは考えながら言葉を継いだ。

「言いたくない訳ではないんだ。ただ、どう説明したらいいのか」

「うん」

「そうだな・・・ひらたく言えばやっぱり宇宙飛行士・・・かな」

「宇宙飛行士!?」

「ああ」

「わあ、格好いいねぇ!」

「そうか?」

「うん、大きくなったら宇宙旅行に行ってみたいなあ」

「そうだな、旅行だったら楽しいだろう。今は月旅行でも、すぐに行けるし」

「うん、いつか行きたいな」

オスカルは目をきらきらと輝かせ、アンドレを幼い憧れの眼差しで見つめた。

「フェンシングでチャンピオンになったら、ご褒美にアンドレの宇宙船に乗せてくれる?」

「もちろん、喜んで」

「じゃあ、早く上手になるから待っててね?」

「ああ」

約束だよ、とオスカルは言うと、指きりをしよう!と小指を差し出した。

「ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼんの〜ます! 指切った!」

そう言って笑ったオスカルに、アンドレは笑い返せなかった。



俺には約束を守ることができない・・・