遙かな時の彼方から その参



アンドレの職業は俗称「天使(エンジェル)」と言われている。
西暦2200年を超えた頃。
地球は人口の爆発的な増加に伴い、他惑星への移住を余儀なくされる事となった。
太陽系内で人類が生命を維持していくことが出来る星は限られている。
増えすぎた人類は、太陽系内だけに留まらず他の星系への移住も始めていた。
そして新たな惑星の開発が常に求められていた。
しかし未開の星を発掘・開発するためには綿密で周到な調査が必要である。
そのために政府は莫大な資金を投入し、他星開発プロジェクトを組んだ。
「天使(エンジェル)」と呼ばれる人間は、その開発プロジェクトの第一段階に必要欠くべからざる存在だった。

何万光年も離れた星系へと船(シップ)に乗って出かけていき、最初の調査をする人間・・・
それが、アンドレたち「天使(エンジェル)」だった。

彼等は長い恒星間の飛行中(地球時間にすると何10年の単位)コールドスリープされたまま船内で眠り、
調査目標の星に着いたところで睡眠から目覚める。
そしてその帰途もまた長い眠りについて何十年後かの地球に帰りつく。
地球の未来を担っての重要な職務である。

優れた才覚の持ち主であることは必要不可欠であった。
未知の惑星の調査では予測のつかない危険も当然のことながら、想定された。
無論、その場に応じた冷静な判断力、行動力が要求される。
また、「コールドスリープを繰り返すために必要な頑健な肉体の持ち主であること」が必然であった。
そして最も重要なことは「地球上に身寄りのないこと」である。

現在では概ねにおいてその目的により、人工授精された試験官ベビーがその任につく事が殆どだった。
「天使(エンジェル)」は殆ど歳をとらない。
コールドスリープによって時を止められた彼らは、人間にとって永遠ともいえる年数を同じ姿で存在し続ける。
永い年月を経て無事に地球に帰還したとしても、そこには待つ者が既に存在しないことが往々にしてある。
家族を残して旅立つ側もつらいが、残された家族は更に辛く過ぎ去る日々を指折り数えて待ち続ける。
しかも、待ち人はたった数年では帰還しない。
そして、懐かしい故郷に戻った彼等にもまた、残していった者はすでにこの世には居ない。
過去から遠く離れた場所に降り立った彼等が、孤独に耐えかね自ら命を絶つこともままあった。
プロジェクト発動当初には、そうした事例がいくつも残されている。
そのような悲劇を二度と生まないためにも、現在では、政府が厳しく管理体制を敷いている。

アンドレ・グランディエもまた、そうした特殊な人間なのだった。
「天使(エンジェル)」になるべくこの世に生を受け、希薄な人間関係のもとで成長し、しかるべき教育をうけ、
成人後は何度も恒星間飛行(フライト)を繰り返している。
アンドレの周囲には、家族と呼べるものはいない。
養い親であったグランディエ家の人間はとうに亡くなり、アンドレは一人である。
しかし、それを寂しいと思う事もなくアンドレは淡々と職務をこなし、淡々と生きている。
それが自分に課せられた宿命なのだから。

(オスカルに別れを告げるのは辛いな・・・)

アンドレは、明日には基地(ベース)に戻らなくてはならない。
今回のフライトは短期間ではあるが、すくなくともオスカルが成人するまで戻ってくることはできないであろう。

(声をかけるべきではなかった)

後悔の念にとらわれながら、アンドレは重苦しい気分で眠りについた。



次の日。

いつもの時間にジャルジェ家を訪れたアンドレは、じっとオスカルを見つめた。
明日からもうこの子の顔を見ることはできないのだ・・・。
いいようのない寂しさが募る。
アンドレが、今まで味わったことのない感情だ。
いつもより熱が入ったためか、稽古が終わる頃には、オスカルは息を切らしていた

「あのねっ、あのっ!!ごほっ!!」

息の整わないうちに何かを伝えようとして必死なあまり、オスカルは咳き込んでしまった。

「オスカル、落ち着いて。すぐに喋ろうとしなくていいぞ」

「う、うん・・・」

「深呼吸して」

「うん、はぁ〜・・・・はぁ・・・・ふう!」

「落ち着いたか?」

「うん、あのねっ! 父上がねっ! 夕べ、帰ってきた父上がねぇ!」

オスカルは、嬉しそうに笑うとアンドレに向かって青い目をきらきらとさせて言った。

「とっても頑張っているようだから、来週から、スクールに入れてやるぞ、って!!」

「よかったじゃないか!」

「うん! アンドレが稽古してくれたから、すごく頑張れたんだ!・・・
あれ? アンドレ・・・どうしたの・・・? いっしょに喜んでくれないの?」

「いや、そんなことはない」

「そう? なんだか、悲しそうな顔してるから・・・」

オスカルはそういうと、アンドレの顔を覗き込んだ。

「なにか、悲しいことがあったの?」

「いや・・・・じつは」

「なに?」

「仕事で・・・仕事に・・・もどらなくてはならないんだ」

「・・・・そう、なんだ・・・」

「オスカルと稽古したり、話したりするのは、ほんとうに楽しかった」

「・・・・・・」

「オスカル?」

オスカルはうつむいたまま、顔を上げない。

「どうした?」

そっと肩に手を置くと、オスカルはアンドレを見上げた。その大きな瞳には涙がたまっていた。

「アンドレ、また来る?」

「・・・・・・」

「また、来るよね?」

「ああ・・・・・・また来たい、よ・・・」

「じゃあ、待ってるよ。ずっと。今度会ったら、真剣に試合してね?」

「オスカル・・・・」

オスカルは、どれだけ待ったらアンドレに会えるのかわからなかった。
しかしただ、待つとだけ言った。

「必ずもどってくる・・・必ず!」

アンドレは言った。
そう、君が忘れてしまっても俺は覚えている。
君がいくつになっていたとしても・・・俺はここにもどって来よう。

「さあ、泣いてはおかしいよ。君は男の子だろう?」

「・・・・え?」

こぼれ落ちる涙をそのままに、オスカルはちょっと呆然とした表情をした。
だが、アンドレにはその意味がわからなかった。

「君のことは、ずっと忘れなから」

「・・・うん。アンドレのこと、覚えてるよ。絶対、ぜったい、覚えてるよ!」

オスカルは何度もそう言って、アンドレの手を握り締めた。
小さな温かい手。
この手をとれる日は・・・来るのだろうか・・・?




「なんだか元気がないな」

「そうか? おまえの気のせいだろう」

出発間際のスペースポット(恒星間移動宇宙船・通称シップ)のコントロールルーム。
アンドレは同僚のアランにそう言われて、さらりとかわした。

「はっ、喰えないヤツだぜ」

「それはどうも」

「誉めてねぇよ!」

「おや、そうなのか?」

「まったく! 数少ない同僚には、悩み事の相談くらいするもんだぜ」

「相談事ができたらそうしよう」

「ああ、その時は人生経験豊富なこの俺に任せろ!」

その殆どが純粋培養の試験官ベビーである「天使(エンジェル)」の中では、変り種のアランはそう言って笑った。
彼は不幸な事情で母と妹をなくし、地球に未練がなくなったために「天使(エンジェル)」に志願したと聞いている。
「天使(エンジェル)」の数多くは特別な環境において、特殊な英才教育を施されて育つのだが、
まれに彼のような人間が志願してくることがある。
専門的知識を有し訓練された肉体を保持している事が必須条件である「天使(エンジェル)」に
一介の民間人が任務につく事は並大抵ではない。
そう言った面ではアランは優れた才能の持ち主であるともいえた。

「ま、いいけどな。どうせ今度お前と会うのは、『イプシロン』だしな」

「・・・、『イプシロン』からこちらに戻るのは何年後だったかな」

「なんだ? 珍しいな、お前がそんな事を気にするなんざ」

「いや、なんとなく」

「ふ〜ん・・・まあ、いいが。わりと今回は短いぜ。22年、だったかな?」

「そうか・・・」

「あん? なんだ? 地球にいい人でもできたのか?」

アランはにやりと笑ってアンドレを見た。

「まさか」

「ふふん、いいけどな。どうせ帰ったら、ばあさんになってるぜ」

シニカルに笑うと、アランは小瓶に隠し持ったブランデーをうまそうに一口飲んだ。

「しばらくはこの味ともお別れだな。これだけが地球での心残りだ」

「・・・・・・・・」

(22年・・・オスカルは、いくつになっているんだ・・・?)

アンドレはふと、そのような事を思って苦笑した。

(もう、きっと二度とは会えないだろう。
それに、たった二週間ほど、それも、一日に数時間しか一緒にいなかった俺のことなど覚えていまい)

「何、考えてるんだ?」

物思いにふけっていたアンドレは、アランの声にはっとした。

「いや、別に」

「はん。じゃ、『イプシロン』でな」

「ああ」

「いい夢を」

「お互いに」

そういい交わし、お互いのスリーピングカプセルへと入る。
自動制御されたスペースポットはコールドスリープをしたままの乗員を乗せて地球から打ち出され、
目的の星につく頃に、コンピュータ制御によって乗員たちは目覚める。
今度互いに会話を交わすのは、イプシロンに着いてからになる。
そして目的地に着けば、すぐに調査作業がはじまり個人的な会話はほとんどない。
希薄な人間関係に「天使(エンジェル)」たちは慣れていた。

(オスカルの夢でも見られるといいんだが)

アンドレは、カプセルの中でそんな事を思った自分に苦笑した。

(埒もないことを・・・・カプセルでは夢など見ることはないというのに)

「天使(エンジェル)」がイプシロンでの調査活動を終えて地球にもどるのは22年後・・・。