遙かな時の彼方から その四



社会がコンピュータにより管理される中、芸術や運動の分野は衰退するかと思われたが、そうではなかった。
美術館やコンサート・ホールの数は増えはしても減ることはなく、スポーツ施設もまた同様だった。
数々の音楽コンクール、スポーツでは復活したオリンピックを初めとし、多くの国際大会が開催された。

アンドレが去ってから、オスカルはフェンシングスクールに入学し、練習に励んだ。
もともと才能があったのか、めきめきと頭角を現し、ジュニア大会では向かうところ敵なしといった強さだった。
父母は喜び、姉たちも応援をおしまなかった。
しかし、オスカルの心の中には、常に一人の男性がいた。

「がんばれ! オスカルなら大丈夫だ!」

温かい声のその励ましが、いつもオスカルを支えてくれたのだった。
見上げるほどに背の高い黒髪の彼は、優しい黒い目をしていた。

(待ってて! 絶対に強くなるから。いつか、アンドレと試合できるようにがんばるから!)



年月が過ぎ・・・。


オスカルは、世界屈指の女性剣士となっていた。

(強くなれば・・・「あの人」にきっと会える・・・)

誰かを待っているような気持ちで、いつも最後まで練習場に残り、剣の稽古に励んだ。
その待っている誰かは、もう朧な記憶の底に沈んでいた。

「あの人」は誰のことなのか・・・。

しかし、それでもなぜかオスカルは、剣の修行を続けていればその人に会える気がしていた。

(待ってる。剣の腕を磨いていれば、きっと会える。いつかかならず・・・)

「待っている・・・」

オスカルは、そっとそう呟くと剣を持ち直し、また練習に励むのだった。




2275年。

アンドレの乗る船(シップ)は地球へと帰還した。
地球に降り立つと、恒例の行事となった祝賀のパーティが開かれ、アンドレやアランはフライト前とは顔ぶれの変わった宇宙開発プロジェクトの首脳陣と挨拶を交わす。

「ったく、毎回毎回、はじめまして、どうぞよろしく、と来たもんだ」

くだらないスピーチが続くなか、早々に会場の隅へと逃げ込んでいたアンドレの隣にアランがやってきてぼやいた。

「おい、聞こえるぞ」

「かまやしねえよ。どうせ一度しか会わない連中だ」

「確かにそうだな・・・」

「天使(エンジェル)」たちにとってみれば数ヶ月しか経っていない間に、地球に本拠を構えるプロジェクトメンバーは入れ替わり、
その都度初対面の挨拶から始めなくてはならない。

「いい加減飽き飽きするぜ」

アランの言い分ももっともだとアンドレは苦笑とともに頷いた。

「それより、アイツの様子、ちょっとへんじゃぁないか?」

アランの視線の先にはフェルゼンがいた。

「彼がどうかしたのか?」

「う〜〜ん・・・・・具体的にどうこうってわけじゃあないんだけどさ・・・・・
 やっこさん、シップを降りてから、どうも落ち着かないというか、心ここにあらずって感じなんだ」

それはおまえも同じだけどな、にやりと笑ってそう言うアランに、アンドレは眉をひそめた。

「たしか、フェルゼンはこの航海(トリップ)でエンジェルを退役するはずだ。落ち着かないのも無理ないだろう」

「そういわれればそうか・・・・」

アランは口ではそう言いながら、まだ釈然としないようだった。
だが、人間関係に希薄なエンジェル同士、個人的な話にあまり突っ込むのもどうかと思い直したのだろう、話題を替えて話しかけてきた。

「おい、聞いたか?今度の話」

「ああ、今度は大分長いらしいな。たしか・・・」

「行き先は『オメガ』だとさ。帰ってくるのは60年後だぜ」

「そうか・・・」

「おっと、お前は次の航海(トリップ)で退役だな。その後は何をする気だ?」

アランはなみなみとついだブランデーに口をつけながら、アンドレの顔を見上げた。

「考えてない」

「まあな、今から60年先の事を考えたって仕方ねぇやな」

ふっ、とシニカルな笑みを浮かべてアランはグラスを傾けた。

「・・・・・」

60年後・・・それではあの少年は・・・いや、もうとっくに成人しているオスカルは、この世にいないかもしれない。
ふとそんな考えがアンドレの頭をよぎった。

(考えたって、しかたないことだ・・・)

思わず自嘲の笑みを頬に浮かべたアンドレからさり気なく視線を逸らしたアランは続けた。

「今度の航海(トリップ)は長いから、いつもより休暇を長くくれるんだとさ」

「へえ?」

「って、いっても二ヶ月だけどな」

「二ヶ月・・・」

「俺なんざ、地球にいたってやる事もないし、二ヶ月も無駄なだけだ」

「・・・・」

「あん? お前は当てがありそうだな」

アンドレが黙りこんで自分の考えに沈みかけると、アランは揶揄うように笑った。

「いや、とくには・・・」

「ふん、まあいいけどさ。あんまり里心がつくのはいただけないぜ?」

「わかっている」

アランは、アンドレの肩を軽く叩き、

「じゃあ、二ヵ月後にな」

背中ごしにひらひらと手を振ると、立ち去っていった。

「ああ、二ヵ月後に」

そうアンドレが返事を呟いたときには、アランの姿はすでにパーティ会場にはなかった。

(二ヶ月・・・)

アンドレはパリにいきたい衝動にかられた。
あの少年、オスカルに会いたいと思った。
寒さの中、立木に向かって、必死に剣を振るっていた少年。
カップを両手ではさみ、柔らかな頬にはにかんだ笑みを浮かべてみせた少年。
待っていると、大きな瞳を潤ませて叫んだ少年。
彼に無性に会いたかった。
しかし、彼はもう少年ではない。
そして、アンドレの事など、とうに忘れてしまっているだろう。

(馬鹿だな・・・)

それなのに会いたい、などと。
ほうっと大きく息をつき、アンドレはパーティへと戻っていった。