遙かな時の彼方から その五
「天使(エンジェル)」には、開発局から『自宅』が支給される。
地球に滞在する間、少しでも拠り所となる場を提供しようというわけだ。
『自宅』は本人の希望する地に確保され、何十年というフライトの間は開発局によって完璧に管理される。
地球到着直前には、機器類はすべてその時点での最新の設備に付け替えられる。
アンドレは、養い親の住んでいたパリのはずれに『自宅』を持っていた。
だが、休暇中も一日いるかどうかで、あとはたいていシティか、その他の観光地のようなところに滞在していた。
(待つ人のない『自宅』なんて、空っぽの器でしかない・・・)
だが、「母」と呼んだ人に手を引かれて歩いた記憶は、今も心の中にある。
その手は柔らかく、そして温かかった。
三日後、アンドレは『自宅』の扉を開けた。
セキュリティは、掌紋でロック解除する旧式のシステムのままだった。
(声紋タイプに付け替えてもらうよう、あとで開発局にメールを出しておこう)
わずかばかりの荷物をベッドルームに置くと家の中を見て回った。
通信システムとキッチン周りは最新設備になっているようだ。
掃除は行き届いているが、やはり、長く人の住まない家はどこか澱んだ空気を感じさせる。
アンドレは、居間の座り心地のよいソファに腰を下ろすと、端末を開いた。
キーボードに指を乗せ、必要な連絡メールを数通送ると、検索にかかった。
現在の地球について・・・・
22年前からの社会の動きについて、ざっと目を通す。
興味を引かれた事柄はさらに深く検索してみるため、思った以上に時間が過ぎていた。
(だが、一番知りたいことを調べる勇気がない・・・)
アンドレが知りたいのは、あの少年のことだった。
「天使(エンジェル)」の『自宅』に設置される通信システムは特Aクラスなので、ほとんどの公的機関にアクセス自由である。
したがって、人名検索で特定の個人情報を簡単に知ることも可能だ。
(オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ)
その名を打ち込みさえすれば、現在の様子がつぶさに画面に表示されるのだ。
(もう、結婚して子どもがいるかもしれない。いや、病気かなにかで亡くなっているかもしれない・・・・)
その想像に、アンドレはいやおうなく「天使(エンジェル)」の宿命を思い知らされる。
22年経ち、成長しているオスカルとどう再会しようというのか。
幼い頃会った人間が、ほとんどかわらない姿で目の前に現れたとき、オスカルはどう思うのだろうか。
これまで感じたことのない寂寥感に、アンドレは言葉がでなかった。
PCの前に座り、個人検索をかけようとしては思いとどまる・・・・
そんなことを何回か繰り返した後、アンドレはふと思い立ち「フェンシング」で検索をかけてみた。
もし、オスカルがあのあともフェンシングを続けていたとしたら、きっとなんらかの大会で実績を残しているに違いない、と考えついたのだ。
はたして、その予想は当たっていた。
「フランス」「大会」等のキーワードを入れていくうちに、「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ」という選手名が画面上に表れてくる。
【・・・大会ジュニア部門優勝】
【パリ大会ジュニア部門優勝】
【記念大会準優勝】
【フランス選抜チーム最年少メンバー】
【ヨーロッパ大会ジュニア部門第3位】
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画面上に次々と出てくる華々しい戦績。
アンドレは驚くのと同時に頬がゆるむのを押さえられなかった。
(あの、ちびちゃんがねぇ・・・・予想以上のがんばり屋だな、この子は・・・・)
アンドレの心の中では、オスカルの姿はまだ幼い少年のままなのだ。
冷たい風の中で、白い頬を紅くして立木相手に剣をふるっていた少年。
真剣な眼差しで、自分に向かってきた少年。
吸い込まれそうな青い瞳と黄金の髪を持つ彼は、それまで人との関わりを避けてきたアンドレを一度で惹きつけた。
ひさびさに心からくつろいだ気分で画面の文字を追っていたアンドレは、ふと手を止めた。
そこには、にわかに信じられない言葉が書かれていた。
【パリ大会ハイティーン女性部門優勝】
「女性!?なにかの間違いだろう?」
だが、それ以降のデータは、すべてオスカルが女性として出場したことを示すものだった。
「まさか・・・・いや、だけど・・・・・あの子が?」
画像をクリックする。
試合中の画像はマスクをしているため顔こそはっきりとしないが、ユニフォームのラインは男性とは違う。
表彰台に上った画像。メダルをかけて微笑んでいるその姿は、あきらかに成熟した美しい女性だった。
「あの子が・・・オスカルが・・・・女性だったなんて・・・」
思ってもみなかった事実に愕然とする。
ディスプレイから見返してくるオスカルの青い瞳は、あの幼い日と同じ、意志の強そうな澄んだ光をたたえている。
その瞳を見たとき、アンドレは自分の内に、今までに経験したことのない気持ちがわき上がってくるのを感じた。
アンドレは恋をしたことがなかった。
長身でハンサムである彼のことは、周りが放ってはおかなかったし、「天使(エンジェル)」に憧れて近づいてくるものも少なくはなかった。
しかしそれは、まるでアクセサリーを選ぶように相手がアンドレを選んでいるだけであり、真剣に想ってくれているのかどうかもわからない。
アンドレは、言い寄ってくる相手と適当に遊び、船(シップ)に乗り込む時にはあっさりと別れを告げ、相手もそれ以上は追ってこなかった。
そういった希薄な人間関係を当然の事と思い、何の疑問も抱かず、現在まで来た。
いったんフライトに出てしまえば、何十年という時間が二人を引き裂く。
それがわかっていたから、深いつながりを本能的に避けていたのかもしれない。
恋どころか、特定の人間に関心を持つことさえなかったのだ。
だが、オスカルは違っていた。
はじめてその姿を見たときから、”特別な存在”だと感じていた。
もし、誰かに「なぜ」と尋ねられても、アンドレには答えることができない。
「アランあたりにきけば、ファム・ファタール(運命の女性)とでも言うんだろうな・・・」
陽気でときに押しつけがましい異色な同僚を思い浮かべる。
「いや、この言葉を教えられたのはアランからではない・・・・・・・ああ、たしかフェルゼンだ・・・」
イプシロンで、休憩が重なったほんの短い時間に話をした、たしかそのときだ。
誰よりも理知的で寡黙なフェルゼンの口から、いきなりロマンチックな単語が飛び出して驚いたのを覚えている。
「彼らしくないとは感じたのだが・・・・」
彼は、今回のイプシロン調査で規定年数のトリップを終え、退役が決まっていた。
だから、感傷的になっているのだろうと、軽く考えた。
フェルゼンも、すぐにいつもの様子に戻り、その後は調査計画の確認になったので、今まで忘れていた。
オスカルのことがなければ、思い出しもしなかっただろう。
だからアンドレは、しばらく後にその言葉の本当の意味を知ることになるとは、考えもしなかった。
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