「賭け −12月の誕生日−第1章」



時々、俺達二人は【賭け】に興じる。
カードであったり、チェスであったり。だが、それは、金品を賭けるという類ではない。
ただゲームの勝者が一つだけ願い−といっても、子供のようなかわいい願いであるが−を言って、それを敗者に叶えてもらうというものだ。
例えば、眠りにつくまで手を握って子守歌を歌って欲しいとか、目覚めのお茶はロンドンのストランド通りから取り寄せたベルガモットの香りが漂う紅茶がいいとか、そんなたわいもないものだった。
もっとも、勝者は常に俺の恋人の方で、敗者である俺も喜々として願いを聞き届けるのだから、賭けになっているのかは、実のところ、わからない。
外では雪が舞い散る寒い夜、二人して暖炉の前に陣取ってチェスに興じているが、果たして結果はどうなるのやら…。
明後日は、おまえの誕生日。その翌日から俺達は1週間の休暇に入る。その休暇のために、俺達はまさに不眠不休状態で過ごしてきた。それこそ、悠長に【賭け】に興じるどころではなかった。やっと仕事のメドが付き、何事もなければ、あと2日で、休暇に入る事が出来る。
今夜、おまえは、久しぶりに盤を取り出してきた。
2度だけ、勝ったことがあるが、その時のことを思い出しただけで、体が熱を帯びてくる。
彼女の願いに比べて、自分の願いは何て貪欲だったのだろう。
滅多にない勝利なのだから、それも許されるか。
ただ、「もう次はないと思え」と言われてしまったからな、しばらくは勝者の気分を味わうことは出来ないかも知れない。

「ほら、チェックメイト」
愛しい恋人の声につられ、盤を見ると、そこはまさに風前の灯火…詰められていた。
「今夜は私の勝ちだな」
うれし気な声が追い打ちをかける。どうやら今夜は、勝利の女神に見放されてしまったらしい。この前、苛めてしまったからだろうか。
「うーん」
俺はしばらく盤を見つめていたが、結局、両手をあげた。降参だよ。
「負けました。おめでとう、勝者殿」
俺の敗北宣言に、おまえのからかいを含んだ声が続く。
「楽勝だったぞ」
はいはい、返す言葉もございません。
「では、勝者殿の願いをお聞かせください」
俺の言葉にクスクスと笑うおまえの顔は、昼間とは違い、とても穏やかで優しい。
優しくたおやかな女性だ。
こんな表情を見ることができるのは、そして、見せてくれるのは、自分だけなのだと思うと、とても嬉しくなる。
「どんな願いでも?」
「もちろん、勝者殿。あなたの仰せのままに」
俺は、静かに頷いた。
「そうだな…」
うーんと考え込む姿は子供のようで、愛らしい。ついつい、俺は微笑んでしまった。
「何がおかしい?」
目ざといな。
「いや、可愛いなあと思って」
「か、可愛いって、おまえ、武官に対して…」
この手の言葉になれていないおまえは赤い顔をして怒りだした。
こんな所も可愛いのだが、それを言うと火に油状態でキリがないから、黙っておこう。
おまえはムッとしたように俺を睨んでいたが、突然、何か思いついたように、ぱっと顔を輝かせた。
おまえが、そういう表情をする時は、あまり良いことが起こらない。その事を俺は長いつきあいでイヤって言うほど知っている。
「決めた」
「何を?」
イヤイヤ俺は尋ねた。
「明日1日、おまえから、私に触れないこと!」
な、なんだよ、それ?
「どういうことだよ?」
ケンのある声になっても仕方がないだろう。
「敗者殿…。前回の勝者であった…おまえの願いの反対を言ったまでだよ」
うっ、それを言われると、何も言えない。
「その願いだったら、明日1日、あいさつのキスも無しか?」
情けないと言われそうだが、ついつい俺は尋ねてしまった。
「うん、おまえからのキスはな」
悪戯っ子のようにおまえは、笑みを浮かべている。
「でも、私からは、ちゃんとおまえに挨拶するよ。子供の頃のように、ね」
そう、俺達は幼い頃、二人だけで挨拶のキスを交わしていたのだった。
幼い頃から、嫡子とみなされ、姉君達とは一線を引かれ、育てられたおまえ。おはようのキスとは無縁だったろう。そして、俺も優しく抱きしめてくれ、キスしてくれる相手を亡くしたばかりだった。俺達は、どちらからともなく、おはようのキスを交わし始めたのだった。幼い、幼い頃の想い出。
「不満なのか?」
黙り込んだ俺を心配したのか、おまえは覗き込んで聞いてくる。
「いや、明日1日は、勝者殿に従うよ」
俺の言葉に安心したように、おまえは微笑む。愛おしい、俺の恋人。
体の奥からの熱に動かされ、俺はおまえを抱き上げた。
「な、何?」
いきなりだったので、おまえは慌てふためく。普段は、憎らしいほど、冷静なのに、俺の前だと、少年のようだったり、少女だったりするおまえ。
そんなおまえが、たまらなく愛おしい。
「それでは、明日になる前に、おまえに触れさせてくれ。俺が、明日1日我慢できるように、な」
おまえからの抗議の言葉は、唇で封じる。
おまえが観念して、逆らわなくなるまで、熱く、長く、深く…。
そして、俺は、おまえの甘い吐息を返事がわりに受け取って、寝室へと足を向けた。