「賭け −12月の誕生日−第2章」



遠くから、私を呼ぶ声がする。
もう…朝、なのか。
そろそろ、起きなくては…。
そう思っても、なかなか、身体が言うことを聞いてくれない。
いけないな、こんな事では。もうすぐ休暇に入るのに。
いや、休暇が目の前になったから、気が抜けたのか…。
「オスカル」
私を呼ぶ声。低く…そして、優しい声。
ああ、わかっている、起きるよ。起きるけど…何だか、身体が怠いんだ。もう少 し、眠っていたいくらいなのに…。
わかっているってば。起きるぞ、うん。起きる。
私はゆっくり、目を開けた。
眩しい。
そうか、昨夜は帳を降ろさずに休んだのだったな。
え?
私は、昨夜のことを思い出し、身体を起こした。
滑り落ちる白い掛布。あらわれたのは…彼の残した跡。いくつも、いくつも。ま るで、薄紅の花びらが散ったように残っている。
私は、慌てて掛布を引き上げた。誰も見る者はいないのに。
「あいつ…」
私は恥ずかしくて、唇を噛んだ。
そう、昨夜は、久しぶりに二人だけの時間が持てた。
明日は、私の誕生日で、何事もなければ、その翌日から、私達は1週間の休暇に 入る。
つい昨日まで、私も彼も不眠不休状態だった。それこそ、悠長に二人だけの時間 を過ごすどころではなかったのだ。やっと仕事のメドも付き、休暇も目の前にな って、私達は、久しぶりに盤をはさんで…。
そうだ、【賭け】をしたんだ。勿論、私の勝ちで…彼に願いを聞いて貰うことに なった。ちょっと悪戯心がわいてきて、その願いを口にしたんだが…。
その後…。
「それでは、明日になる前に、おまえに触れさせてくれ。俺が、明日1日我慢で きるように、な」
彼に囁かれた言葉が蘇る。
あれでは、まるで彼が勝利者だ。
「ズルイ」
私は思わず声に出していた。
「何がズルイんだ?」
いつの間に、来ていたのか、寝台の足元には彼の姿。
「ア、アンドレ」
私は思いっきり、声が上擦ってしまった。
「驚かせたのか?ずっと、声を掛けていたんだぞ」
穏やかな笑み、私だけに向けられる彼の笑み。
いつもは、すぐに朝のキスを交わすのだが、今朝はダメ。許さない。
そんな私の心の内を知ってか、知らずか。
彼は優しく声を掛けてくる。
「おはよう、よく眠れた?」
眠れたかって?
眠れるわけないだろう…。記憶は途切れてるけど、昨夜のことは…ううん、明け 方のことも、覚えてる。
どの口が、そんなことを聞けるんだ、全く…。
何か言い返そうと思っても、恥ずかしさ半分、悔しさ半分で、何も言葉が思いつ かない。
顔が赤くなっているのは、十分承知で、彼を睨む。
「朝から、熱い視線を頂けるのは、嬉しいけどね、お嬢様」
ち、違うだろ。
私は心の中で叫んだ。
「湯の用意が出来ているんだ、湯が冷めないうちに入ったら?」
「え?湯浴み?」
意外な言葉に私は、思わず聞き返した。確かに、湯浴みしたいとは思っていたけ ど、どうしてわかったんだろう。
私は、よほど、不思議そうな顔をしていたんだろう。アンドレは、クスクス笑う と、近付いてきた。そっと私の耳元で囁く。
「忘れたのか?湯を浴びてから、隊に行きたいって言っただろう?だから、俺は 、朝早くから、湯を沸かして、準備を整えたんだぞ」
「そう…だったか?」
「ああ。明け方、俺の腕の中で、言ったじゃないか」
彼の言葉に、一層、顔が赤くなった。
は、恥ずかしいことを言うなよ、もう。
「わかったよ、ありがとう。すぐ、行くから」
私は、彼から身体を引きつつ答えた。
「じゃ、ご褒美のキスをいただけますか?お嬢様」
な、何を言ってるんだ、おまえ。
「寝言は、寝て言え」
冷たく言い放っても、許されるだろう。昨夜の【賭け】に勝ったのは私だぞ。勝 者の願いだって、伝えているじゃないか。
「約束…忘れたのか?」
心外そうな彼の声。
それは私の台詞だよ、アンドレ。
「願いは、屋敷を出てから、戻るまでっていう…」
え?何、それ?そんな約束をしたか?いや、待てよ…そういえば、したような気 もする。昨夜、いつにもまして情熱的だったおまえに逆らえず…頷いてしまった ような…。
「思い出してくれた?」
悔しいけど、私は小さく頷いた。そんな私に満足したのか、彼は静かに口づけて きた。
優しいキス…と思ったのは、束の間。すぐに熱を持ち始める。気が付けば、私は 寝台に横たわり、彼のくちづけを受けていた。
どこが、ご褒美のキスなんだ?と責めることは出来ない。私も…彼の首に両腕を まわし、応えていたのだから。
長い…長いくちづけの後。
彼から解放されても、しばらくの間、私は何も言えなかった。
「お付きはいないから、はやく、おいで」
彼は言い残し、寝室を後にした。
どうして、一人で湯浴みをしたいってわかったんだろう?不思議な奴。
その答えはすぐに思い当たった。ガウンを着ようと身を起こした私の身体には、 彼が残した、いくつもの薄紅の花弁。
こんな姿、おまえ以外に見せることが出来るわけないじゃないか、莫迦。
私は、今朝、何度目かの悪態を心の中で付くと、彼が準備してくれている浴室へ と足を向けた。