「賭け −12月の誕生日−第9章」


「今日1日は、本当に長かった」
しみじみとおまえは言う。
「そう?」
私はおまえの方にもたれ掛かったまま。
「ああ、おまえは違うのか?」
仕事はキリ良く終わったし、アラン達からの書類も無事届いたし。久しぶりに、うま
く仕
事が進んだ気がする。まあ、書類仕事だが。
そうそう、おまえの、焦れたような顔を見ることもできたし…。
「あっという間に終わったような気がするぞ、私は。実にいい1日だった」
「それは良かったな」
おまえの声は、何となく不機嫌そう。
子供みたいな奴。でも、ここで笑ってしまったら、もっと機嫌が悪くなってしまうだ
ろう
から、我慢しよう。
「おまえは辛かったのか?」
「ああ、こんなに夜が待ち遠しかった1日はない」
夜…
おまえの言葉に含みを感じて、少しだけおまえから離れる。
「逃げるなよ」
「に、逃げてなんかない」
おまえは笑っているけど、何だか雰囲気が違う。そう、優しいけれど…優しくない時
のお
まえの顔だ。
「何も…取って、喰いはしないさ」
おまえの長い指が私を捕らえる。
このまま、おまえに流されてしまうのは悔しい。
「まだ…終わってないぞ、敗者殿」
私の言葉に、おまえは唇の端だけで笑って見せた。
イヤな予感…。私は大きく息を吸い込んだ。
「わかりました、勝者殿。お約束通り、屋敷に戻り着くまで、貴女に触れることは、
やめ
ましょう」
予想外に、おまえは、あっさりと引いてくれた。
そして、元の席に座り、私を見つめる。
「こうしていると、思い出す…な」
「何を?」
私の問い掛けにおまえは低く笑った。
「おまえは…もう忘れたのか?」
「だから、何を?」
「俺は、1日も忘れたことはなかったよ」
おまえの思わせぶりな態度に、少しだけ苛ついてくる。
「こうして、馬車に乗る度、俺は思い出していた…」
「だから、何を?さっさと言えよ」
焦れた私の様子に、おまえはクスクスと笑う。
イヤな奴だな、ホントに。今日の仕返しにしては、タチが悪いぞ。
「あの時の…勝利の味を」
その一言に込められた意味にすぐ思い当たり、私はおまえを睨んだが、頬が一気に熱

なっていった。
「なかなか、刺激的だった」
「アンドレ」
私は、慌てて遮った。
もう…何も今、そんな話をしなくてもいいじゃないか。
勿論、あの時のことは、私だって覚えている。信じられないような1日のこと。
「その話は、もう、いい」
「何故?」
「もう、いいから」
「おまえも思い出してくれたのか?あの時のおまえは…」
「ア、アンドレッ」
「どうした?」
おまえの…その余裕たっぷりな様子も腹が立つ。
「ほっ、本気で怒るぞ」
「それはヒドイ」
ヒドイのはそっちじゃないか。私は心の中で、思いっきり悪態をつく。
「俺は、おまえとの約束を守って、長い1日を過ごしたのに。今だって、おまえに触
れて
いないだろう?少しだけ、刺激的な話をしても良いじゃないか」
お、おまえって、ヒドイだけじゃなくて、ズルイ。そんな手を使ってくるとは、思わ

かった。
「おまえの、そんな顔もとても魅力的だが…。おまえを困らせるのは、俺の本意では
ない
からな」
嘘をつけ、嘘を。
「でも、こうしていると、唇から、独りでに言葉が飛び出してしまうのだ」
いいかげんにしろよ、おまえ。
「俺の言葉を奪えるのは、おまえだけだ」
おまえはそう言うと、両手を拡げた。
わかったよ。私の負けだ。
「もう、勝者は私なのに」
私は小さく溜息をつくと、おまえの唇を塞ぐ唯一の手段をとることにした。